第17話 未来を憂う少女
――『……在校生代表より歓迎の言葉』
――『生徒会長、フロードリヒト・アルセタリフ王太子殿下』
――『諸君、入学おめでとう。君たちは……』
踊るようにリズミカルな水の舞を見せる広場の噴水。
普段はそこにないスピーカーが設置され、アルセタリフ王立英鳳学園の入学式の演説が流れていた。
聞こえるはずのないその声に、集まった人々は物珍しげに耳を傾ける。
通りすがりの者も、思わず足を止めそうになるが、後ろ髪を引かれながらも先を急ぐ。
もっとも、魔道具の実験が街中で行われるのは、この学園都市では珍しくない光景だ。
事実、この噴水自体も“実験的な魔道具”である。
街のあちこちに新型魔道具が設置されており、都市全体が一種の“研究実験場”として機能しているのだ。
その最先端に立つのが、リュシアーナ教授をはじめとする研究機関「塔」に所属する研究者たちである。
彼女が提唱する「音を飛ばす魔道技術」は多くの研究者の関心を集め、学術界では密かなブームとなっていた。
このスピーカー魔道具もまた、その研究の一環で開発されたものである。
――『続きまして、新入生代表による誓いの言葉』
――『代表、ルーレミア・アルセタリフ王女殿下』
――『皆さん、わたくしは……』
スピーカーから流れる王女の凛とした声に、街の空気が静まり返る。
社交界にでも出なければ耳にすることのない若き王族の言葉。
人々は足を止め、聞き入った。
技術の最先端に触れるこの都市の住人たちは、未来の眩さを疑わない。
今この時、この国が歩んでいるのは、確かに「黄金の時代」なのだと――誰もがそう信じていた。
*
「ふあ〜……眠い」
日当たりのいい回廊を歩きながら、僕は人目も気にせず大きく欠伸をした。
入学式も終わり、教室でのオリエンテーションも滞りなく終了。
どの世界でも、学園長のお話というものは眠気を誘うらしい。
この学園には、クラスごとの教室が存在しない。
生徒たちは必修科目毎に特定の教室に移動するし、選択科目は他のクラスと合同になる。
担任もいないため、事務的な説明だけ受けて、そのまま解散となった。
教室では早速、自己紹介合戦が始まっていたけれど、僕はさっさと退散した。
――慣れ合うつもりなんて、ないからね。
……いや、やめよう。格好つけても、傷に塩を塗るだけだ。
今朝のアレンとのやり取りが、もう恥ずかしすぎて死にたくなるレベルだった。
あんなことの後で自己紹介なんて、無理に決まってる。そっと帰らせていただきました。
まあ、あのクラスには主席入学の王女殿下がいらっしゃるからね。
皆の注目は完全にそっちに向いていたおかげで、僕が抜け出すのも楽勝だった。
こっそり教室を覗き返したら、エマミールがアレンに早速接触してるのが見えた。
……彼女なら、やってくれると信じていたよ。
そんなこんなで、今は人目を避けて構内をふらついている。
「お、ここ……学園襲撃ムービーの場所だ」
何気なく通りがかった中庭。そこにある風景は、昔夢の中で見た“ゲームのカットシーン”とまったく同じだった。
記憶というより、もはや記録に近い感覚。それには感情も懐かしさもないはずなのに、何故か胸がざわつく。
「で……これが“魔王封印の楔”の一つか」
目の前にそびえ立つ巨大な杭のような遺物を見上げながら、僕は無意識に声を漏らした。
その独り言が、静まり返った中庭に響く。
さっきまで遠くで聞こえていた、在校生たちによる新入生サークル勧誘の声は、いつの間にか消えていた。
まるでこの空間だけ、別の次元に隔離されたような――そう、“ダンジョン”にでも迷い込んだような感覚。
「その遺跡は、神眠暦一〇〇二年から存在していると伝えられているの。アルセタリフ王国の建国より前――謎に包まれた遺跡なのよ」
突如背後からかかった女の声に、僕は思わず振り向いた。
「もちろん、王家はその存在理由を知っているわ……でも、隠しているのよ。面白いと思わない?」
そこにいたのは、陽光を反射して煌めくプラチナブロンドの髪を、腰まで伸ばした美しい少女。
どんな宝石よりも価値があると称される美貌の持ち主――
……そして、その隣に、存在を“意識しなければ視界からこぼれ落ちてしまう”ような、曖昧な輪郭の少女が一人。
