2025年7月の陰謀論~私が見た『私が見た未来』~
蟹場たらば
理屈と膏薬はどこへでもつく
「いよいよ7月ね」
朝刊を手にリビングへ戻ってくると、妻にそんなことを言われた。
誕生日はもう過ぎているし、結婚記念日はまだ先である。かといって、外食や旅行の約束をした覚えもなかった。
「……何かあったっけ?」
「大災害が起きるっていう話じゃない」
答えを聞いて、私はむしろ安堵を覚えていた。起こるか分からない災害よりも、妻を怒らせる方がよほど怖かったからだ。
「そういえば、なんかテレビでやってたな」
「たつき
1999年には、その作品をメインにした短編集を出すことになって。締め切り直前に見た夢から、表紙に〝大災害は2011年3月〟って書いたのよ」
それから十年以上も時間が流れて、書いた本人でさえ予知夢のことは忘れてしまった。けれど、該当する年月の11日に、実際に歴史に残るほどの大災害が発生した。東日本大震災である。
結果、「漫画家の予知が当たった」とネットで注目を集め、テレビや雑誌などでも取り上げられるようになったのだという。
「作者の人、また予知夢を見たから、2021年に新しく完全版を出したらしくて。2025年7月に、大災害が起きるって言ってるんですって」
妻はわざわざスマホの画面を――ニュースサイトの記事を見せてきた。私が予知の話を知っていながら
しかし、一度当たったからといって、二度目もそうなるとは限らないだろう。
「東日本大震災の時は、たまたま当たっただけなんじゃないか?」
「昔から予知夢を見てたって言ってるでしょ。他にも有名人が病死するとか交通事故に遭うとか、いろいろ言い当ててるみたいなのよ」
◇◇◇
朝食と着替えを済ませると、私は会社へと向かった。マンションからバス停まで歩き、列の最後尾に加わる。
「いよいよ7月ですね」
隣人が前に並んでいたので一声掛けると、そんな返答がかえってきた。
彼とはしばしばバス停で一緒になるため、顔を合わせれば挨拶を交わす程度の関係はできていた。けれど、そこから雑談に発展するのは珍しいことだった。
「もう一年の半分が終わったんですね。早いものですね」
「大災害が来るという話はご存じないですか?」
当たり障りのない話題として、月代わりを持ち出してきただけかと考えていたが、どうやら違ったらしい。話を合わせるために、私は家でした会話を思い出す。
「ええ、知ってますよ。漫画家が予知をしたんですよね」
「そういう夢を見たってだけですけどね」
「うちの妻なんか、すっかり信じちゃってるみたいで」
「それはありえないでしょう」
笑い話をしたつもりが、想像よりも強い口調で否定されてしまった。
『私が見た未来』の予知について、何か思うところがあるようだ。
「東日本大震災を予知したなんて言われてますけど、漫画家が書いたのは年と月だけですからね。日にちや場所、災害の種類なんかにはまったく言及してないわけです。
これは他の予知も同じで、何が起こるのかいつ起こるのかが、曖昧なものしかありません。そうやって幅を広く取っていいなら、いくらでも当たったことにできてしまうでしょう」
たとえば、フレディ・マーキュリーが死ぬ夢を見たと言うだけで、死因がエイズとまでは言っていなかったり。ダイアナ元妃の夢を見たと言うだけで、交通事故死するとまでは言っていなかったりするらしい。そのため、隣人からすれば、ただの夢を災害や事件に強引に当てはめて、予知夢だと主張しているようにしか思えないのだそうである。
「だから、今回の予知は、一種の霊感商法なんじゃないかと考えているんです」
「詐欺ってことですか?」
「東日本大震災の件で有名になって、『私が見た未来』の古本が高騰したって話は知ってます? 一時期は50万くらいになったそうですよ。
それを見て、漫画家や出版社は、復刻すれば儲かると考えたんでしょう。〝本当の大災難は2025年7月にやってくる〟って新しい予知を目玉にして、完全版を出すことにしたんです」
妻のように、漫画家の予知能力が本物だと信じている人間がいるのだ。その中から、不安に駆られて復刻本を購入する者が出ても不思議ではない。
しかし、ちょうどこの隣人のように、信じない人間だって大勢いるはずである。
「そんなに上手くいくでしょうか?」
「実際、100万部を超えるベストセラーになったみたいですよ。今年になって、さらに別の本まで出してますし」
◇◇◇
オフィスに着くと、私は始業を待たずに仕事を始めた。それでも溜まった書類に苦戦して、社員食堂に行くのが遅い時間になってしまった。
「いよいよ7月が来たな」
正面の席に座りながら、同僚がそう声を掛けてきた。
課こそ違うものの、彼とは同期入社という間柄である。それにもう三回目だったので、何が言いたいのか大体予想はついた。
「もしかして、大災害が起こるかもって話か?」
「ああ、さすがにお前も知ってたか」
「お隣さんなんか、あんなの霊感商法と変わらないって怒ってたよ」
「それはありえないだろう」
笑い話をしたつもりが、想像よりも強い口調で否定されてしまった。
『私が見た未来』の予知について、何か思うところがあるようだ。
「東日本大震災の時は、確かに〝大災害は2011年3月〟って言っただけだった。でも今回は、フィリピン海の地震だか噴火だかが原因で大津波が発生するって、かなり具体的な予知をしてる。
本当に人を騙すのが目的なら、詳細はできるかぎりぼかして、いくらでもこじつけられるようにしておくはずだろう」
他にも、「周辺の国に東日本大震災の三倍の高さの津波が押し寄せる」「フィリピン、台湾、香港が陸続きになる」などと発言しているという。同僚の言う通り、ここまで明確な予知をしてしまったら、はずれた時に言い訳するのは難しいに違いない。
