第35話 学園都市のいちばん長い日
王都に隣接する学園都市には、資源ダンジョンが三つ存在する。
亜空間で構成されたダンジョン内部には、レア鉱石をはじめ、希少植物や魔物由来の素材など、まさに宝の山が広がっている。
日々、冒険者たちはダンジョンに潜り、得た素材を持ち帰る。
それらは学園都市や王都の商社、研究機関によって買い取られ、新たな製品へと姿を変えて世に送り出される。
ダンジョンとは、多くの人間が欲する“金の成る木”なのだ。
――だが、それが命を脅かす存在であれば、話は別である。
かつては危険視されたダンジョンだったが、多額の資金と年月を投じた研究の結果、通常状態のダンジョンから魔物が“自然発生して地上に出てくることはない”と判明した。
そう。ダンジョンが外界に脅威をもたらすのは、《スタンピード》――
ダンジョンコアが地表に露出する特殊な現象が発生したときのみだ。
さらに、スタンピードの兆候についても、とある天才の発明した魔導測定器により“危険指数”として可視化できるようになった。
人は、「安全だ」と確信すれば、今度は利便性を求める。
ダンジョンの入口周辺には宿屋や換金所が立ち並び、やがて町が形成される。
学園都市の三つのダンジョンも例外ではなく、入口広場は露店が並ぶ自由市場となり、その周囲にも多くの店舗が軒を連ねるようになった。
今やそこは、冒険者はもちろん、一般人までもが集まる“市場の要衝”となっている。
そう、スタンピードさえ起きなければ――
ダンジョンの周辺は、今日も”安全な場所“として多くの人が買い物を楽しみ、賑わっている。
……スタンピードさえ、起きなければ。
*
「駄目だ、学園には侵入できないね。警備が、いつもより増えてるらしいぜ」
テックロアが集めてきた情報は、プランAを潰すには十分な内容だった。
「冒険者の募集も終わっちまってるからな、結構な報酬らしいぜ。有名どころは、ほぼ参加してたわ」
「大いなる日蝕が近いからの。結界が弱まるとなれば、貴族子女の護衛も増えるじゃろ」
ボブマーリンの言葉にうなずきながら、僕は改めて状況の厳しさを噛みしめる。
僕たちはラダトゥース辺境伯領から学園都市まで、通常なら二十日かかる旅路を、わずか十二日の強行軍で走破した。
それが可能だったのは――ジョーカス・オーザラックの協力があったからだ。
彼のチームが開発した最新鋭の魔導馬車。
無理を言って、それを使わせてもらったのだ。
『ちょ〜っとばかし強くなったからって、くそ雑魚ナメクジなのは変わんないよ〜?
調子に乗らないでいただけますぅ? ジョーカス様のお言葉がなければ、5回は殺してます♡』
……彼の部下と思われるメイドには、道中ずっと嫌味を言われっぱなしだったが、命令には忠実だった。
ちゃんと学園都市まで送り届けてくれたし、文句は言えない。
結局、名前は教えてくれなかったけど……。
「大丈夫。キースの先生、わたしが守る!」
ふんすふんすと鼻息を荒くしながら、ラシュティアが気合を入れる。
移動中に、僕たちは互いの情報を共有していた。
学園襲撃の日時が予測できるなら、リュシアーナを事前にさらってしまえば安全だ――
そんな意見も出たが、問題は“接触そのもの”が極めて難しいということだった。
襲撃のタイミングは、《大いなる日蝕》。
空に浮かぶ二つの月――“夫婦月”と太陽が一直線に並ぶ、数十年に一度の天体現象だ。
この並びの瞬間、空間の魔力が乱れ、魔法や魔道具、そして防衛結界までもが不安定になる。
魔族は、その瞬間を狙ってくる。
もちろん人間側も、それを予期して対策は取っている。
だが――魔族の軍勢は、想像を超える規模で襲いかかってくるのだ。
「……結局、襲撃時に乗り込むしかないのか」
手に入れたはずの猶予は、何もできないまま過ぎていく。
焦りは募るばかりだが、今は、ただ耐えるしかない。
《大いなる日蝕》まで――あとわずか。
*
「よお、キース。飯食ってるか? 余りもんだが、これ持ってけよ」
「あっ、お兄ちゃん! この前はありがとう」
「こないだの冒険者さん。またお願いね!」
「キースじゃん、ヒマなら店寄ってってよ。サービスするからさ!」
僕は独りダンジョン広場に来ていた。
すれ違う人々が、好意的に僕に声をかけてくる。
僕は軽く受け答えをしながら、ゆっくりと広場を歩く。
