今日の星占い、最下位でした

灯夜しの

短編

ツイていない。


今日は本当にツイていない。


ことの始まりは毎朝必ず観ているニュースの星座占いで牡牛座が最下位だった事である。

別に本気で星座占いを盲信している訳ではないが、最下位と聞いて始まる一日とそうではない一日とでは天と地ほどの差があるのだ。


朝ご飯のトーストを齧り、嫌だなあと思いながらもせめてもの救いとなってくれそうなラッキーアイテムの発表を待っていたその時。するりと手からトーストが滑り落ちてしまった。流石最下位、もちろんバターが塗っていた面が下である。


というわけで、朝から無駄な床掃除をさせられ、更にトーストを半分食べ損ねるという最悪なスタートで家を出た私を次に待ち構えていたのは、天からの地味な嫌がらせとしか思えない出来事の連鎖だった。


今日は土曜日なのでバイトは10時出勤。いつもなら9:30に出て、徒歩15分ほどの距離にあるバイト先のケーキ屋Mademoiselleに着けるのだが、落としたパンのせいで朝の準備がゴタついてしまい家を出るのが遅れてしまった。


それだけならまだ時間の猶予がギリギリあったのだが、ここで最下位の不運を発揮する事になり、家からMademoiselleまでの信号全てに引っかかるという災難に遭うのである。


結局着いたのは10時ギリギリになり、制服にあたふたと着替えていると、下から二番目のボタンが取れてしまった。今までほつれている気配すらなかったのに、最下位の呪縛はどうやら制服にも発揮してしまうようだ。


とてもじゃないがボタンを付け直している暇はないため、とりあえず取れたボタンをエプロンに押し込んで、いつもより少しエプロンを高い位置で結ぶことによりボタンが取れたことを誤魔化したが、10時までには間に合わず遅刻扱いとなってしまった。


しかも今日は土曜日、店が1番混む日だ。

牡牛座諸君よ、可能なら今日は家で大人しくすべきだと私は全国放送で訴えたい。


他のバイトメンバーに謝罪をしながら今日の店内状況を把握する。11時開店なのでまだ客はいないが、これからケーキのウィンドウ準備、レジの準備、コーヒーエリアの準備などを考えると1時間などあっという間だ。


今日のメンバーは3人。自分は1ヶ月ほど前から始めたばかりなので、今日の中だと1番後輩だ。

田中さんは始めて1年ほど、石垣さんはもう5年も働いているベテランだと聞いている。


田中さんとは殆ど喋った事はないのだが、彼女は他の店員ともあまり喋っていないイメージなのであまり気にしていない。20代前半位だろうか。制服の一部である黒いキャップと後ろにヘアネットできちんと束ねた薄い茶髪姿の彼女は、19歳の私と大して歳は変わらない印象だ。


石垣さんはおそらく50代後半くらいだろうか。私と歳の近い娘さんがいるという話を聞いた事がある。

「あなたみたいにしっかりしてないからバイトとかも経験した事がないのよ」と以前言いながら謎に肩を叩かれた事があった。なぜおばさんはパーソナルスペースというものを全力で無視してくるのだろか。


自然と役割分担しつつ朝の準備が進んでいく中、今日は予約されたケーキの量がいつも以上に多いため地下の保冷庫に今ある在庫の一部を移す必要がある事に気づいた。


「飯田さん、保冷庫内の配置とかもう教えてもらった?」

「あ、いえ…まだです。」


若干目が泳いでしまう。

一応ざっくりとは既に聞いていたが、私は地下に行くのが大嫌いなのだ。

勿論ちゃんと明かりはついており、特に汚いわけでもなく害虫に困らされているわけでもない。


しかし、なぜだか居心地が悪い。


「じゃあ、田中さんにお願いしようかしら。」

チラリと岩垣さんが田中さんの方を見ると、


「無理です。」


普段口数も少なく、文句も言わなければ仕事に手を抜くこともない彼女がピシャリと有無も言わせない拒否を言い放ったことに私も岩垣さんも唖然とする。


「え…ああ、そう。じゃあ飯田さんお願いできるかしら。一応ラベルも貼ってあるし、そんなに難しくないと思うから。分からないことがあったら私に聞いてね。」


これは何を言っても無駄だろうと察したのか、岩垣さんは穏便にことを進めるため私に仕事を回した。

嫌だなぁと思いつつ、私だってわざわざここでことを荒立てたいわけではない。


「分かりました!」と元気に返し、せめて田中さんがこれを私に対する借りだと認識してくれてあとで何かしらいいことがありますようにと邪な考えを持ちつつケーキを下に運ぶ準備を始めた。