「だから、霊感商法じゃなくて、災害対策が目的なんじゃないか」
「どういうことだ?」
「予知を信じるやつは当然、防災グッズを買ったり避難経路を確認したりするだろ。信じないやつだって、日本が災害大国ってことを意識させられて、やっぱり対策をするはずだ」
「そのために本を出したって言うのか? ずいぶん正義感の強い漫画家だな」
「違う違う。漫画家に乗っかって、政府が噂を広めたってことだよ。防災意識が高まれば、復興に必要な費用を抑えられるし。それに防災グッズが売れて消費が増えれば、景気回復にも繋がるしな」
以前に、自民党と取引のある企業が、業務としてSNSで他党を攻撃していたのが発覚したことがあった。この一件から、「自民党はネット工作員を雇って、世論操作をしていたのではないか」という疑惑が持ち上がった。同僚は今も同じような工作が行われていると考えているようだ。
しかし、疑惑はあくまで疑惑であって、確たる証拠が挙げられたわけではない。
「それはいくらなんでも考え過ぎなんじゃないか?」
「気象庁がわざわざ〝予知は非科学的だけど、災害はいつ起きてもおかしくないから備えろ〟なんて声明を出してるんだぞ。もう自白したようなもんだろ」
◇◇◇
昼食のあと、私はオフィスに戻らなかった。午後は得意先へ行く予定になっていたからである。
「いよいよ7月になりましたね」
商談に入る前に、取引相手はそんな話を振ってきた。
予知夢の件に関しては、正直もううんざりしていた。けれど、仕事で来ている以上、彼女におざなりに答えるわけにもいかなかった。
「大災害が起こると言われているんですよね。弊社の社員の中には、防災のために政府が噂を広めているなんて深読みをする者までおりまして」
「それはありえませんよ」
笑い話をしたつもりが、想像よりも強い口調で否定されてしまった。
『私が見た未来』の予知について、何か思うところがあるようだ。
「噂が国外にも伝わったせいで、特に東アジアからの観光客が減少しているようですからね。インバウンドビジネスを推進している日本政府からすると、広めるどころか打ち消したいはずでしょう」
昨年の7月に比べて、航空券の予約が80%以上も減っている国まであるという。また最終的な経済損失が、5000億円を超えるという予測さえ出ているそうである。観光業界ひいては日本政府としては確かに大ダメージだろう。
「だから、広めているのは日本じゃなくて、外国の政府なんだと思いますよ」
「何の目的でそんなことを?」
「国内の資本が流出するのを防ぐためです。なかでも怪しいのは中国ですね。過去にも訪日ツアーを減らすように旅行会社に指導したり、国外での人民元の引き出しを制限したりしていますから」
訪日客が最も減少したのは、中国の特別行政区である香港だという。これは一般的には、風水が根付いているために、予知を信じる人間が多いことが原因だと言われている。ただ取引相手は、中国政府が香港の文化を利用していると考えているようだ。
しかし、中国人の観光客が減ったといっても、それはあくまで日本に限った話である。
「日本旅行を控えるだけで、代わりに別の国に行くのではないですか?」
「日本にだけは金を渡したくないということでしょう。反日感情を持った中国人は少なくないですからね」
「でも、台湾でも噂は広まっているのでしょう? あそこは親日だったと思うんですが」
「それも中国政府の工作ですよ。台湾有事の際に横やりを入れられないように、日本と台湾を分断させようとしているんです」
◇◇◇
「……と、今日は一日ずっと、そんな調子でしてね」
妻や取引相手たちのことをひとしきりぼやくと、私はグラスを口に運んだ。
漫画家が霊感商法で一儲けしようとしているだの、政府が防災対策のためにネット工作をしているだの、妙な話ばかり聞かされて疲れてしまった。そのため、退社後、バーに寄っていくことにしたのだった。
「それは大変でしたね」
私の愚痴に、バーテンダーはただただ苦笑を浮かべるだけだった。『私が見た未来』やその流行に対して、あれこれと屁理屈を並べ立てるようなことは決してしなかった。
彼はどの陰謀論にも否定的なのだ。
だからこそ、私はこの話題を続けることにした。
「いろいろ考えてみたんですけどね。こうやってめちゃくちゃな話を広めて、災害なんて起こらないって思い込ませるのが目的なんじゃないでしょうか」
「えっ?」
一転して、バーテンダーは呆気に取られた顔をする。
どうやら陰謀論に否定的なだけで、まだ真実には気づいていなかったようだ。
「だから、7月には何も起きないって日本国民を油断させて、被害を拡大させようとしてるんです。何者かが日本を滅ぼそうとしてるってことですよ。
「言いたいことは分かりますよ。いくら油断させたところで、地震が起きなきゃ意味がないってことでしょう? でも、調べてみたら、人工地震ってものがあるみたいじゃないですか。
なんでもアメリカを裏から支配しているディープステートという組織があって、地震を起こす兵器を持っているんですってね。東日本大震災も能登半島地震も、その兵器によるものだとか。
「そうそう、東日本大震災といえば、例の漫画家が予知をしていたんでしたね。あれって実は予知じゃなくて、地震兵器が使われることを前もって聞いていただけなんじゃないでしょうか。漫画家ならファンの中にディープステートの関係者がいてもおかしくないですから。
ただ本来は軍事機密だから、大々的に広めてしまったら自分の命が危ないかもしれない。そこで、あくまで予知夢という形で、世間に地震の話を伝えて――」
(了)
2025年7月の陰謀論~私が見た『私が見た未来』~ 蟹場たらば @kanibataraba
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