この広場は、アルセタリフ王立英鳳学園へと放射状に伸びる道の一つと繋がっており、その先に学園の外観がよく見えた。
目と鼻の先に、リュシアーナのいる学園がある。
それなのに――僕はそこに入ることができない。
それは、自分自身の過去の行動によって生じた“縛り”でもある。
だからこそ、焦燥感はひどく、日に日に胸を圧迫していた。
そんな僕を救ってくれたのは、ラシュティアの言葉だった。
『助けるの、自分のため』
心が潰れそうになった時、ふと思い出したのだ。
彼女は、日常的に小さな人助けを繰り返していた。
「それは、他人のためじゃなく、自分の心を保つため」――彼女はそう言っていた。
当初はその意味がよくわからなかった。
でも、試しに僕も真似してみたら、はっきりと理解できた。
心に、余裕が生まれたのだ。
今は、人を助けている場合じゃない――そう思っていたはずなのに。
助けてみたら、それだけの余裕があると客観視できて、逆に自分が救われた。
本当は、まだそこまで焦る状況じゃなかったのに――
僕は、“焦らなければならない”と勝手に思い込んでいたのだ。
「……良い街だな。マ・ルトロンも、同じだったんだろうか?」
我ながら現金なものだと思うけど、こうして街の人に優しくされると――自然と、この街が好きになっていくのが分かる。
彼らが僕に優しくしてくれるのは、僕自身が動いた結果だ。
冒険者としての仕事だったり、自分の心の平穏のためだったり――動機は利己的だったかもしれない。
でも、ハーベルバーグ領にいた時の僕は、それすらもしようとしなかった。
……もっと動いていれば、領民のことを好きになれたのだろうか?
領主としての責任を背負う機会は、もう二度と来ない。
けれど――過去の大きな間違いが、心に影を落とす。
過ぎたことを悔やむのは、もうやめよう。
今は、目の前のことに集中するんだ。
《大いなる日蝕》は、もうすぐ始まる。
学園を襲撃する魔族は、街そのものには興味を示さないはずだ。
ならば、この街にいる人々はきっと安全だ。
襲撃が始まり、警備がそちらに向かうその瞬間を狙って、ブラストクエスターズは冒険者として加勢し、僕は隠れて学園に侵入する。
リュシアーナのもとへ――必ず、たどり着く。
僕のスキルで魔族が強化されるのは避けたい。
だから、できるだけ見つからないように、慎重に動く必要がある。
日蝕の時間帯は、物知りのボブマーリンが詳しく教えてくれていた。
広場の時計を見ると、その時刻は、もうすぐだ。
「さて――ちゃっちゃと終わらせて、ゲームシナリオからおさらばするぞ!」
気合いを入れていたそのとき、不意に視界の端に入ったのは、広場の中心にある“ダンジョンの入り口”。
炭鉱の坑口を模した異質なオブジェクト。中には地下へ続く階段がある。
多くの冒険者が何気なく出入りしている中、一人だけ――妙に目を引く人物がいた。
黒いローブに身を包み、顔も覆ったその姿は、明らかに不審者だ。
だが、すれ違う冒険者たちは誰一人、気に留めていない。
僕の中の“何か”が、最大限の警告を鳴らす。
……だけど、体が動かない。
頭に浮かんだのは、ゲームのシナリオ。
学園襲撃は、内部から人間によって手引きされる。
日蝕で結界が弱まったとしても、対策を講じた守りを正面から突破するのは難しい。
じゃあ、誰が手引きするのか――
……“僕”だ。
魔族に唆された“僕”が、人間を裏切る。
……けれど“僕”は、どうやって学園に侵入した?
トゥルーエンドで語られた、ルーレミア・アルセタリフ王女の独白。
あの言葉を思い出せば、おのずと答えが見えてくる。
ならば――この黒いローブの人物は、恐らく……
まるで、時が止まったかのような感覚の中で――
その人物は、誰にも阻まれることなくダンジョンの入口へと歩み寄り、静かに、しかし確かな動作で、“剣のような何か”をダンジョンへと突き刺した。
――『《警告》。ダンジョンのスタンピード危険指数が限界値を超過しました。
周囲の方は直ちに退避してください。これは訓練ではありません。繰り返します……』
広場に設置されたスピーカーから、けたたましい緊急放送が響き渡る。
その瞬間、当たり前の日常が、崩れ去った。
平穏な時代は、今――終わりを告げる。
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