きっとこういう小さな善を積めばこれ以上今日悪いことは起きないだろう。


ホールケーキというのは、意外に重い。昔は小学生の女の子が将来の夢をケーキ屋さんと答える子が多かったと聞くが、とんでもない。


基本販売員の仕事全てに言えることだが、ケーキ屋なんて完全な体力仕事。

一つ約2キロのホールケーキを5から7個同時に抱えて運ぶことなんてざらだ。

つまり小学生の女の子が将来目指すべきものはケーキの試食係である。


在庫を整理すると、地下に持っていくケーキの数はちょうど10個だった。

2往復で済むので少し安心する。

地下へのドアをストッパーで開けておき、ケーキを積み上げ、運び始める。コンクリートの階段が、靴を履いているはずなのになぜかひんやりと足元を冷やす。

地下独特のしんとした空気の中で一段一段と階段を降りるたびに、体が何かを拒むかのように息が少し浅くなる。

ケーキのせいで前が見えないのもあり、ゆっくりと足元を確認しながら降りるが、何かを踏んでしまうような気配と緊張感がなぜか私も蝕む。これだからここの地下は嫌なのだ。


やっとのことで15段ほどの階段を降りると、小さな地下室にたどり着く。右側に大きな保冷庫と小さなテーブルがあり、左にはコーヒーや包装の箱、紙袋などが山積みされている。ここに山積みになっているものは基本緊急用の在庫なので、ほとんど手をつけられることはない。

そもそも、ケーキをここの保冷庫に入れることもクリスマスなどの多忙期ではない限り滅多にないのだ。どうやらここでも最下位の不運が発動したらしい。


保冷庫の横にあるテーブルにとりあえずケーキを置く。ケーキの種類を再確認しつつ、保冷庫の棚のラベルと照らし合わせる。Mademoiselleでは箱にケーキの記載はない代わりに上が透明のフィルムになっているので上からしか中身の確認ができない。

つまり、ケーキの種類ごとに分けておかないと、開店後忙しい中でケーキをあれでもないこれでもないと探す羽目になるのだ。


全て正しいことを確認し終わり、保冷庫内の正しい棚にケーキを入れ始める。それでなくともひんやりとする地下が、保冷庫を開けていると余計に寒い。それになんだかツンとする匂いがすることに気づく。柑橘類が腐ったような匂いだ。

先ほど上にいた時は匂わなかったので、ケーキからでも自分でもないはずだ。地下でネズミでもお亡くなりになっているのだろうか。保冷庫が低く音を立てているはずなのに、何故か嫌に静かだ。空気が、重い。


ますます居心地が悪くなり、急いでケーキを保冷庫に詰める。


カタン、


後ろから物音が聞こえた。地下には私しかいないはず。


カタカタ


音が続く。私じゃない。首筋から一筋の汗が冷たく垂れる。


だが、後ろを振り向く勇気がない。


「ねえ」


急な声にびくりと体が跳ね上がる。

しかし、知っている声だ。


「田中さん、驚かさないでくださいよ。」


私は深呼吸をしながら後ろに振り返る。田中さんは私に背を向け、天井を見上げている。つられて私も天井を見るが、特に何もない。無機質なコンクリートの上で蛍光灯がジジジ…と微かに音を立てながら光っているだけだ。


「あんなに地下に来たがらなかったのに、どうかしたんですか?上で何かありました?」


「よく見て。」


ゆっくりと、田中さんが天井を指さす。私はまた見上げるが、何もない。


いや。

待てよ。


ちょうど田中さんが指を指している一点に集中する。

まるで田中さんの指の影が真上にできているかのように、コンクリートに小さな小さな黒い点が見える。


目を凝らすと、なんだか、点が大きくなっていっている気がしてくる。


2mmくらいだったのが、どんどん、どんどんと。


広がっていくにつれて形が不規則になり、色味も少しづつ変わってゆく。


まるで蛇口を捻りっぱなしにしたかのように液体のシミが埋め尽くし始める。


もう目を凝らさなくても分かる。

色味もどんどんと赤黒く変色している。


自分の真上で異常現象が起きているというのに、田中さんは指を差したまま、全く動かない。


かくいう私も動けない。

本当は、今すぐにでも逃げ出したいのに。


ポタリと、赤黒い何かが天井から一滴落ち、真下にいる田中さんの額に当たる音が聞こえた。


「地下は、嫌い。」


ポツリとそう言うと、田中さんは天井をさしていた指を下げ、額の液体を拭った。

鉄の匂いが地下に充満し、空気の重さがヒリヒリと肌に伝染する。


「上で異常がないか見てきます!」

自分でも気づかないうちに声を発して、急ぐ足がもつれながらも最大速で階段を駆け上がった。


なんだ今のは。


白昼夢?本当に?