髪色は……ギリギリ、紫系と分かる。きっと、ゲーム知識にある侍女ジェーンだ。
警戒心が一気に高まる。
教室以外で彼女たちに声をかけられるなんて、まったく想定外だった。
「ごきげんよう、キース様。未来の支配者様と、少しお話がしたいわ」
その美少女――ルーレミア・アルセタリフは、よく通る澄んだ声で、まっすぐ僕を見つめてきた。
「ルーレミア・アルセタリフ王女殿下……」
思わず、その名を口にしてしまう。
自然と首を垂れそうになるのを、なんとか堪えた。
「あら、殿下なんていらないわ。呼び捨てで構わない。この学園では、みな平等だもの」
彼女は微笑みながら、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
吐息がかかりそうな距離。……近い。近すぎる。
「殿下。もし、今朝のやり取りをご覧になっていたのであれば、僕の立場をご理解いただけるかと。貴族の支配者たる貴女に、軽々しく言葉を交わすのは恐れ多いことです」
すると彼女は、ふっと小さく笑った。
「ふふ。大丈夫よ、私は“支配者”にはなれないわ」
一歩、彼女が踏み出せば、唇が触れてしまいそうな距離。
そんな近さで、彼女は上目遣いに僕を見上げた。
その瞳に吸い込まれそうだが、視線を逸らせない。
「わたくしの兄、王太子がこの国の王となる。わたくしはいずれ、公爵家に嫁ぎ、ただの“血の保険”として使われるだけ。……それが、王族の務めでしょ?」
軽やかな口調。けれど、その奥には確かな“影”がある。
王女の立場、妾の子としての葛藤。
だが――彼女が、そんな感傷に浸るタイプの人間でないことは、僕がいちばん知っている。
ゲームの設定をそのまま信じるのは危険だ。
でも、未来に偶然なんてものは存在しない。
彼女は“攻略対象ではない”が、登場人物の中で最も美しいと評された存在。
その正体は、トゥルーエンドでのみ全ての真相を語る“ラスボス”だった。
魔王復活から世界崩壊に至る一連の事件――その元凶。
僕が“世界崩壊そのもの”を止めるのを躊躇った理由の大半が、彼女の存在だ。
彼女を止めようとすれば、それは国家反逆罪に等しい。死ぬ。
そんなリスクを背負って、世界を救っても意味がない。
僕は、そういう“生き汚い”人間なのだ。
「いえ……それでも、あなたは我々貴族の上に立つお方。その事実は、決して変わりません」
「そうかしら?強情なあなたは素敵だけど、卑下するのは良くないわ」
ルーレミアは微笑んだまま、言葉を滑らせる。
「なら……平民から見たら、どう?廃嫡間近のキース。もうすぐあなたは、名ばかりの貴族――実質、平民よ。平民から見たら“支配者”は、領主ね」
唐突な“格下げ”。
でもそこに侮蔑はなかった。ただ、言葉を置き換えただけのように感じられた。
「公爵家には領地を持つことが許されていないの。領主にはなれない。だから――“あなた”の上には立たないわ。違うかしら?」
彼女にとって、貴族も平民も、さして違いのない存在なのかもしれない。
それも、無理はない――彼女のスキルは“未来予知”。
神託の王女。
僕と同じく、幼い頃から“世界の終わり”を知る者。
ただし――彼女のそれは、僕の“ゲーム知識”を遥かに超える。
限定的とはいえ、リアルタイムにビジョンを視ることができるのだから。
僕の知識は、一つの未来しか見ない“記録”。
彼女の能力は、変化する未来を読み取る“演算”。
その時点で、完全な上位互換だ。
……今回は、僕に探りを入れに来たのだろう。
下手な明言は避けた方が良い。
多少失礼でも話題を逸らそう。
「廃嫡の可能性は公言してないはずです。僕の未来が、視えたのですか?」
問いかける声に、揺れる感情を乗せないよう気をつけた。
彼女の邪魔をするつもりはないが、何か“都合の悪い未来”でも視えたのだろうか。
「あら。私のスキル《未来予知》を知っているのね」
ルーレミアがふわりと笑う。
「でも、過大評価しないで。そこまで便利な能力じゃないのよ。限られた条件下でしか視えないし、断片的なビジョンが浮かぶだけ。……あなたの“未来視”ほどではないわ」
――ッ!?
