37話 かつての記憶
名前を忘れ、過去を失った男。
その秘密は――“回復の魔女”が残した呪いにあった。
癒しの代償は、記憶。
大切な人の名も、自分自身すらも忘れていく残酷な宿命。
けれど、その呪いを解くために辿り着いた先で待っていたのは、
母か、姉か、血の繋がりを持つ魔女リアブローサ。
「究極の回復」とは何か。
そして――蘇ったのは、かつての仲間ナーヴァ。
死者との再会が、すべての真実を呼び覚ます。
今章は、愛と喪失のすべてを揺さぶる一篇です。
*
シルバの目に、かつての記憶がよぎる。
――彼は元は人間だった。
欲深き森の開拓者たちと共に、魔獣に挑んだ若き戦士。だが仲間は次々に倒れ、己も魔獣の呪いに侵されて倒れた。
その姿は銀狼と化し、人の姿を失った。
絶望の果てに現れたのは、森の妖精王――グラン・ティターニャ。
彼女の加護によって心を保ち、この森の「守り神」として再び立ち上がった。
そして――ナーヴァ。
かつて幼き彼を育て、戦い方を教えたのは他でもないシルバだった。
その経験が、今ベルを導いている。
⸻
「来るぞ、ベル!」
咆哮とともに現れた魔族シアデビル。
その掌に黒雷が走り、空気を裂く。
「ぐっ――!」
シルバは即座に人化を解いた。
銀色の毛並みをまとった銀狼人の姿が宙を舞い、雷撃を弾く。
「魔雷魔法か……相性が悪いな」
「なら、私が合わせる!」
ベルが両手を広げる。
「風よ、大地を抱け――
大地が隆起し、風が絡み合い、シアデビルの足を縛り付けた。
「今だ、シルバ!」
銀光が閃く。
シルバの爪が雷を切り裂き、ベルの魔法が生んだ隙を穿つ。
「喰らえ――!!」
轟音。
銀狼の牙が魔族の喉を貫き、シアデビルは絶叫と共に黒煙となって消えた。
⸻
静寂。
ベルは荒い息をつきながらも、凛と立っていた。
「……やった。私でも、戦えた」
シルバは頷いた。
「立派だったぞ、ベル。お前は確かに強くなっている」
⸻
だが――。
「……ナーヴァ……」
戦いの最中、シルバが口にしたその名を聞いた瞬間。
「っ……!」
グラウブの頭に激痛が走る。
膝をつき、額を押さえる。
(ナーヴァ……? 誰だ……?
いや……違う……俺は……知ってる……! 大切な……!)
「大丈夫!?」
ベルが駆け寄る。
その翡翠色の瞳が、グラウブをじっと見つめる。
「……脳に何か異変があるみたい。記憶と関係してるのかもしれない」
シルバは厳しい表情で告げる。
「なら、妖精王グラン・ティターニャに相談するしかない。
彼女なら、失われたものの真実を見せてくれるかもしれん」
グラウブは苦しみながらも頷いた。
「……頼む。俺は……知りたいんだ……」
新たな目的が、ここに示された。
失われた記憶を取り戻すため、三人は妖精王のもとへ歩みを進める――。
森の奥、神樹に包まれた神域。
そこで待っていたのは――妖精王 グラン・ティターニャ。
「……来ましたね。さあ、その魂を見せてください」
彼女の手が男の額に触れると、淡い緑光が体を包み込んだ。
だが、すぐにティターニャの眉がひそめられる。
⸻
「……これは呪いです」
澄んだ声が静かに落ちた。
「かつて“回復魔法”を編み出した魔女が残した呪い。
この魔法を使えば、どんな瀕死の状態でも蘇ることができる。
だが――代償は“記憶”。
使うたびに、大切な記憶を削られていくのです」
ベルが口元を押さえた。
「じゃあ……名前も、全部……」
ティターニャは頷いた。
「そう。あなたが自分を“誰とも呼べない”のは、その呪いのせい」
グラウブは震える声で呟く。
「……俺の、名前も……奪われた……」
⸻
「その呪いを施した魔女は、ただの存在ではありません」
ティターニャの瞳が細まる。
「……あなたの血に連なる者――身内である可能性が高い」
場の空気が凍りついた。
ベルは思わず叫ぶ。
「身内!? じゃあ……自分の家族が、自分を……?」
男は額を押さえた。
頭の奥で、忘れていたはずの声が響く。
(……母……? 姉……? いや……俺は……誰だ?)
