第17話 未来を憂う少女

――『……在校生代表より歓迎の言葉』

――『生徒会長、フロードリヒト・アルセタリフ王太子殿下』


――『諸君、入学おめでとう。君たちは……』


踊るようにリズミカルな水の舞を見せる広場の噴水。

普段はそこにないスピーカーが設置され、アルセタリフ王立英鳳学園の入学式の演説が流れていた。


聞こえるはずのないその声に、集まった人々は物珍しげに耳を傾ける。

通りすがりの者も、思わず足を止めそうになるが、後ろ髪を引かれながらも先を急ぐ。


もっとも、魔道具の実験が街中で行われるのは、この学園都市では珍しくない光景だ。

事実、この噴水自体も“実験的な魔道具”である。


街のあちこちに新型魔道具が設置されており、都市全体が一種の“研究実験場”として機能しているのだ。

その最先端に立つのが、リュシアーナ教授をはじめとする研究機関「塔」に所属する研究者たちである。

彼女が提唱する「音を飛ばす魔道技術」は多くの研究者の関心を集め、学術界では密かなブームとなっていた。


このスピーカー魔道具もまた、その研究の一環で開発されたものである。


――『続きまして、新入生代表による誓いの言葉』

――『代表、ルーレミア・アルセタリフ王女殿下』

――『皆さん、わたくしは……』


スピーカーから流れる王女の凛とした声に、街の空気が静まり返る。

社交界にでも出なければ耳にすることのない若き王族の言葉。


人々は足を止め、聞き入った。

技術の最先端に触れるこの都市の住人たちは、未来の眩さを疑わない。

今この時、この国が歩んでいるのは、確かに「黄金の時代」なのだと――誰もがそう信じていた。



「ふあ〜……眠い」


日当たりのいい回廊を歩きながら、僕は人目も気にせず大きく欠伸をした。


入学式も終わり、教室でのオリエンテーションも滞りなく終了。

どの世界でも、学園長のお話というものは眠気を誘うらしい。


この学園には、クラスごとの教室が存在しない。

生徒たちは必修科目毎に特定の教室に移動するし、選択科目は他のクラスと合同になる。

担任もいないため、事務的な説明だけ受けて、そのまま解散となった。


教室では早速、自己紹介合戦が始まっていたけれど、僕はさっさと退散した。

――慣れ合うつもりなんて、ないからね。


……いや、やめよう。格好つけても、傷に塩を塗るだけだ。

今朝のアレンとのやり取りが、もう恥ずかしすぎて死にたくなるレベルだった。

あんなことの後で自己紹介なんて、無理に決まってる。そっと帰らせていただきました。


まあ、あのクラスには主席入学の王女殿下がいらっしゃるからね。

皆の注目は完全にそっちに向いていたおかげで、僕が抜け出すのも楽勝だった。

こっそり教室を覗き返したら、エマミールがアレンに早速接触してるのが見えた。

……彼女なら、やってくれると信じていたよ。


そんなこんなで、今は人目を避けて構内をふらついている。


「お、ここ……学園襲撃ムービーの場所だ」


何気なく通りがかった中庭。そこにある風景は、昔夢の中で見た“ゲームのカットシーン”とまったく同じだった。

記憶というより、もはや記録に近い感覚。それには感情も懐かしさもないはずなのに、何故か胸がざわつく。


「で……これが“魔王封印の楔”の一つか」


目の前にそびえ立つ巨大な杭のような遺物を見上げながら、僕は無意識に声を漏らした。

その独り言が、静まり返った中庭に響く。


さっきまで遠くで聞こえていた、在校生たちによる新入生サークル勧誘の声は、いつの間にか消えていた。

まるでこの空間だけ、別の次元に隔離されたような――そう、“ダンジョン”にでも迷い込んだような感覚。


「その遺跡は、神眠暦一〇〇二年から存在していると伝えられているの。アルセタリフ王国の建国より前――謎に包まれた遺跡なのよ」


突如背後からかかった女の声に、僕は思わず振り向いた。


「もちろん、王家はその存在理由を知っているわ……でも、隠しているのよ。面白いと思わない?」


