第17話:忍び寄る不穏な影
師匠との再会から数日後、王宮に不穏な空気が漂い始めた。
「ルリィさん、少し相談があります」
アルフィリアが深刻な表情で僕を呼び出した。
「どうされましたか?」
「最近、宮廷内で奇妙な報告が相次いでいるのです」
アルフィリアは資料を机に広げた。
「薬草師たちが、原因不明の体調不良を訴えています」
「体調不良?」
「発熱、めまい、そして...記憶の混乱です」
僕の心臓が跳ね上がった。それはイグナスの精神操作薬の症状と似ている。
「まさか、また...」
「可能性はあります。でも、今回は以前とは少し違うのです」
アルフィリアが別の資料を見せてくれた。
「症状が軽微で、一時的なものなのです。まるで何かの実験をしているかのような」
「詳しく調査してみましょう」
僕とアルフィリアは、症状を訴えた薬草師たちに話を聞いて回った。
「いつ頃から体調が悪くなりましたか?」
「三日前の夜からです」
若い薬草師が答えた。
「特に変わったことはありませんでしたか?」
「そう言えば...宮廷の薬草園で、見知らぬ人を見かけました」
「見知らぬ人?」
「黒いローブを着た人です。薬草を摘んでいるようでした」
僕とアルフィリアは顔を見合わせた。
「その人の特徴を教えてください」
「背は高くて、動きがとても静かでした。顔は見えませんでしたが...」
薬草師は首を振った。
「なぜか、その後の記憶が曖昧なんです」
――― その夜、僕たちは薬草園を調査することにした。
「気をつけてください」
アルフィリアが小声で言った。
「もし本当にイグナスの関係者なら、危険です」
月明かりの下、薬草園は不気味な静けさに包まれていた。
「あそこを見てください」
僕は薬草園の奥を指差した。そこには、明らかに人為的に薬草が摘まれた跡があった。
「これは...」
アルフィリアが摘まれた薬草の種類を確認した。
「メモリーフェード、マインドクラウド...全て記憶に関係する薬草です」
「記憶操作の薬を作っているということですか?」
「その可能性が高いです」
その時、茂みから黒い影がさっと移動するのが見えた。
「誰かいます!」
僕は影を追いかけようとしたが、アルフィリアが僕の腕を掴んだ。
「危険です。今夜は引き上げましょう」
――― 翌朝、僕たちは王に緊急報告を行った。
「薬草園に侵入者だと?」
王の表情が険しくなった。
「しかも記憶操作の薬草を盗んでいるとは...」
「はい。恐らく、宮廷内の薬草師たちに何らかの実験を行っているものと思われます」
アルフィリアが説明した。
「すぐに警備を強化せよ」
王が側近に命令した。
「それと、宮廷内の全ての薬草師の健康状態を再検査しろ」
「承知いたしました」
「ルリィ」
王が僕を見つめた。
「君の力で、何か分からないか?」
「申し訳ございません。まだよく分からなくて...」
「構わん。だが、十分注意せよ」
王の言葉に、僕は身が引き締まった。
――― 午後、宮廷に急使が到着した。
「エルデンヒル村からの緊急連絡です」
使者が息を切らして報告した。
「村でも同様の症状を訴える人が現れています」
僕の血の気が引いた。村にまで被害が及んでいるなんて。
「詳しい状況は?」
「薬草師のバジル様から、ルリィ様宛の手紙です」
僕は急いで手紙を開いた。
『ルリィちゃんへ 村に異変が起きています。リリア、カイル、エレーナの三人が、軽い記憶混乱を起こしています。 特に心配なのは、三人とも君との思い出の一部を忘れてしまっていることです。 急いで村に戻ってきてください。 バジル』
「そんな...」
手紙を読んで、僕は愕然とした。仲間たちが僕のことを忘れてしまっている?
