第36話 変化した物語
平穏な昼下がりの広場に、異質なアラートが鳴り響いた。
――『《警告》。ダンジョンのスタンピード危険指数が、限界値を超過しました……』
一瞬、誰もその意味を理解できない。
「うわあぁぁ! に、逃げろ!!」
誰かが叫ぶ。
切羽詰まったその声に、人々はようやく事の重大さに気付いた。
「わあぁぁぁぁぁ!」
広場やその周辺にいた大勢の人々が、蜘蛛の子を散らすように一斉に走り出す。
避難は始まったものの、混乱の波はすぐに広がっていく。
「わっ、人が……危ない!」
「何だ!? 突然現れて……邪魔だ!」
逃げ惑う群衆の中に、突如として完全装備の人間たちが現れ始めた。
ダンジョン内部にいたはずの冒険者たちだ。
「ここは……広場? 地上に転送されたのか?」
「ぎゃっ、踏むな! 誰だよお前!」
「どいて! これじゃ逃げられない!」
「誰かが攻略したのか? なぜ転送が……」
状況を飲み込めない冒険者と、避難を妨げられた市民が衝突し、混沌に拍車がかかる。
「落ち着け!! スタンピードだ! 冒険者は魔物の襲来に備えろ!」
いち早く理解した壮年のベテランが怒号を上げる。
「そんな……まさか!? 危険指数は正常値だったはずだ!」
「おい、そんなことより逃げるぞ!」
「はあ? 冒険者が何を言っている!」
困惑する者、力を持ちながら逃げ出す者、突然の事態に正しい行動を取れる者はほとんどいなかった。
だが――本能的な逃避行動だけは、誰もが取っていた。
やがて広場中心から人影が消える。
その時、中心にあったダンジョンの入口が――流動を始めた。
内部より圧倒的に小さい現出していた外装が、大地を砕きながら口を開けた入口へと吸い込まれるように流れ込み、
外が中へと練り込まれていく。
残されたのは、頭蓋骨ほどの大きさを持つ、どす黒い球体だった。
ダンジョンコア。
緩衝空間を通さず、現世にて”星の純魔力が流れ出す特異点”が脈動を始める。
脈動は、もはやコアだけに留まらない。
形なき暴力の気配が膨れ上がり、やがて巨躯の輪郭を描き始める。
その足元から異変は伝染した。
広場の石畳が砕け、大地はめくれ上がり、黒く変質していく。
やがてそれは、コアを中心に魔法陣めいた模様を描き出し――
瞬く間に広場を越え、周囲の道路をも覆い尽くしていった。
「……まじか」
誰の呟きか分からない。
だが、避難する人々の足元を覆う不吉な紋様を見て、全員が同じ思いを抱いただろう。
紋様の中から、せり上がるように魔物の群れが生み出される。
舗装された道を砕き、人を押しのけ、建物すらもその出現を止めることはできない。
広場を中心に崩壊した街を埋め尽くすのは、赤く輝く眼窩と黒い瘴気を纏うスケルトンたち。
そして――その群れの中心に鎮座するのは、今にも腐り落ちそうな巨大な肉体を持つ腐竜だった。
轟く咆哮が、街全体に絶望を告げる。
*
「そんな……ゲームでは、こんな展開なかったはずなのに」
次々と這い出してくるスケルトンを前に、僕はただ呆然と立ち尽くしていた。
ゲームのシナリオでは、《大いなる日蝕》の演出とともに結界魔法陣が内部から爆破され、そこへ魔族の軍団が転移してくる――そのはずだ。
街中でスタンピードなんて、あり得なかった。
スタンピードから現れる魔物は、本来なら脅威度の低い存在。
だが、奴らは飢餓状態で現れる。
いわば、常時バーサーカーモード。
吹き出す瘴気、妖しく光る眼窩――それが何よりの証拠だ。
奴らには戦術も戦略も存在しない。
ただ、ただ目の前のものを喰らうためだけに動く。
一体ならば問題はない。
だが、それが群れとなれば……。
「うわぁぁ!」
「た、助けてくれ!」
「冒険者は市民を守れ!」
「無茶を言うな! 自分守るだけで精一杯だ!」
四方から飛び交う悲鳴に、ハッと我に返る。
そうだ、呆けている場合じゃない。
街の人々は必死に逃げ惑う。
だが、その進路に魔物が出現してしまえばどうしようもない。
熟練の冒険者もいるが、彼らとて守れるのは手の届く範囲だけ。
百の敵を斬れる冒険者でも、千の敵に押し潰される。
――スタンピードとは、そういう災害だ。
他人を気にしている余裕がないのは、僕も同じだ。
何体ものスケルトンが、肉を喰らうために迫ってくる。
その動きは、他のスケルトンよりも速く、力強い。
「……ハズレスキルもいいとこだな!」
神の加護――つまりステータスが強化されたスケルトンを、技術でねじ伏せる。
救いは、強化されているのが僕を狙った個体だけということだった。
周囲を見れば、冒険者たちはそれぞれ応戦し、苦戦はしていない。
「いやぁぁ!! 誰か、助けて!」
混乱の広場に、悲鳴が響いた。
怒号の中でも、その声だけは不思議と僕の耳にハッキリ届く。
スケルトンの噛みつきを、淡い赤い膜がかろうじて防いでいた。
しかし、その防御は一瞬で砕け散る。
「……っ!」
考えるより先に、体が動いた。
「大丈夫? お姫様。ケガはない?」
「!! お兄ちゃん、血が……!」
少し前に迷子になっていたところを助けた少女だった。
さっき、広場で声を掛けてくれた子だ。
恐らく彼女自身の持つスキルの常時発動《恩恵》による自動防御が働いたのだろう。
スキル自体は、別に10歳で授かるわけではない。
儀式と実情は違う。
「良かったね。君は“当たりスキル”だ。《鑑定の儀》が楽しみだね」
背中には鋭い痛みが走っていたが、出来るだけ優しい声で言葉をかける。
縮地で無理やり割り込んだせいで、十数体ものスケルトンに一斉に狙われた。
絶体絶命――そう思った、その時。
僕の周りに群がったスケルトンの頭が、次々と矢に貫かれる。
「……はは。助かったよ、テックロア!」
見上げれば、三階建ての屋根の上に弓を構えるテックロアの姿。
矢の雨の中、僕が手を振って礼を伝えると、彼はサムズアップで応えてくれた。
「誰かは知らんが、助かった!」
「退避だ! 動ける者は負傷者を担げ! 冒険者は防衛陣を――!」
テックロアの《さみだれ矢》によってスケルトンの包囲網が崩れ、その隙を冒険者たちは見逃さなかった。
誰もが互いを助け合いながら、魔物の領域から必死に逃げ出す。
僕も少女を抱え、全力で駆ける。
もちろん、中には無責任に一目散で逃げ出す者もいた。
だが、それを責める者はいない。
逃げられるのは、“まだ動ける者”だけだからだ。
そして僕たちは――後ろを振り返ることができなかった。
そこには、助けられない人々が、まだ残っているから……
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