第8話:ナンチャッテ男爵家の養女〜ラズ視点〜

 アタシはラッキーだ。


 貧民だったアタシが、ロシナンテとドルシネアに出会って貴族の令嬢として迎え入れられて、あっという間に5年が経った。たくさん美味しいものを食べて、きれいな服を着せられた。ゴテゴテに絡んだ髪は優しくほぐし解かれて、今では見る影もないほど光り輝いてサラサラになった。鞭で打たれることも、殴られることもなく、綺麗なベッドで眠り、柔らかな朝日と共に目を覚ます。


 昔のことを夢に見て夜中に飛び起きたりしたけれど、最近は思い出すことも少なくなった。アタシを連れ回した女はロシナンテによって見つかって、処罰されたと聞いた。それでも鞭で打たれたり、毒を飲まされたりはされていないといいな。あの女はすれ違ったアタシの未来でもあり、他人事ではなかったと思うから。


 とはいえ、赤の他人に対してアタシにできることはない。聖女だとかなんとか、烏滸がましいことも考えない。


 ロシナンテとドルシネアは人が良い。全く血のつながらないアタシを引き取っただけでなく、本当の娘のように育ててくれた。何度か盗みを働いて逃げ出そうとしたけれど、結局自分から帰って頭を下げた。「欲しいものがあるのなら先に言え」と怒られて、「お前の家はここだ」と何度も言われた。


 嬉しかった。最初は疑ったけど、粗を探そうとか逃げる機会を窺うために見ていたら、馬鹿みたいに人がいい二人に絆されたんだと思う。ドルシネアが商人なだけあってお金にきっちりしているし、契約に厳しい。信用を第一に考えて、ぼったくって儲けようとか全く考えていない。できる範囲の施しは貴族の責務と考えている節が強くて、たまにやってくる浮浪者や平民の嘘に騙されたふりをして小金を渡す。まあ、これは執事のカルトロがしているんだけど。


「旦那様に任せておくと、家が潰れるので」とはカルトロの言葉。「奥様がいてくれなければ、このナンチャッテ男爵家も今頃なかったかもしれませんな。まあ、旦那様は人を見る目だけはありますので、このカルトロも不肖ながら執事などやらせていただいておりますが」


 このカルトロは、元々王家の影の人間だったのだとか。あ、ひょっとして今もかな。引退したなんて言ってるけど、あの眼光は貧民街の闇でも滅多に見られないほど鋭い。正直逆らいたくない。


 ナンチャッテ男爵の歴史は長かった。元々は王家の影という立場にあり、戦時中に活躍をしたのだとか。戦時中っていつの話だよって思うほど、遠い昔の話だ。戦争が終わって諸々のいざこざも納まって、平和が訪れて引退した初代の影が、王から授かった爵位らしい。血生臭い過去を一掃すべく、初代ナンチャッテ男爵は王都から離れた国王派の伯爵家の領地にその居を定めた。その代わりに、王家から遣わされた影が執事として男爵家を監視しているのだとか。このカルトロも3代目だそうだ。


「そんなこと、アタシみたいなのに話しても言いの?」

「あなたさまもすでに男爵家の養女となられたので、知っておいて問題はないでしょう」


 知らずにあちこちで問題を起こされた方が厄介ですからな、とカルトロは笑った。


「ラズ様は聖女になりたいのですか?」

「ロシナンテさんが望むなら?」

「お父様、ですよ。旦那様はあなたを貴族令嬢として育てたいようですが」

「ならそれでいいよ」


 アタシが下手に聖女になっては、ナンチャッテ男爵が目立つことになり、それは王の望むことではなく暗部の人間であるカルトロやその部下達(侍女や使用人は皆暗部と関わりのある人間だそう)にも都合が悪い。ロシナンテ自身も暗部の人間として教育されたのに、ドルシネアに出会ってとち狂ってしまったとか。あのおじさんが、暗部?ものすごく人が良すぎない?大失敗だったんじゃないの。


「真っ当な人間になりたい、とか抜かしやがって」とカルトロがため息をつく。


「私としては、影の仕事をこなし、これからのナンチャッテ男爵を守っていただきたいと思うのですが」

「ロシナンテさんの役に立つなら、なんでもいいよ。アタシやる」

「お父様、です」

「はいはい」


 とにかく例えどんな人間であろうと、アタシとしてはロシナンテに恩返しがしたい。むしり取られたお金は(貴族としては大した額ではないけれど)取り返したいし、役に立つならなんでもやる、というと、早速特訓が始まった。


