第19話 腐れ縁が切れる時

決闘。

アルセタリフ王国は法治国家でありながら、ときに“野蛮”ともとれる裁定がまかり通る。

なぜなら――この国に生きる人々は、常に魔物の脅威と隣り合わせ。

いざというとき、頼れるのは理屈ではなく、“力”だからだ。


即断即決が求められる状況も多い。

議論を待っていれば死が訪れる。だからこそ、この国では“力による裁定”が今なお生きている。


議会制を取り入れつつも、絶対君主が国の頂点に立ち、そして――法に認められた「決闘」という制度が存在するのもそのためだ。


それはもはや“伝統”であり、名誉の証であり、正義の象徴でもある。

どこか野蛮で、だが清々しく、何よりも“分かりやすい”。




黄昏が街を染める頃、学生たちが帰宅の準備を始める時間。

だが、学園の一角だけは熱を帯びていた。


そこは、初代国王がこよなく愛したとされる闘技場。

いま、その場に――無数の魔法光が灯る。


決闘の噂を聞きつけた者たちが次々と詰めかけ、熱気が渦巻いていく。

娯楽の少ないこの国において、力と力がぶつかり合う戦いは、何よりの見世物だ。


しかも、今回は“決闘”――形式張った大会ではなく、個人の誇りと感情が交差する瞬間。

見逃して帰るなどという選択肢は、誰の頭にも浮かばない。


人々の視線は、闘技場の東西に設けられた入場口へと集中する。

約束の刻限まで――あと、わずか。



「うわー、やられた……」


アレンとの決闘が決まったとたん、話があれよあれよと進み、会場まで即座に用意された。

周囲のギャラリーの協力っぷりが、異常すぎる。


……どれだけ娯楽に飢えてるんだよ。ドン引きである。


そんなこんなで、僕は闘技場の東控室に通されていた。

目の前には、学園に預けていた僕の装備一式。けれど――


「うん……やっぱり、ないか。回避の籠手が」


それは“魔装備”と呼ばれる過去の遺物。製法は既に失われており、魔導具とは別の存在だ。

魔導具は現代技術の産物、魔装備は古代の奇跡。比較の対象ですらない。


問題なのは――魔装備は《鑑定》でもしない限り、見た目じゃ分からない。専門家ですら気づかないほどに。

そんな籠手だけが紛失とか……出来すぎている。


「キース様、本当に……決闘なさるのですか?」


人の気配がする。

控室の扉が開き、聞き慣れた声が届く。


「エマミール……なぜ君がここに? アレンの控室にいるものかと」


廊下から話しかけてくる彼女は、扉から入ることなく立ち止まったままだ。


「決闘を止めに来ました。……キース様が負けるところ、見たくありません」


止めに来た?


……そばにもう一人いる気配がある。

おそらくソフィアだろう。何かあったときのための“護衛”か。


しかし――


「……僕が負ける前提なんだな?」


「ええ。魔装備を使っても、レッドボア程度に手こずるあなたでは、キラーベアを討伐したアレンには勝てませんわ」


キラーベア。脅威度“下の上”の魔獣。

ゲームではアレンの初期レベルは“10”。この段階ではそこそこ強い。

しかし、僕の魔装備の情報は、彼女には教えていないはずだ。


「……それは奇妙だな。僕、そんなもの持ってないよ?」


「ふふっ、ご冗談を。私、噂で聞いたんですの」


口元をそっと抑え、エマミールが微笑む。


――“噂”、ね。


知っていそうなのは、あの討伐に同行した騎士団か、ノッディとデーヴあたりだろう。

でも二人は詳細まで知らないし、普通であれば騎士は勝手に喋るような真似はしない。

……が、最初から調べるよう命じていたのか、もしくは、心優しい青年騎士が“可愛そうな婚約者”を不憫に思って伝えたのかもしれないね。


「あら? でも、それらしいものは見当たりませんわね。キース様、手癖の悪い者もいますのよ? お気をつけなさいませ」


彼女は本当に“良い”顔で笑っていた。まるで、嘲笑うように。


――ああ、回避の籠手。やられたな。


商人ジョーカスからは、管理には気をつけろと再三言われていた。

でも、腐っても侯爵家嫡男。誰も僕の持ち物を盗もうとはしなかった。油断してた。

……平和ボケしてたんだな。これからは気をつけよう。


だけど、まあ……うん、なんだろう。不思議だ。

盗まれたっていうのに、憎しみなんて微塵も湧いてこない。


むしろ――どこか、彼女に愛着のような、執着のような。


「そうだね、気をつけるよ。それだけなら……アレンのところへ戻るといい」


そう返すと、エマミールは驚いたように僕を見つめた。

僕が怒り狂うとでも思ってたんだろう。


気持ちは分かる。……僕自身、自分がこんなに冷静なのが驚きだった。


「決闘はやめないよ」


淡々と告げた僕に、彼女はいつもの表情を取り戻す。


「そう……。じゃあ、あなたは負けて、婚約破棄ね」


激昂してもいい場面だった。でも、そんな気分にはならなかった。

怒りよりも、寂しさの方が勝っていたのかもしれない。


「……そうかな? 僕が勝って、婚約破棄かもしれないよ」


付き合いは、もう5年にもなる。

嫌な思いもしたし、面倒もあった。だけど――


「どっちにしても、お別れね」


……不思議と、名残惜しさだけが残った。


「そうだね。さよならだ、僕の婚約者」


僕は、君の婚約者としてダメな奴だった。

君の心に寄り添おうとする努力を、いつしかやめていた。


「ふふ……さようなら、私の婚約者様」


君は、僕の婚約者としてダメな奴だった。

自分の心が何よりも大事だった。


誰が悪いという話じゃない。――お互い様だよね。


僕は静かに、廊下へ通じる扉を閉じる。

そして振り返り、闘技場への扉を見つめた。


……もう、振り返ることはない。


さようなら、僕の婚約者。



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