第30話 一度は完走した世界

魔境ガルバド荒野から辺境伯領への魔物の流入が少ないのは、城郭都市メンタタトルの防衛体制だけが理由ではない。

より大きな要因は、都市の北に広がる《ラームタトル大渓谷》の存在だ。


太古の昔――神と龍の戦争によって生まれた“爪痕”だと、言い伝えられている。


名は「渓谷」となっているが、実態は“大地の裂け目”と言った方が正しい。

底の見えぬ断崖絶壁が、地の果てまで続くその光景は、まるで巨大な剣で世界を抉ったかのようだ。


奈落の深淵に繋がっているとも噂され、腕に覚えのある冒険者ですら、容易には近づかない。


……だが、誰もやらないことにこそ、勝機はある。


またひとり、深淵を目指す者がいる。

その、かすかな希望を掴むために。



「いてて……本当に降りられるとは。ゲーム知識って、やっぱり怖いな」


ポーションをあおりながら、僕はぽつりと呟いた。


「多少の落下ダメージは加護で耐えられるとはいえ、あんな小さな足場を辿るなんて……知識がなければ無理だね」


つい独り言が漏れてしまう――って、しまった!

周囲の気配に意識を向ける。……大丈夫そうだ。


ホッと息をつき、少し身体の緊張を緩める。

痛いだけで済んだことに油断していた。気を引き締めないと。


ここは、ダンジョン。魔物の巣窟。

それも、ゲーム中盤でようやく攻略されるような高難度エリアだ。

そんなダンジョンに、ソリッドの隙間――いわゆる“抜け穴バグ”を突いて、ショートカット進入を実行した。


ゲームには“RTA”――リアルタイムアタックという遊び方がある。

現実の時間でどれだけ早くクリアできるかを競う競技だ。


ルールを守りながら、開発の穴をかいくぐり、1秒を削り取るように突き詰める。

執念と狂気の試行錯誤の果てに、それは完成する。


RTAの走者たちは、その努力の結晶を動画として公開してくれていた。


「いやぁ、RTA動画様様だよ。あれは情報の宝庫だった……」


危険だとは分かっているが、不安を誤魔化すために、あえて声を出す。

素早く岩陰に身を潜め、周囲の気配を探る。


今回の狙いは、低レベル攻略でもよく使われていた“魔武器”のひとつだ。

その発端は、とあるRTAのチャートだった。

バグ技ありRTAのレギュレーションでは、最低でも5体のボスを倒す必要がある。

しかしレベルを上げる時間がないRTAでは、少なくとも1体は低レベルで突破しなければならない。


そこで鍵となったのが、攻撃力に依存しない「固定ダメージ」の魔武器――。


「待ってろよ。《爆裂のソードブレイカー》ちゃん。今、迎えに行くからな」


巨大な気配を感じる。

このダンジョンは固定構造で、主に出現するのはトロール、ギガンテス、タイタンといった巨人種だ。


僕たちが“ゲームキャラクター”ではないように、彼らも“ただのデータ”ではない。

ゲームとは違い、魔物の行動に必ずしもパターンはない。

だが――さすがに、今から向かう隠し部屋にはサイズ的に入れないはずだ。


やり過ごすより、進んだ方が安全だと判断する。

一気に走る。


巨人種の脅威度は“上の中”。

中盤のダンジョンでそれが出てくるのは、世界崩壊後に神話級の魔物がポンポン登場する布石でもある。

今、まともにぶつかれば、まず勝てない。逃げ一択だ。


このダンジョンは、荒廃したジオフロントのような構造をしていて遮蔽物も多い。

急げ、急げ。後ろから足音が聞こえる。見つかった。


前方に、周囲の壁とは違う材質の壁が見えてきた。

懐から、街で買っておいた炸裂ポーションを取り出す。


「爆ぜろ……!」


それを壁へと投げつける。


ドカンッ!

爆発音がダンジョン全体に響き渡った。


「やっぱ、でかい音がするよね!」


……もう、音を気にする必要はない。どうせ魔物たちにはバレた。


だが、ここまでは“計画通り”――。




崩れた壁の奥に露わとなった隠し通路へと滑り込み、文字通り、一息つく。

だが次の瞬間、爆音と共に身体が浮き上がった。

足場が激しく揺れ、三半規管が狂いそうになる。


1体ではない。複数のトロールが、外側から壁を叩きつけていた。


「なんて馬鹿力……! こんなん、長く持たないかも」


天井から落ちてくる石片を見て、背筋が凍る。

ゲームとは違い、現実には“安全地帯”などないらしい。


急いで奥へと進み、部屋の中央に鎮座していた宝箱を蹴り開ける。


「ゲームだったら、開封ファンファーレが入ってたのに……」


中にあったのは一振りの剣。

《爆裂のソードブレイカー》。


名の割に、ブレード裏に“剣を折る”ギザギザはない。

見た目は十手……と言うより、巨大な二本の爪があるから、3本指のトカゲの手に見える。


手に取って魔力を流し込むと、爪と爪の間にスパークが走る。


「うん。エフェクトは、ゲームと一緒だな」


数度振って、剣身の重みとバランスを手に馴染ませる。

よし――これなら、ドットから学んだ“すべて”が使える。


その時、一段と大きな揺れが僕を襲った。


「……わかったよ。そんなに急かすなって。逃げる気なんて、ないんだから」


袋小路のようなこの通路で、何度目かわからない独り言。

誰に向けた言葉でもない。


ゲームなら――ここで“デスルーラ”、すなわち意図的な戦闘不能で拠点に戻る選択肢がある。

だが、ここは現実。死ねば終わり。


「ゲームオーバー、ね……。そうだ、ここは“現実”だ。僕は絶対に、彼女の元へ辿り着く」


左手に装備した《回避の籠手》を軽く撫で、ゆっくりと剣を構える。

無名の剣舞――その構え。


夢の中の自分が散々挑戦していた、死亡なしRTAレギュレーションの“三種の神器”。

《爆裂のソードブレイカー》。

《回避の籠手》。

そして――《プレイヤースキル》。


僕はもう、破滅の未来に怯えていた、あの日の“子供”じゃない。


一歩、踏み出す。

細い通路の先には、大量の巨人たちが待ち構えている。


だが、僕はもう臆さない。

必ず、この手で“望む未来”をつかみ取ってみせる。

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