第8話 『稲穂の記憶、祈りの里へ』

 ──人界・和州(やまと)の山間部。霧に包まれた古の集落「穂栄村ほえいむら」。


 早朝。地を這うような白霧の中、一台の軽装型祈願車が、山道をゆっくりと進んでいた。運転席には八百万株式会社・営業企画課課長、宇迦之御魂神。


 彼の隣には、狐型AI“イナリ”の小型端末がホログラムで浮かび上がる。


「宇迦さん、この地域の祈願記録は、昭和期以降ほとんど空白です。戦後に廃社となった《穂ノ宮》の影響と推測されます」


「……ということは、“何も残っていない”のではなく、“眠っている”だけだな」


 祈願OSの地方フィールド実地試験が、いよいよ始まった。記念すべき第一拠点が、この山村──穂栄村である。


 村は過疎化が進み、若年層の多くは町へ出ている。だが、古老たちはいまだ“祈りの名残”を継承していた。宇迦はその断片を拾い集め、失われた祈願信仰の糸口を見つけ出そうとしていた。


『本日は、〈祈願OS拡張計画〉初の現場視察! 宇迦課長、単独での現地踏査に挑みます!』


《この穂栄村では、かつて“リッカ様”と呼ばれる信仰が存在していました。その記録は文献には残っておらず、口承伝承のみが頼りです》


 到着後、宇迦は地元の長老・楢岡(ならおか)老人の案内で、廃社となった《穂ノ宮》跡地を訪れる。崩れた鳥居、祠の残骸、そして苔むした石碑──そのすべてが静かに時を語っていた。


「……風が、ここだけ巡っていない。祈りが止まった土地、ということか」


 宇迦は静かに目を閉じ、掌を大地にかざした。その瞬間、淡く金色の粒子が周囲に広がる。


「祈念感応開始。イナリ、周囲の思念波を解析してくれ」


「了解、祈願バインディング・フェーズ移行──……おや? これは……」


《記録されていない“生きた祈り”が残存しているようです。風の音、足音、稲を撫でる手──生活の中に埋もれた祈りの記憶》


『これは……! 単なるデータではない、“祈りの質感”だ! 現地でしか得られない手触りが、今、OSに刻まれようとしている!』


「……まだ終わってない。ここには、想いが息づいている」


 穂ノ宮の跡地に、小さな仮設の“祈願ステーション”が設置される。OSのベースコードを、宇迦は丁寧に調整しはじめた。キー入力ではなく、対話と観察、そして感応による信仰インターフェース最適化。


「祈りは書き換えるものではない。読み取って、呼び戻すものだ」


 ──その日の午後。


 楢岡老人は、宇迦を村の外れに案内した。切り立った絶壁、その中腹にぽっかりと空いた洞窟のような闇──そこに、朽ちかけた木の鳥居と、風化した石の祠があった。


「ここは……記録にない」


「昔から“祟り神”の祠だとされとってな。誰も近づかん。だが、わしの婆様は言うとった。“あれは神様であって神様でない”、と──」


 宇迦は鳥居をくぐると、足元に残る微細な祈念反応を感じ取った。イナリが警告を発する。


「反応濃度、異常域です。しかも……この信号は、神界登録の神格IDに該当なし」


 祠の奥、岩肌にうっすらと刻まれていたのは、解析不能の古文。イナリが翻訳を試みるが、意味は即座にはわからない。


《解析不能……意味は不明。ただし、呪的構造のパターンに類似性あり。危険性、高》


『未知の封印文字──その真意は、未だ霧の中!』


 祠の前には、地面に深く打ち込まれた黒鉄の杭が三本。その中心に立つ祠と共に、かすかに紫と鮮血のような赤に光を放っていた。


《封印構造を示す構成です。祠と杭が相互に力場を形成し、内なる“何か”を閉じ込めています》


「……この神は、何者だ」


 宇迦は、祠に手をかざした。その瞬間、金と黒の粒子が交錯し、洞窟の奥から、微かな声が響いた──


 ──忘レラレシ者ヨ……ナゼ、今……ココニ……


 翌日、楢岡老人が宇迦に語った。


「昔の話じゃがな……“リッカ様”と呼ばれていた神がおってな。字は覚えとらんが、音は“戮渦”──そう呼んでおった」


《戮渦──音から推定するに、“殺す”や“渦巻く”の意味を含む可能性。危険神格、もしくは災厄の記憶か?》


 震える空気の中、封じられた記憶が、静かに目を覚まそうとしていた。


 ──祈願OS、そして“神の系譜”を揺るがす、新たな謎が動き出す。


『本日、我々が見たのは、かつての祈りが今もなお静かに息づく村の姿。そして、封印された“戮渦”なる未知の神格──その存在は、神界すら知らぬ闇の中。これが〈祈願OS〉計画に何をもたらすのか、今後の動向に注目が集まります』


《それでは、また次回の神界通信でお会いしましょう。本日は和州穂栄村より、現地レポートをお届けしました》

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八百万社―神界企業戦記― 白咲 飛鳥 @asukani

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