そこにいたのは、陽光を反射して煌めくプラチナブロンドの髪を、腰まで伸ばした美しい少女。

どんな宝石よりも価値があると称される美貌の持ち主――


……そして、その隣に、存在を“意識しなければ視界からこぼれ落ちてしまう”ような、曖昧な輪郭の少女が一人。

髪色は……ギリギリ、紫系と分かる。きっと、ゲーム知識にある侍女ジェーンだ。


警戒心が一気に高まる。

教室以外で彼女たちに声をかけられるなんて、まったく想定外だった。


「ごきげんよう、キース様。未来の支配者様と、少しお話がしたいわ」


その美少女――ルーレミア・アルセタリフは、よく通る澄んだ声で、まっすぐ僕を見つめてきた。


「ルーレミア・アルセタリフ王女殿下……」


思わず、その名を口にしてしまう。

自然と首を垂れそうになるのを、なんとか堪えた。


「あら、殿下なんていらないわ。呼び捨てで構わない。この学園では、みな平等だもの」


彼女は微笑みながら、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。

吐息がかかりそうな距離。……近い。近すぎる。


「殿下。もし、今朝のやり取りをご覧になっていたのであれば、僕の立場をご理解いただけるかと。貴族の支配者たる貴女に、軽々しく言葉を交わすのは恐れ多いことです」


すると彼女は、ふっと小さく笑った。


「ふふ。大丈夫よ、私は“支配者”にはなれないわ」


一歩、彼女が踏み出せば、唇が触れてしまいそうな距離。

そんな近さで、彼女は上目遣いに僕を見上げた。

その瞳に吸い込まれそうだが、視線を逸らせない。


「わたくしの兄、王太子がこの国の王となる。わたくしはいずれ、公爵家に嫁ぎ、ただの“血の保険”として使われるだけ。……それが、王族の務めでしょ?」


軽やかな口調。けれど、その奥には確かな“影”がある。

王女の立場、妾の子としての葛藤。

だが――彼女が、そんな感傷に浸るタイプの人間でないことは、僕がいちばん知っている。


ゲームの設定をそのまま信じるのは危険だ。

でも、未来に偶然なんてものは存在しない。

彼女は“攻略対象ではない”が、登場人物の中で最も美しいと評された存在。

その正体は、トゥルーエンドでのみ全ての真相を語る“ラスボス”だった。


魔王復活から世界崩壊に至る一連の事件――その元凶。

僕が“世界崩壊そのもの”を止めるのを躊躇った理由の大半が、彼女の存在だ。


彼女を止めようとすれば、それは国家反逆罪に等しい。死ぬ。

そんなリスクを背負って、世界を救っても意味がない。

僕は、そういう“生き汚い”人間なのだ。


「いえ……それでも、あなたは我々貴族の上に立つお方。その事実は、決して変わりません」

「そうかしら?強情なあなたは素敵だけど、卑下するのは良くないわ」


ルーレミアは微笑んだまま、言葉を滑らせる。


「なら……平民から見たら、どう?廃嫡間近のキース。もうすぐあなたは、名ばかりの貴族――実質、平民よ。平民から見たら“支配者”は、領主ね」


唐突な“格下げ”。

でもそこに侮蔑はなかった。ただ、言葉を置き換えただけのように感じられた。


「公爵家には領地を持つことが許されていないの。領主にはなれない。だから――“あなた”の上には立たないわ。違うかしら?」


彼女にとって、貴族も平民も、さして違いのない存在なのかもしれない。

それも、無理はない――彼女のスキルは“未来予知”。


神託の王女。

僕と同じく、幼い頃から“世界の終わり”を知る者。


ただし――彼女のそれは、僕の“ゲーム知識”を遥かに超える。

限定的とはいえ、リアルタイムにビジョンを視ることができるのだから。

僕の知識は、一つの未来しか見ない“記録”。

彼女の能力は、変化する未来を読み取る“演算”。

その時点で、完全な上位互換だ。


……今回は、僕に探りを入れに来たのだろう。

下手な明言は避けた方が良い。