息を整え、周りを見渡す。

まだ1往復残っているが、とてもじゃないけど地下にはいけない。

あの赤黒いシミが広がっていた場所はおそらくフロアの真下だ。

もし自分が見たものが現実だったのならば、フロアの方で何か事件が起きているのかもしれない。私はフロアへ繋がるドアに恐る恐る近づく。


するとドアは急に私の顔の前で開いた。


「あら、ごめんなさい」


石垣さんがきょとんとした顔で私を見る。「顔色、悪いわよ。大丈夫?」


「大丈夫です。石垣さんこそ大丈夫ですか?」

私の言葉の意味を探るように考え込む石垣さんをみて、きっとフロアでなんの事件も起こっていないのだろうと察する。


「すみません、なんでもないです。ちょっとびっくりしちゃって。」


何が、と石垣さんが言う前に私はフロアに急いで戻った。

とりあえず何かしたい。

さっきの出来事を忘れられるように。

深呼吸をして、私がこれからすべき仕事を考え、ケーキをウィンドウに並べようとケーキのラベルを棚から探す。


ラベルが、ない。


振り向いてウィンドウを見ると、そこには8種類のカットされたケーキがラベルとともに綺麗に並べられていた。

「ウィンドウなら田中さんがやっといてくれたわ。それより飯田さん、下に運ぶケーキ残ってたわよ。今保冷庫に下ろしといたから。」

後ろから石垣さんの声が聞こえた。さすがベテラン、私の数倍仕事は早い。

いや、今はそこじゃない。


「なんとも、なかったですか?下に田中さん…」


ウィンドウは、田中さんが並べたと今石垣さんは私に言った。


地下への階段からこのフロアまでいくにはバックヤードを通るが、一本道だ。


私がまさに今通った道しかなく、誰ともすれ違っていないし、田中さんが地下から上がってくるのを見ていない。


「田中さん、地下にいましたよね?」


自分の声が少し震えていることに気付く。

「いいえ。ずっとフロアにいました。」


私の方を振り向くことなく淡々と田中さんはドリンクコーナーの準備を進めながら言った。


「ちょっと飯田さん大丈夫?さっきから。顔色も悪いし、珍しく遅刻してきたし…何かあったの?」

石垣さんが心配そうに私の方を見る。


もしかしたら、今までにも似たようなことがあったのかもしれないと思い地下での出来事を石垣さんに話す。きっと支離滅裂だったと思うが、石垣さんは優しくうなづきながら聞いてくれた。


「私、今日の星占い最下位だったんです。それにしたって、あまりにもツイてなさすぎです。本当に怖かったんですよ。」


人に話したことによって少し私の中での恐怖は薄れた。

あの田中さんは誰だったんだろう。


いや、「何」だったんだろう。


「そんなことないわよ。無事にこうやって戻ってきてるんだから。さっき私が下に行った時も何もなかったし。何もなかったんだから、逆に私ツイてる!って思わなきゃ。」


それもそうだ。怖い思いはしたが、その先何か危害を加えられたわけじゃない。

本当に本当の最下位だったら、もっと何か恐ろしい思いをしたのかもしれない。

所詮、占いは占いだ。


「ですよね。私、もう明日から占い見るのやめます。」


そもそも、占いなんてものを気にしすぎてたのが逆によくなかったのかもしれない。

朝からの不運も所詮は偶然。

地下での出来事もあまりにも最下位を気にしてビクビクとしていた私が自分自身で作り上げた幻だったのかもしれない。

きっと、地下に行く羽目になった原因が田中さんだったので、自分の中で少ししこりがあったのだろう。


そうに違いない。


田中さんの方を見る。私と石垣さんは話しながらも細々と開店準備を進めていた中、彼女は私たちの会話には参加せずほとんどの準備を終えてくれていた。


それなのに、私ったら。

田中さんに対して少し罪悪感を感じる。


「ねえ、田中さん。飯田さんなんだかんだでツイてるわよね。」


石垣さんが私を元気づけるためにか田中さんにも賛同を求める。

田中さんは私の方をチラリとみて、またすぐに顔を背ける。


「そうですね。憑いてますね。」


私は彼女の言葉にほっとし、開店準備に励んだ。

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