37話 かつての記憶

名前を忘れ、過去を失った男。

その秘密は――“回復の魔女”が残した呪いにあった。


癒しの代償は、記憶。

大切な人の名も、自分自身すらも忘れていく残酷な宿命。


けれど、その呪いを解くために辿り着いた先で待っていたのは、

母か、姉か、血の繋がりを持つ魔女リアブローサ。


「究極の回復」とは何か。

そして――蘇ったのは、かつての仲間ナーヴァ。


死者との再会が、すべての真実を呼び覚ます。

今章は、愛と喪失のすべてを揺さぶる一篇です。



シルバの目に、かつての記憶がよぎる。


――彼は元は人間だった。

欲深き森の開拓者たちと共に、魔獣に挑んだ若き戦士。だが仲間は次々に倒れ、己も魔獣の呪いに侵されて倒れた。

その姿は銀狼と化し、人の姿を失った。


絶望の果てに現れたのは、森の妖精王――グラン・ティターニャ。

彼女の加護によって心を保ち、この森の「守り神」として再び立ち上がった。


そして――ナーヴァ。

かつて幼き彼を育て、戦い方を教えたのは他でもないシルバだった。

その経験が、今ベルを導いている。



「来るぞ、ベル!」


咆哮とともに現れた魔族シアデビル。

その掌に黒雷が走り、空気を裂く。


「ぐっ――!」

シルバは即座に人化を解いた。

銀色の毛並みをまとった銀狼人の姿が宙を舞い、雷撃を弾く。


「魔雷魔法か……相性が悪いな」


「なら、私が合わせる!」

ベルが両手を広げる。

「風よ、大地を抱け――風土魔法ガイアウィンド・ケージ!」


大地が隆起し、風が絡み合い、シアデビルの足を縛り付けた。


「今だ、シルバ!」


銀光が閃く。

シルバの爪が雷を切り裂き、ベルの魔法が生んだ隙を穿つ。


「喰らえ――!!」


轟音。

銀狼の牙が魔族の喉を貫き、シアデビルは絶叫と共に黒煙となって消えた。



静寂。


ベルは荒い息をつきながらも、凛と立っていた。

「……やった。私でも、戦えた」


シルバは頷いた。

「立派だったぞ、ベル。お前は確かに強くなっている」



だが――。


「……ナーヴァ……」

戦いの最中、シルバが口にしたその名を聞いた瞬間。


「っ……!」

グラウブの頭に激痛が走る。

膝をつき、額を押さえる。


(ナーヴァ……? 誰だ……?

いや……違う……俺は……知ってる……! 大切な……!)


「大丈夫!?」

ベルが駆け寄る。

その翡翠色の瞳が、グラウブをじっと見つめる。


「……脳に何か異変があるみたい。記憶と関係してるのかもしれない」


シルバは厳しい表情で告げる。

「なら、妖精王グラン・ティターニャに相談するしかない。

彼女なら、失われたものの真実を見せてくれるかもしれん」


グラウブは苦しみながらも頷いた。

「……頼む。俺は……知りたいんだ……」


新たな目的が、ここに示された。

失われた記憶を取り戻すため、三人は妖精王のもとへ歩みを進める――。


森の奥、神樹に包まれた神域。

そこで待っていたのは――妖精王 グラン・ティターニャ。


「……来ましたね。さあ、その魂を見せてください」


彼女の手が男の額に触れると、淡い緑光が体を包み込んだ。

だが、すぐにティターニャの眉がひそめられる。



「……これは呪いです」

澄んだ声が静かに落ちた。


「かつて“回復魔法”を編み出した魔女が残した呪い。

この魔法を使えば、どんな瀕死の状態でも蘇ることができる。

だが――代償は“記憶”。

使うたびに、大切な記憶を削られていくのです」


ベルが口元を押さえた。

「じゃあ……名前も、全部……」


ティターニャは頷いた。

「そう。あなたが自分を“誰とも呼べない”のは、その呪いのせい」


グラウブは震える声で呟く。

「……俺の、名前も……奪われた……」



「その呪いを施した魔女は、ただの存在ではありません」

ティターニャの瞳が細まる。


「……あなたの血に連なる者――身内である可能性が高い」


場の空気が凍りついた。

ベルは思わず叫ぶ。

「身内!? じゃあ……自分の家族が、自分を……?」


男は額を押さえた。

頭の奥で、忘れていたはずの声が響く。


(……母……? 姉……? いや……俺は……誰だ?)