「アルフィリア様、すぐに村に行かせてください」
「分かりました。私も同行します」
――― 僕たちは急いで村に向かった。馬車の中で、僕は不安でいっぱいだった。
「なぜ仲間たちの記憶が...」
しばらくの沈黙のあと、アルフィリアが口をひらいた
「推測の域をでませんが、例えば、あなたを孤立させるため...大切な人たちとの絆を断つことで、あなたの力を弱めようとしているのかもしれません」
「そんなことが可能なんですか?」
「古代の記録には、特定の記憶だけを消去する技術があったと書かれています」
アルフィリアの説明に、僕は恐ろしくなった。
「記憶を元に戻すことはできるんでしょうか?」
「それは...」
アルフィリアが言葉を濁した。
「正直に申し上げると、分からないのです。古代の技術については、記録が断片的で...」
「そんな...」
「ただし」
アルフィリアが僕の手を握った。
「記憶が完全に消去されているとは限りません。もしかすると、何らかの方法で取り戻せるかもしれません」
僕は不安になった。確証がないということは、仲間たちの記憶が永遠に戻らない可能性もあるということだ。
――― 村に着くと、師匠のバジルが心配そうな顔で迎えてくれた。
「ルリィちゃん、来てくれたんだね」
「師匠、みんなの様子はどうですか?」
「とりあえず、三人に会ってみるといい」
師匠に案内されて、僕は久しぶりに村の中心部を歩いた。でも、何かが違う。
「あの人、誰?」
「王都から来た薬草師よ」
村人たちが僕を見て、まるで初対面のような反応をしている。
「みんな、私のこと忘れてるの?」
「いや、君のことは覚えている」
師匠が説明してくれた。
「ただ、ルリィとしての記憶が曖昧になっているんだ」
それはつまり、村の人たちは僕をライリィの従妹程度にしか思っていないということだった。
――― 最初にリリアに会った。
「あの、リリアちゃん」
「はい?あなたは...」
リリアが首をかしげた。
「確か、ルリィさん?ライリィの従妹の...」
「そうです。以前、一緒に薬草を調合したりしませんでしたか?」
「薬草の調合?」
リリアは困ったような表情を見せた。
「すみません、よく覚えていなくて...」
僕の胸が痛んだ。あれほど親しくしていたのに、リリアは僕との思い出をほとんど忘れてしまっている。
「でも...」
リリアが僕を見つめた。
「なぜか懐かしい感じがします」
その言葉に、僕は希望を感じた。完全に忘れているわけではないのだ。
――― 次にカイルに会った。
「カイルさん、覚えていませんか?」
「ルリィさん、でしたっけ?」
カイルは困惑した表情を見せた。
「申し訳ありません。最近、記憶が曖昧で...」
僕は胸が苦しくなった。あの真剣な告白も、一緒に過ごした時間も、全て忘れてしまっているのだ。
「一緒に王都を案内したこと、覚えていませんか?」
「王都?ああ、研修で行きましたが...」
カイルは首を振った。
「ルリィさんとお会いしたかどうかは...」
でも、カイルも時々僕を見つめて、何かを思い出そうとするような表情を見せた。
――― 最後にエレーナと会った。
「エレーナさん、古代薬草学について一緒に研究しませんでしたか?」
「古代薬草学?確かに私の専門分野ですが...」
エレーナは知的な興味を示したが、僕との研究の記憶はないようだった。
「あなたも薬草学に詳しいのですね」
「はい、一緒に『魂と肉体の境界』について議論したんです」
「興味深いテーマですね。でも、申し訳ございません。記憶にないのです」
エレーナの言葉に、僕は絶望的な気持ちになった。
――― その夜、師匠の家で一人で考え込んでいた。
大切な仲間たちが、僕との思い出を忘れてしまった。アルフィリアも確証を持てずにいる。もしかすると、本当に永遠に戻らないかもしれない。
でも、それでも僕は希望を捨てたくなかった。リリアの「懐かしい感じ」、カイルが時々見せる困惑した表情、エレーナの知的な興味...完全に消えてしまったわけではないはずだ。
「絶対に諦めない」
僕は決意を固めた。
方法が分からなくても、確証がなくても、僕は仲間たちとの絆を信じる。
明日から、何か手がかりを見つけるための調査を始めよう。記憶を取り戻す方法があるはずだ。
そして、この卑劣な記憶操作を行った黒幕を見つけ出し、必ず止めてみせる。
窓の外では、不気味な黒い雲が月を隠していた。まるで、これから起こる困難を予告しているかのように。
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