強烈な頭痛が襲い、地面に膝をついた。
⸻
ティターニャは重く言った。
「真実を知りたいのであれば、魔女本人に会うしかありません。
彼女は今、アルムンドの奥の洞窟に潜んでいます。
そこには純粋な“殺気”しか存在しない。
……近づけば、心ごと呑まれるでしょう」
シルバが低く唸った。
「なら俺が道を切り開く。森で生きたこの身を、今度はこいつのために使う」
ベルは一歩前に出た。
「私も行く。名前を取り戻さなきゃ――あなた自身を取り戻さなきゃ」
グラウブは深く息を吸い込み、震える声で応えた。
「……ああ。奪われたものを……必ず取り戻す」
こうして三人は、名も持たぬ男の失われた真実を求めて――回復の魔女へと歩みを進めた。
アルムンドの街に足を踏み入れた瞬間、胸の奥に奇妙なざわめきが走った。
広場の掲示板に、古ぼけた写真が飾られている。
そこに写っていたのは――確かに、自分と同じ顔の少年だった。
「……ここって……俺の故郷じゃないか?」
ベルが息を呑み、シルバの瞳が鋭く光った。
だが本人にはまだ、その名を思い出せない。
⸻
街の奥にそびえる黒き洞窟。
瘴気が溢れ、冷気が骨まで染み込む。
その奥で待っていたのは――
漆黒のローブを纏い、瞳に業火のような光を宿した女。
「……初めまして。いえ、久しぶりと言うべきかしら」
唇に浮かんだ笑みは、哀しげでどこか狂気を孕んでいた。
「私のことは覚えていないでしょうね。……それでも、あなたにもう一度会えて嬉しいわ」
「誰だ……? 俺はお前なんか知らねえ……覚えてもいない!」
その一言は、まるで刃のように魔女の胸を貫いた。
「……ああ……やっぱり、呪いは残酷。大切なものすら忘れさせる。
ならば――今度こそ楽にしてあげる」
女の身体から、瘴気と魔女のオーラが溢れ出した。
圧力に押され、立っているだけで精一杯だった。
⸻
「私は回復の魔女――リアブローサ。
そして“究極の回復”が何か、知ってる?」
声が洞窟に反響する。
「それは――死者をも蘇らせること。
回復を超えた回復。生命の理を覆す魔法よ」
杖が大地に突き刺さり、瘴気が爆ぜた。
黒き魔方陣が広がり、闇から無数の人影が立ち上がる。
皮膚の剥がれ落ちた兵士、焦点を失った村人――
その中に、一際強い気配があった。
シルバの目が見開かれる。
「……まさか……ナーヴァ……!?」
ベルが振り向く。
「ナーヴァ……? 誰……?」
シルバの声は震えていた。
「……俺がかつて育てた子だ……だが今のこれは……!」
魔女リアブローサが愉悦に満ちた声で囁いた。
「そう。あなたの大切なものを――蘇らせてあげたのよ」
アンデッドと化したナーヴァが、ゆっくりと顔を上げる。
その瞳には、人ならぬ嗤いが浮かんでいた――。
次回予告
第38話 死者との邂逅
“自分の名前”を取り戻す鍵――
それは、生きている者からではなく、死者が残した言葉だった。
なぜ、死者の声が彼に届いたのか。
なぜ、それが名前を呼び覚ましたのか。
そして、その理由に隠された真実とは――
*
最後まで読んでいただきありがとうございます。
名前を呼ばれたい。
存在を確かめたい。
それは人が生きる根源であり、彼にとっては何より奪われたものだった。
“回復”という希望が、実は記憶を削る呪いだったとしたら。
そして、その呪いを与えたのが自分の血筋だったとしたら――。
蘇った死者は、果たして救いなのか、それとも絶望なのか。
ナーヴァとの邂逅は、彼の名を呼び戻すのか。
それとも、心をさらに引き裂くのか。
読んでくださったあなたに問いかけます。
「もし大切な人が“死者”として蘇ったら――あなたは抱きしめますか? それとも、斬りますか?」
次回、第38話『死者との邂逅』。
記憶を取り戻す戦いは、魂をも試す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます