第28話 甘味は用法用量を守って

全身の隅々まで、魔力がゆっくりと巡っていくイメージを膨らませる。

頭の先から足の小指まで、全ての細胞が魔力で満たされていく感覚――

その意識を保ったまま、動きに集中する。


ゆっくりと、けれど確実に。

イメージと肉体の動作を重ね合わせていくように、剣を振る。


三人の剣がぴたりと同じ軌道を描き、鋭い風切り音が重なって耳をつんざく。


ここは、宿の近くにある外壁沿いの広場。

僕は今、ドットの指導のもとで剣の稽古をしていた。

姉弟子ポジションのラシュティアも一緒だ。

これが今の――僕の朝のルーティン。


あれから、弟子入りを申し出てから三か月が経った。


僕たちはラダトゥース辺境伯領内をあちこち移動しながら、冒険者として活動している。

今は、旅の起点にもなった城郭都市メンタタトルに滞在中だ。

魔境に近いこの街は依頼も多く、腕を磨くにはちょうどいい。


『オレは、師匠からの受け売りしか教えられねえけどな』


ドットはそう言いながらも、「一緒に鍛えよう」と言って、稽古に付き合ってくれている。


教えてくれたのは、“名もなき剣舞”――ドットが勝手にそう呼んでいる舞だった。

そもそも彼自身、その流派の正式名称すら知らないらしい。

ただ、子どもの頃に老剣士から教わり、それ以来、何年も欠かさず続けてきたという。


その“剣舞”には、武術としての動きのすべてが詰まっている。

ゆっくりと――と言っても、一般人から見れば十分すぎる速度だが――

一つ一つの動作を丁寧に繰り返し、身体に染み込ませていく。


そして、これを最大限の速度と精度で行ったとき。

それが、技――つまり“剣技”として昇華されるのだという。


「キースは一通り動けるようになったな。あとは、これを続けて身体に馴染ませれば、実戦でも使えるようになるぞ」


汗を拭き、水筒から水を一口含みながら、ドットの評価を聞く。

努力が少しずつ形になっているのは、普通に嬉しい。


「ラシュティアの動きは完璧だから、真似するといい」


名前を出された彼女は、わずかに照れたように視線を逸らす。

でも、何だろう――どこか元気がない気がする。


「今日は依頼もないし、久々に休日ってことでな。テックロアの弓も修理中だし、当分は軽く調整でいこうか」


冒険者の仕事は、波が激しい。

ここしばらくは忙しく、疲労が溜まっていた。

そのせいか、いつもは器用なテックロアが、ちょっとした判断ミスで弓を壊してしまった。


ベテランだって、ミスをする。

――そして、時にはそれが命取りにもなる。


だから今回は、全員一致で「休暇」に決めた。


「というわけで、オレは行くとこあるからな~。あとはよろしく!」


ウキウキした足取りでドットは街へと消えていった。

たぶん……いや、絶対に本屋巡りだろう。


この世界では読書文化は限られていて、本屋はオタクの巣窟だ。

三ヶ月も一緒に旅をしていれば、パーティーメンバーの趣味嗜好なんて自然とわかってくる。


「あたしは……どうしようかな……」


ラシュティアがポツリと呟く。

このまま自然解散でも悪くはない。でも――


「ねえ、暇なら一緒に、喫茶店でも行かない?」


思い切って誘ってみた。

これはもう、立派なデートのお誘いだ。



「人気店って聞いてたけど、思ったより空いてて良かったよ」


僕たちは、メインストリートに新しくできたスイーツ系の喫茶店にやって来た。

もともとは観光客や商人向けの店舗だけど、意外と荒くれ者の冒険者にもスイーツ好きは多いようで、普段はけっこう混んでいる。


来る途中、案内板の前で困っていたおじさんにラシュティアが声をかけ、案内してあげるというハプニングはあったが――無事、席に着くことができた。


「わたし、日頃の行い、いい」


ふんす!と胸を張るラシュティアが可愛くて、思わず笑みがこぼれる。

僕は目の前に置かれた、パラリスト聖王国産のハーブティーを口にする。


うん、淹れ方はまだ発展途上だけど、茶葉自体は悪くない。香りも味も上品だ。

スキル封印アイテム入手のための帝国行きは保留にしているが……このお茶を味わっていると、聖王国にも一度行ってみたくなる。


「キース。あなたは、やっぱり……」


ラシュティアがぽつりと呟き、そして言葉を飲み込むように首を振った。

……しまった。隠しきれない“貴族オーラ”でも出てしまったか?