強烈な頭痛が襲い、地面に膝をついた。



ティターニャは重く言った。

「真実を知りたいのであれば、魔女本人に会うしかありません。

彼女は今、アルムンドの奥の洞窟に潜んでいます。

そこには純粋な“殺気”しか存在しない。

……近づけば、心ごと呑まれるでしょう」


シルバが低く唸った。

「なら俺が道を切り開く。森で生きたこの身を、今度はこいつのために使う」


ベルは一歩前に出た。

「私も行く。名前を取り戻さなきゃ――あなた自身を取り戻さなきゃ」


グラウブは深く息を吸い込み、震える声で応えた。

「……ああ。奪われたものを……必ず取り戻す」


こうして三人は、名も持たぬ男の失われた真実を求めて――回復の魔女へと歩みを進めた。


アルムンドの街に足を踏み入れた瞬間、胸の奥に奇妙なざわめきが走った。


広場の掲示板に、古ぼけた写真が飾られている。

そこに写っていたのは――確かに、自分と同じ顔の少年だった。


「……ここって……俺の故郷じゃないか?」


ベルが息を呑み、シルバの瞳が鋭く光った。

だが本人にはまだ、その名を思い出せない。



街の奥にそびえる黒き洞窟。

瘴気が溢れ、冷気が骨まで染み込む。


その奥で待っていたのは――

漆黒のローブを纏い、瞳に業火のような光を宿した女。


「……初めまして。いえ、久しぶりと言うべきかしら」

唇に浮かんだ笑みは、哀しげでどこか狂気を孕んでいた。


「私のことは覚えていないでしょうね。……それでも、あなたにもう一度会えて嬉しいわ」


「誰だ……? 俺はお前なんか知らねえ……覚えてもいない!」


その一言は、まるで刃のように魔女の胸を貫いた。


「……ああ……やっぱり、呪いは残酷。大切なものすら忘れさせる。

ならば――今度こそ楽にしてあげる」


女の身体から、瘴気と魔女のオーラが溢れ出した。

圧力に押され、立っているだけで精一杯だった。



「私は回復の魔女――リアブローサ。

そして“究極の回復”が何か、知ってる?」


声が洞窟に反響する。


「それは――死者をも蘇らせること。

回復を超えた回復。生命の理を覆す魔法よ」


杖が大地に突き刺さり、瘴気が爆ぜた。

黒き魔方陣が広がり、闇から無数の人影が立ち上がる。


皮膚の剥がれ落ちた兵士、焦点を失った村人――

その中に、一際強い気配があった。


シルバの目が見開かれる。

「……まさか……ナーヴァ……!?」


ベルが振り向く。

「ナーヴァ……? 誰……?」


シルバの声は震えていた。

「……俺がかつて育てた子だ……だが今のこれは……!」


魔女リアブローサが愉悦に満ちた声で囁いた。

「そう。あなたの大切なものを――蘇らせてあげたのよ」


アンデッドと化したナーヴァが、ゆっくりと顔を上げる。

その瞳には、人ならぬ嗤いが浮かんでいた――。


次回予告


第38話 死者との邂逅


“自分の名前”を取り戻す鍵――

それは、生きている者からではなく、死者が残した言葉だった。


なぜ、死者の声が彼に届いたのか。

なぜ、それが名前を呼び覚ましたのか。


そして、その理由に隠された真実とは――



最後まで読んでいただきありがとうございます。


名前を呼ばれたい。

存在を確かめたい。

それは人が生きる根源であり、彼にとっては何より奪われたものだった。


“回復”という希望が、実は記憶を削る呪いだったとしたら。

そして、その呪いを与えたのが自分の血筋だったとしたら――。


蘇った死者は、果たして救いなのか、それとも絶望なのか。

ナーヴァとの邂逅は、彼の名を呼び戻すのか。

それとも、心をさらに引き裂くのか。


読んでくださったあなたに問いかけます。

「もし大切な人が“死者”として蘇ったら――あなたは抱きしめますか? それとも、斬りますか?」


次回、第38話『死者との邂逅』。

記憶を取り戻す戦いは、魂をも試す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る