第8話:輝の視線
最近、学校で「わかP」の話題を
耳にすることが格段に増えた。
昼休み、友だちと他愛ない話をしていると、
必ずと言っていいほど、誰かが口にする。
「ねえ、昨日『わかP』の新曲聴いた?」
「もちろん! やっぱ今回も歌詞が神ってる!
デュエットの声も最高だよね!」
なんて、熱のこもった声が聞こえてくる。
まさか、こんなに有名になるとはな。
クラスの女子だけじゃなく、
男子の間でも、スマホで動画を共有し合ったり、
口ずさんでいる奴もいる。
どこに行っても、その名前を耳にするようになった。
俺、月島輝は、何気なくスマホでYouTubeを開いた。
いつもはバンドの練習動画とか、
最新のロックバンドのMVとかしか見ないのに、
その日はなぜか、意識せずにおすすめに出てきた
「わかP」の動画をタップしていた。
デュエット動画の『ふたりでなら』。
「最近よく見るな、この動画……」
そんな独り言を呟きながら、軽く再生してみた。
正直、ボカロ曲にはあまり興味がなかった。
機械的な声に、何を感じればいいのかと、
どこかで少し、偏見を持っていたのかもしれない。
だが、イントロのピアノの旋律が流れ出した瞬間、
その透明感のある歌声に、
俺はすぐに引き込まれた。
機械的なはずなのに、
どこか切なくて、胸に直接語りかけてくるような。
コメント欄に書かれていた
「無色透明な声なのに心に響く」
という言葉が、まさにその通りだと思った。
まるで、空気そのものが歌っているような、
そんな不思議な感覚だった。
俺の頭の中に、その歌声が染み込んでいく。
そして、ボカロの歌声に重なるように、
リアルボイスの歌声が聞こえてくる。
その声は、繊細で、どこか儚くて、
それでいて、確かな芯を感じさせる。
まるで、傷つきやすくて、
でも決して折れない、
そんな強い心が宿っているようだった。
歌詞も、なんというか、妙に惹きつけられる。
『寂しかった心に 光灯すように』
このフレーズが、頭の中で何度も何度も繰り返される。
切なくて、でも温かい。
俺たちが表現するハードロックの
むき出しの衝動とは、
全く違う種類の感情がそこにはあった。
静かに、だが確実に、
俺の心の奥深くに染み渡っていく。
普段、歌詞なんて気にしない俺が、
一言一句、聞き逃したくないと思った。
この歌は、誰に向けて歌われているんだろう。
どんな想いが込められているんだろう。
純粋な好奇心が湧き上がった。
「いい曲だな」
純粋に、そう思った。
音楽に貴賎はない。
迷わず、お気に入り登録のボタンを押す。
これほどまでに心を揺さぶられたのは、久しぶりだった。
何度でも聴きたくなる。そんな衝動に駆られた。
その時はまだ、
「わかP」の正体なんて、
全く気づいていなかった。
ただの一リスナーとして、
この心地よい音楽に魅了されていた。
まさか、それが、
学校で見かける、あの地味な、
いつも俯いている妹の歌だとは。
そう考えもしなかった。
俺の周りには、いつも賑やかな奴らがいるから、
和歌の存在なんて、
ほとんど意識していなかったのだ。
数日後、また別の日。
教室で、友だちの瀬戸がスマホで
「わかP」の動画を見ているのが目に入った。
「やっぱ、この曲いいよなー。
俺、特にサビの『透明な声が 夜空を翔ける』ってとこ、
まじで感動するわ! 鳥肌もんだぜ!」
瀬戸の熱い言葉に、俺も頷く。
本当に、この歌詞は響く。
耳馴染みが良くて、一度聴いたら忘れられない。
口ずさんでしまいそうなほどだ。
いつの間にか、俺もこの曲の虜になっていた。
放課後、バンドの練習まで時間があったので、
ふと、校舎の窓から中庭を見下ろした。
そこに、神楽坂和歌がいた。
いつもと同じように、
一人でベンチに座って、本を読んでいる。
周りの生徒たちが騒がしく行き交う中でも、
彼女だけは、まるで別の場所にいるみたいに、
静かで、ひっそりとしていた。
その姿は、まるで絵画のようだった。
その静けさが、妙に心に引っかかった。
彼女を見ていると、
なぜか「わかP」の歌声が、
頭の中で自然と再生された。
あの、儚げで、どこか寂しげな雰囲気。
そして、繊細で、どこか孤独を感じさせる歌詞。
『ざわめく街の 片隅で
誰も知らない 小さな部屋で』
そんなフレーズが、彼女の姿と重なる。
偶然にしては、あまりにもぴったりしすぎている。
いや、まさか、そんなはずはない。
「……まさか、な」
ありえない。
あいつは、いつも関西弁だ。
俺の妹の怜と同じ、こてこての関西弁だ。
ボカロの声とデュエットしているリアルボイスは、
とても綺麗な標準語。
そのギャップは、あまりにも大きい。
それに、あんな地味なやつが、
こんなにも心に響く歌を作れるはずがない。
いや、作れるはずがない、なんて言い方は失礼か。
少なくとも、俺の知っている神楽坂和歌とは、
全く結びつかない。
そう自分に言い聞かせる。
でも、どこか拭いきれない違和感が残った。
一度芽生えた疑問は、頭の中でぐるぐると渦巻く。
まるで、解けないパズルみたいに。
それからも、俺は「わかP」の動画を聴き続けた。
聴けば聴くほど、
その歌声と歌詞が、俺の心を掴んで離さない。
通勤中も、練習の合間も、
気づけば「わかP」のプレイリストを流している。
その透明な歌声が、俺の日常に、
確かな彩りを与え始めていた。
無意識のうちに、学校で和歌の姿を探すようになった。
廊下ですれ違う時、
彼女が俯いて何かを書いている姿を見かけると、
「もしかして、あいつも、
『寂しかった心に』って思ってんのかな」
なんて、柄にもなく考えてしまう。
体育の授業中、隅の方で小さく体操をしている姿。
図書室で、静かに本を読んでいる姿。
その一つ一つの仕草が、
「わかP」の歌声と、奇妙に重なって見えた。
ある日、クラスで男子たちが
「わかPの次の曲、どんなんだろうなー!」
と話しているのが聞こえた。
「あのリアルボイスの子がまた歌うのかな?」
「次はどんな歌詞で、俺たちの心を抉るんだろうな!」
そんな声を聞きながら、
俺は和歌の姿を探した。
彼女は、いつも通り、
誰とも目を合わせずに、
ひっそりと自分の席に座っている。
その横顔を、俺はしばらく見つめていた。
彼女の顔には、何の感情も浮かんでいないように見える。
しかし、俺には、その内側に、
計り知れない深さがあるように思えてならなかった。
この時点では、まだ確信には至っていない。
ただの偶然だ。
そう思おうとする。
けれど、月島輝は、
一人のリスナーとして、
そして、一人の音楽を愛する者として、
「わかP」の音楽に、深く魅了されていた。
そして、その魅力の源泉が、
あの神楽坂和歌にあるのではないかという、
漠然とした、だが確かな予感に、
胸をざわつかせていた。
彼女の知らないところで、
俺の視線は、和歌の「秘密」に、
少しずつ、だが確実に近づいていく。
この音楽との出会いが、
俺たちの関係をどう変えるのか、
その予感は、まだ漠然としたものだった。
しかし、俺の心は、
すでに大きな波紋を広げ始めていた。
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