そんな下らないことを考えていると、彼女があらためて、真剣な表情で僕に問いかけてきた。


「あなたは、なぜ強くなりたいの?」


さっきの訓練で、彼女の様子が少し沈んでいたのを思い出す。

だから僕も、真面目に、ちゃんと向き合おうと決めた。



「というわけで、僕は家を出たんだよ」


すっかり冷めたハーブティーを口に含む。

これはこれで悪くない。冷めたのも味わいがあるから、僕は紅茶が好きだ。


僕は、前世の記憶や夢のことをぼかしつつ、自分の過去を少しだけ話した。


「だから、過去に囚われないように、前に進む力が欲しいんだ」


重く語るつもりはない。だけど隠すほどのことでもない。

話し終えると、ラシュティアが優しく目線を合わせて、そっと微笑んだ。


「キース、がんばったね」


ああ、ずるい。この子、男を沼らせるタイプだ。

これはもう逃げられない……いや、まだだ。ボクハ……ダイジョウブ、ダ。


「似てる。わたしも、前に進みたい」


ラシュティアはそう言って、ほんの少し視線を落とすと――語り出した。


「小さかったころ、村が……滅んだの」


彼女は幼い頃、開拓村で暮らしていたらしい。

だが開拓は、魔物の領域を侵す行為でもある。

当然、その代償は重く、村は魔境から現れた魔物に襲われ、壊滅した。


「ドット、助けてくれた。恩人」


両親の咄嗟の判断で、彼女は逃げ延びた。

そして、たまたま村の近くにいた駆け出しの頃のドットに助けられたのだという。


「ドット、チチになってくれた。ボブ爺は、ジジイ。テックロアは、お兄」


ふふ、テックロアは、お兄。ん? ということは……この流れだと次は――


「キースは、友だち。……わたし、嬉しい」


……いや、まだだ。まだこれからだ。ダメージなんて受けてない。


「わたし、過去を乗り越えたい」


伏せていた顔を上げて、まっすぐに僕を見つめる瞳には、強い意志が宿っていた。


「強くなれば……昔のわたし、助けられる」

「そっか……ラシュティアの方が、ずっと頑張ってるよ」

「でも、わたし、センスない」


――いや、何を言ってるんだこの子。

最強ヒロインの君が、何を弱気なことを。


「そんなわけないだろ。僕よりずっと強いじゃないか」

「ドットの技、使えない。踏ん張れない」


どうやら彼女は、技として“剣舞”を昇華させられないことを気にしているらしい。

身体の使い方が完璧な彼女でも、全力で“技”として放とうとすると、どこかで破綻するのだという。


ゲーム的に言えば、おそらくパラメータの不一致。

現実ではパラメータを自分で操作できないから、何が足りなくて、何を伸ばせばいいのかも分かりづらい。


「キース、伸びしろある、悔しい。……わたし、お姉さんなのに」


そんなことを言いながら、への字口で僕を睨んでくる。

怖くない。むしろ、めちゃくちゃ可愛い。


でも、それも束の間。

彼女はすぐに、いつものヒマワリのような笑顔に戻って言った。


「負けないよ。一緒に、がんばろ!」


――うん、頑張ろう。



帰り道。

街はいつもと変わらず、にぎやかで穏やかだった。


……だけど。


――プルルルル……


お守り代わりに持っていた魔道具が、かすかな音を発する。




それは、モラトリアムの終わりを告げる、呼び鈴だった。

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