蝉川夏哉

建ったばかり1ルームマンションの真ん中に、石がある。そんじょそこらの石ではない。れっきとした岩と呼んで、差し支えない。


 それなら岩と呼べばいいと思うのだが不動産屋はこれを「石」ということにしたい。「岩」が真ん中に鎮座ましましている部屋を借りようという酔狂な人間はこの世の中にいないという強い信仰を有しているようだった。


「……どうでしょうか?」


 体育会系不動産営業マン28歳という言葉をドラえもんの道具で具現化してやるとこの姿になるに違いないと思われるツーブロックの男は、鍛え上げられた上半身を縦縞のブルー系のスーツに窮屈そうに押し込んでいた。

 大胸筋だけでなく、態度の方ももう少しスーツの中にしっかりと収めてくれればいいのだが、そこはまだ社会経験が足りないのか、あるいは程よい威圧感と丁寧さのギャップが営業成績に繋がるという誤った局所最適解の学習をしているのか、こちらに対して圧を掛ける視線を隠そうともしない。


「まあ、いい部屋ですね」


 私は答えた。もちろん社交辞令だ。

 七.九畳ワンルームのど真ん中に「岩」が置いてある部屋が、いい部屋であるはずがない。

 邪魔だし、狭いし、生活空間は岩を中心として構成されなければならない。

 賃貸契約を結んだとしてもこの部屋の主人は私ではない。主岩の同居人が精々である。


 しかし、そのほかの条件はいいのだ。

 JRの駅から徒歩7分で近くにはコンビニと食品スーパーがあり、職場には乗り換え無しで行くことができる。なんと快速も停まる。

 コインランドリーも近いし、風呂とトイレは別々だ。雨漏りもしない。下駄箱が大きめに作られているのは、ありがたいポイントだった。


 だが、金がない。

 不動産屋は、この「石」のある部屋を月11万で貸そうとしている。信じられない。「岩」の支配する部屋を、だ。松原タニシさんでもこの部屋には住みたがるまい。


「いい部屋でしょう」

「いい部屋ですね……ただ」


 ツーブロックゴリラの目が光る。

 昔格闘技をやっていたことを窺わせる、何らかの“気合い”が、アドレナリン臭と共に鼻腔をくすぐった。嘘だ。アドレナリンの匂いも気合いも私には分からない。わかっているのは私に月11万は出せないということだけだ。


「ただ、なんですか?」

「ええ、この、「岩」

「石です」


 皆まで言わせずに訂正が入る。

 一説によると、「手で動かせれば、「石」、動かせなければ「岩」だという。

 それなら、私にとっての物体Aが「岩」であり、彼にとっては「石」であることは無矛盾である。ベンチプレスとか凄そうだし。


「部屋の真ん中にあって、その……」

「ええ、邪魔ですよね」


 驚いた。

 この「岩」を邪魔と認識するくらいの頭はあったのだ。なら動かせよ、という言葉が喉から舌の上を滑り唇まででかかる。


「なんで、あるんですか?」


 尋ねると、ツーブロックゴリラは困った表情を浮かべた。こんな表情ができるとは、知らなかった。京都大学霊長類研究所に報告する必要がある。


「分からんのです」

「分からないことはないでしょう。こんな大きなもの、誰が運び込んだのか……」

「いえ、運び込んでないんです」


「は?」


 ツーブロック類人猿はパツパツのスーツの胸ポケットから、巻き尺を取り出して、「岩」の最大全幅を測った。


「これ、ドアも窓も通んないんすよ」


「は?」


 前言撤回。

 松原タニシさんが住みたがるやつだ。


「じゃあ、どうやってこの「岩「石です」を部屋に入れたんですか?」

「建てる時には、もうあったそうっす」

「3階なのに……?」

「3階なのに」


 私は首を傾げた。

 ツーブロック原人も首を傾げる。


「えーっと、つまり、どういうこと?」

「棟梁によると、浮いてたから、そのまま建てた、と」


 ああ、松原タニシさんを呼んでこなきゃ。

 いや、拝み屋だろうか。どうすんだこれ。


「じゃあ、地上10mの位置にずーっと「岩「石です」が浮かんでいて、それを気にせずに工事をしたってこと?」

「気にはしたらしいです」


 そこは聞いてねぇよ。気にならないはずはねぇだろ。


「という珍しい物件っすね」


 ツーブロック営業マンに言われると、そりゃそうだ、としか頷けない。こんな部屋が二つも三つもあってたまるか。


「聞いた話によると、神社とか寺って、移転する時は大変なんすけど、上下移動はあまり気にしないらしいっす」

「上下移動も気に食わないから浮いてたんじゃないのか」


 思わず口調が荒くなるが、どうしようもない。


「で」

「で?」

「どこまで安くできるの?」

「え、いや、それは……」

「まさか11万満額取るつもり?」

「他の部屋との兼ね合いがありますし」


 私は一瞬、悩んだ。

 ここはいい物件だ。

 幸い私は「岩」との共同生活に対して不満は他の人より少ない気がする。


「わかった。他の人には11万の家賃を払ってるフリをする」

「え、それって何も解決してないっすよ」

「でもこの部屋を遊ばせておくよりいいだろ?」


 ツーブロックの賢人は、即決した。


「分かりました。1万でイイっす」




 そういうわけで、私は今も、岩と一緒に暮らしている。

 世の中に少々変なことがあっても、「いいのか? 俺は家に帰れば、岩があるんだぞ?」と思えば少々のことは屁でもない。


 ただ、最近少しだけ困ったことがある。

 どうにも、岩に愛着を持たれている気がするのだ。

 説明するのは難しいが、岩の言葉が分かるようになってきた、という気がする。


 どうやら岩は、子供が欲しいらしいのだが……




 もしあなたの街で、「石あり」という物件を見かけることがあったら、まあ、その時は、私の、息子か娘によろしくしてやって欲しい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蝉川夏哉 @osaka_seventeen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