頭の中が真っ白になる。
……え? え??
何を言っている、この腹黒王女。
今、僕の能力を《未来視》って言った? いや、断定した?
「な、何を仰いますか。僕のスキルは“文字化け”スキルですよ。どんな能力か、まだ判明していません」
とりあえず笑顔で誤魔化す。何か言わなければと思った結果、反射的にそう答えていた。
「ふふ、笑顔が引きつってるわよ?」
「は、ははは……王女の未来予知より優れている、なんて突然言われたら、そりゃ驚きますよ」
……なんか、完全に誤解されてる気がするんだけど。大丈夫? 本当に大丈夫?
「いいえ。誤解ではないわ」
ルーレミアは、さらりと断言した。
「あなたが関与している魔導具研究機関、ずいぶんと利益を上げているそうね。他の事業もそう。経済の流れまで読んだ投資行動――まるで、未来のすべてを見通しているかのようだわ。……そう、正にわたくしの《未来予知》の“上位互換”だわ」
ガッテム……!
彼女が僕に興味を持った理由。
それは、今の僕じゃない。
“過去の僕の行動”が――彼女の目に留まってしまったのだ。
「あなた、本当に興味深いわ。どんな未来を見ているのかしらね」
どこかで彼女の自尊心を傷つけたのだろうか。
「皆、気づいていないの。同じ“文字化け”スキルを持つアレンより、あなたのほうが遥かに優秀だってことに。理解されない事は残念なことだわ。
でももし、それを皆が認める日が来たら――きっと、廃嫡なんて話題は自然と消えるのでしょうね」
「……あ、あー。そーっすね。じゃあ、決闘でもしちゃおっかなー」
もう、やけくそだ。
彼女の意図に無理やり乗って、“つまらない男”を演じてやるしかない。
――そうでもしないと、ラスボスたる腹黒王女に“本気で興味を持たれる”なんてことになったら、
僕の“平凡で自堕落なセミリタイア生活”は二度と訪れない。
「でも……あなたって、そういう些細なこと、気にしなさそうね」
「無視ですか!?」
「知ってるわよね?世界に何が起きるのか」
その瞬間、彼女が浮かべた笑顔は、もはや淑女がするべきものではなかった。
それは、狂気と愉悦に満ちた満面の笑み。
なのに――それが、恐ろしく美しく見えてしまった。
「未来を変えるために足掻くあなたを、見てみたいわ」
そう言って、彼女はゆっくりと背を向け、歩き出す。
まだ手の届く距離にいるはずなのに、どこか――果てしなく遠い存在に思えた。
「ごきげんよう、キース様。
あなたの“活躍”、楽しみにしているわ」
「ちょ、ちょっと待って……!」
なけなしの気力を振り絞って手を伸ばす。
だけど――その手は、結局、彼女には届かなかった。
「お姫様にお触れになるのは……ご遠慮くださいませ」
いつの間にか目の前に立っていたのは、紫髪の侍女――ジェーン。
死神の鎌が、僕の首筋に静かに添えられる幻想を見た。
冷たい水を浴びせられたように、体温が一気に抜け落ちる。
――ああ、僕は今、死んだんだな。
そんな風に思った。
気がつけば、そこにはもう誰もいなかった。
遠くからは、学生たちの楽しそうな喧騒が聞こえていた。
……何も知らずに笑う声が、妙に遠く、現実感がなかった。
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