 表向きは男爵令嬢として、でも実質は影として、だ。


 ロシナンテとドルシネアはカルトロを大々的に信頼しているので、『ナンチャッテ男爵家にふさわしく』教育を施されているのを疑う節も全くない。貴族令嬢のマナーも上位貴族令嬢のものを仕込まれた。けれどその能力はバカのふりして隠し通せと。別派の狸親父たちに担ぎ上げられるのを避けるためだとか。バカのふりは得意だから大丈夫だけど、貴族令嬢というのは意外に筋肉を使う。カーテシーとかダンスとか。同じ姿勢で1時間保持とか、貴族って実は脳筋ばっかなんじゃないのかな。


 体術や暗器の使い方はもちろんのこと、密偵や補佐の仕事も覚え、隠蔽や遁走、隠密のスキルも早々に覚えた。元々その素質はあったらしく割と簡単だった。体が小さかったことから、体術は特化したし、暗器も下手な剣や飛び道具よりは針や糸、呪術を学んだ。とは言え、元々が聖魔法体質なので、呪いといえど、嫌がらせ程度のものしかできないけど。そう、禿げろとり、足の小指を机の角でぶつけちゃえとり。


 反対に聖魔法についても学んでいたので、闇と光、相対する力を押さえつけるのに偶然、雷魔法まで習得した。治癒能力や毒耐性は既に身に付いていて、潜在意識で使っているようだった。だから毒を盛られても、奴隷紋を押し付けられても、足の骨が折れていても、ほんの数日で治っていたのだと発覚した。


ついでに聖魔法使いは、他属性よりも精神攻撃耐性が強いらしく、魅了とか洗脳、威圧と言った魔法が効かなかった。


「その太々しさは、貧民街で学んだこともあるでしょうけど、聖魔法使いだったからなんですね。素晴らしいです」とカルトロが褒めてくれた。


 持っててよかった聖魔法。じゃなかったら何度死んだかわからない。


 けど、他人を治癒したり、結界を張ったり、祝福を与えたりといった聖魔法のお披露目をしたりすればあれよという間に聖女として祭り上げられ、ナンチャッテ男爵が目立ってしまうので、ここはステータスの隠蔽を訓練した。目立ちすぎるのは良くないけれど、隠しすぎるのも怪しまれて腹をさぐられるので、平均的な能力値と魔力量を見せつけておく。聖魔力は伸びなかった方向で。というか、他人を治そうなんて気も起きないし、治せないから安心していい。


 そこそこのつもりが首席入学になったのはちょっと驚いたけど、ここ50年は平和すぎてどいつもこいつも形ばかりで平和ボケをしている、と辛辣なカルトロが目を細めていた。


 そんなわけで、今回王都の貴族学院に入学するのも一応、王家へ顔見せのためだ。アタシの希望はロシナンテお父様に恩返しをすることと、ナンチャッテ男爵家とドルシネアお母様の実家のフロランテ商会を守ること。侍女でも執事でも商人でもなんでもいいから、そばにいたいと言ったらカルトロは涙ぐんでた。


 アタシの紹介も兼ねて、ということなんだけどアタシは王家のために働くつもりはない。


 カルトロには悪いけど、貧民に対して何の政策もない王家に忠誠なんか誓えないし、施しすらもないのだから感謝もない。伯爵領のナンチャッテ地区の教会の神父様には色々教えてもらった恩と情はあるけど、教会自体にはないし、アタシ達貧民を殴る蹴るといったことを平気でする貴族も平民も、情けをかけるつもりもない。ついでに子供を食い物にする貧民街の大人にも情はない。目には目を、毒には毒を。暴力には暴力を。アタシを殴った腕はもげればいいし、アタシを蹴り付けた脚は折れればいい。


 ……ん?これ、呪いにならないよね?




 まあでも、せっかく学院に入れてくれるというのだから、いっぱい学んでロシナンテの役に立てれば、それでアタシは幸せだ。今度帰ってくる頃に、弟か妹ができたっていう朗報があるといいな。毎晩頑張ってるのに、全然子供ができないもんね。


 男の子だったらドルシアンテ、女の子だったらカルメーラなんて名前はどうかな。相談してみよう。

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