多少失礼でも話題を逸らそう。


「廃嫡の可能性は公言してないはずです。僕の未来が、視えたのですか?」


問いかける声に、揺れる感情を乗せないよう気をつけた。

彼女の邪魔をするつもりはないが、何か“都合の悪い未来”でも視えたのだろうか。


「あら。私のスキル《未来予知》を知っているのね」


ルーレミアがふわりと笑う。


「でも、過大評価しないで。そこまで便利な能力じゃないのよ。限られた条件下でしか視えないし、断片的なビジョンが浮かぶだけ。……あなたの“未来視”ほどではないわ」


――ッ!?


頭の中が真っ白になる。

……え? え??


何を言っている、この腹黒王女。

今、僕の能力を《未来視》って言った? いや、断定した?


「な、何を仰いますか。僕のスキルは“文字化け”スキルですよ。どんな能力か、まだ判明していません」


とりあえず笑顔で誤魔化す。何か言わなければと思った結果、反射的にそう答えていた。


「ふふ、笑顔が引きつってるわよ?」

「は、ははは……王女の未来予知より優れている、なんて突然言われたら、そりゃ驚きますよ」


……なんか、完全に誤解されてる気がするんだけど。大丈夫? 本当に大丈夫?


「いいえ。誤解ではないわ」


ルーレミアは、さらりと断言した。


「あなたが関与している魔導具研究機関、ずいぶんと利益を上げているそうね。他の事業もそう。経済の流れまで読んだ投資行動――まるで、未来のすべてを見通しているかのようだわ。……そう、正にわたくしの《未来予知》の“上位互換”だわ」


ガッテム……!


彼女が僕に興味を持った理由。

それは、今の僕じゃない。

“過去の僕の行動”が――彼女の目に留まってしまったのだ。


「あなた、本当に興味深いわ。どんな未来を見ているのかしらね」


どこかで彼女の自尊心を傷つけたのだろうか。


「皆、気づいていないの。同じ“文字化け”スキルを持つアレンより、あなたのほうが遥かに優秀だってことに。理解されない事は残念なことだわ。


でももし、それを皆が認める日が来たら――きっと、廃嫡なんて話題は自然と消えるのでしょうね」


「……あ、あー。そーっすね。じゃあ、決闘でもしちゃおっかなー」


もう、やけくそだ。

彼女の意図に無理やり乗って、“つまらない男”を演じてやるしかない。


――そうでもしないと、ラスボスたる腹黒王女に“本気で興味を持たれる”なんてことになったら、

僕の“平凡で自堕落なセミリタイア生活”は二度と訪れない。


「でも……あなたって、そういう些細なこと、気にしなさそうね」

「無視ですか!?」


「知ってるわよね?世界に何が起きるのか」


その瞬間、彼女が浮かべた笑顔は、もはや淑女がするべきものではなかった。

それは、狂気と愉悦に満ちた満面の笑み。


なのに――それが、恐ろしく美しく見えてしまった。


「未来を変えるために足掻くあなたを、見てみたいわ」


そう言って、彼女はゆっくりと背を向け、歩き出す。

まだ手の届く距離にいるはずなのに、どこか――果てしなく遠い存在に思えた。


「ごきげんよう、キース様。


あなたの“活躍”、楽しみにしているわ」


「ちょ、ちょっと待って……!」


なけなしの気力を振り絞って手を伸ばす。

だけど――その手は、結局、彼女には届かなかった。


「お姫様にお触れになるのは……ご遠慮くださいませ」


いつの間にか目の前に立っていたのは、紫髪の侍女――ジェーン。

死神の鎌が、僕の首筋に静かに添えられる幻想を見た。


冷たい水を浴びせられたように、体温が一気に抜け落ちる。


――ああ、僕は今、死んだんだな。


そんな風に思った。


気がつけば、そこにはもう誰もいなかった。

遠くからは、学生たちの楽しそうな喧騒が聞こえていた。


……何も知らずに笑う声が、妙に遠く、現実感がなかった。

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