2. 最高のご馳走

 トントントンとリズミカルに何かを叩く音と、コトコトコトと何かを煮込む音。


 どこか懐かしさを感じながら目を覚ますと、見覚えのない天井が目に入った。少し遅れて、自分がソファーに横たわっている事に気付く。


 身体を起こすと、その拍子に薄手の毛布がばさりと床に落ちた。

 

「……ここは?」


 周りを見回すが、全く見覚えのない部屋だ。あるのは空の本棚とボロボロの大きな机、そして俺が寝ていたソファーだけ。


「えっと……何でこんな所に寝てたんだっけ?」


 どうにか最後の記憶をたどろうとする。えっと……確かギルドをクビになって、それから――


 ギシ……。


「!」


 その時、部屋の外から床板が軋む音が聞こえた。それは徐々に近付いてきて、部屋の前で止まる。……何者かが、ドアの前にいる。


 いつでも飛び掛かれる体勢を取りながら息を潜めていると、部屋のドアがゆっくりと開き――


「……あ。目が覚めたんですね! 良かった!」


 エプロン姿の美少女が俺を見て、ほわっとした笑顔を浮かべた。


「えっと……?」 

「あ、私はマシュって言います。身体のお加減はいかがですか?」

「え? いや、別に何ともないけど……ごめん、ちょっと記憶が曖昧で。何でここにいるのかも思い出せないんだけど……」

「お兄さん、うちの前で倒れてたんですよ。それで、とりあえず介抱を」

「あ――」


 思い出した。王都を出てハンメルまでたどり着いたものの、途中で意識を失ったんだ。多分、疲労や空腹などが重なったんだろう。


「それはご迷惑をお掛けしました。あと、介抱してくださってありがとうございます」

「いえいえそんな! 私が勝手にやった事ですから!」


 俺が礼を言うと、マシュさんは慌てた様子でパタパタと両手を振った。


 ……出会ったばかりだけど、すごく善い娘だな。王都を出た経緯が経緯だけに、彼女の優しさが心に沁みる。


「あ、あの……食事ができてるので、良かったらどうですか?」

「え、いや、そこまで世話になるわけには――」


 ぐぐうぅ。……今までの人生で、一番と言っていいほどの大きな腹の音がした。


 沈黙が痛い。顔がどんどん熱くなっていくのを感じる。


「そ、その、プフッ、し、下に、どうぞ……!」

「……はい」


 うん。気を遣ってくれるのは嬉しいけど、いっそ爆笑してくれた方が気が楽かもしれない。


          ◇


「その……あまり生活に余裕がなくて。質素な物しか出せませんが」

「とんでもない。とてもありがたいです」


 テーブルの上には、木の深皿に入った料理が一品。穀物を野菜などと一緒に煮込んだ、一般家庭ではよく食べられている料理だ。


 確かに、お世辞にも豪華な料理ではないだろう。だけど、今の俺にとっては何よりも素晴らしいご馳走に見えた。


「うん、とても美味しそうだ」

「っ……ど、どうぞ。召し上がってください!」


 皿と同じく、木で作られたスプーンを手に取る。それを差し込んで料理をすくい上げると、温かい湯気が立ち上ってきた。


 息を吹きかけて少し冷まし、ゆっくりと口の中に流し込む。そして、じっくりと味わいながら咀嚼そしゃくした。


「ど、どうですか……?」

「――――」

「あ、あの……」


 マシュさんが心配そうに尋ねてくるが、それに答える余裕はない。


 俺はスプーンを握り直し、一口また一口と料理を口に運んで行く。手と口が、まるで自分のものではないかのごとく止まらない。


 最初に感じるのは、見た目とは裏腹なしっかりとした強い風味。その後に野菜の優しい甘みがやって来て、後味をスッキリとさせる。


 絶妙に食感を残した雑穀も良い。噛めば噛むほど中からじわりと美味しさが染み出して、全く飽きが来ない。

 

「く、ぅ……」

「……お兄さん?」

「美味い……美味い……!」

「あ……」


 視界が滲む。勝手に涙が溢れてくる。あぁくそ、せっかくの美味しい料理が塩辛くなるじゃないか。


「フフ、好きなだけ食べてください。お代わりもありますから」

「……うん」


 慈愛に満ちた優し気な微笑み。子を見守る母とは、こういう感じなのだろうか。


 ……俺は、母親の顔すら知らないが。


 物心ついた時には孤児院にいた。だから親の顔も名前も、生きてるか死んでるかすらも知らない。


 それでも、周りには似た境遇の子ばかりだったから悲しくはなかった。それに、孤児院の大人たちは優しかったし。


 この料理も、孤児院にいた時にはよく食べた物だ。年老いた院長が手ずから作ってくれた、俺にとっての母の味――


「あ」


 カツンと、木の器とスプーンがぶつかった。いつの間にか、綺麗に完食していたらしい。


「お代わり、どうですか?」

「……お願いします」


 恐縮しながらも、器をそっと差し出す。


 俺にとっては懐かしい味。だがそれだけではない、単純に今まで食べてきた物よりも格段に美味い。


 顔馴染みの冒険者がおごってくれた酒場飯も、直属の上司が連れて行ってくれたレストランのコース料理も美味かったけど……これは格別だ。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


 なみなみとお代わりの盛られた器が差し出される。……ああ、そうか。


 仕事も居場所も失って。どうしようもなく悲しくて、寂しくて――腹が減って。


 そんな時に差し出されたこの一杯が、美味しくないわけないじゃないか。


「……美味い」


 涙を堪えながら、また一口食べる。きっとこの先、これより美味しい食事に巡り会う事はないだろう……そう確信しながら。

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