第21話 キャンディ

 ――誰にも内緒。

 小さいころ、わたしと彼はよくそう言って、どちらかがポケットに入れて来たキャンディを分け合って食べた。

 小さな丸いキャンディは、口の中で転がすと、あっという間に溶けてなくなってしまう。

 それでも、貧しいわたしたちにとっては、唯一の甘味だったから、大事に大事に食べたものだ。

 キャンディは、村に一軒だけあるお菓子屋の奥さんが、貧しいわたしたちを憐れんで恵んでくれるものだった。ただ、旦那さんに見つかると奥さんも叱られるから、旦那さんが留守の時しかもらえない。

 だからもらえない時のために、わたしはキャンディの包み紙を取ってある。

 取り出して、紙に残っているキャンディの甘い香りを嗅いで、舌の上に甘い味を思い描いて、キャンディを食べたつもりになるのだ。


 そうやってキャンディを分け合っていたころ。

 わたしと彼――ジョーゼフは、結婚の約束をした。

 村にはわたしたち以外にも子供はいたけれど、みんなそれなりに裕福で、わたしやジョーゼフはいつもバカにされたり、いじめられたりしていたから……あのころのわたしたちには、お互いしかいなかったのだ。

 それに、わたしの祖母はよく、「女の幸せは、つり合いの取れる家に嫁に行くことだ」と言っていたから、彼と結婚することはきっと「女の幸せ」につながっていて、祖母も両親も喜んでくれるに違いない――わたしは当時、そんなふうに思っていた。


 それから年月が過ぎて、わたしとジョーゼフは、十七になった。

 この村では、みんな十六、七歳で結婚するから、わたしたちもそんな年になったということだ。

 結婚の申し込みは男からするものだから、わたしもジョーゼフから申し込みがあるのを待っていた。

 ところが、その年の春の終わりに、とんでもない話が聞こえて来た。

 ジョーゼフが、ご領主様のご令嬢と婚約したというのだ。

「どういうことよ、ジョーゼフ! あんたは、わたしと一緒になるんでしょ!」

 ジョーゼフが村に帰省した時、つかまえて問い詰めると、彼は肩をすくめて言ったものだ。

「俺はおまえに申し込んだ覚えはないし、婚約の話はご領主様から直々に来たものなんだ。断れるわけないだろう?」

「でも、わたしたち、小さいころに約束したじゃない! 大きくなったら結婚するって」

 言い募るわたしを、彼は鼻先で笑う。

「そんなの、子供のころの口約束にすぎないだろ。俺はそもそも、もうあのころの貧乏な家の子供じゃないしな」

 彼の言葉に、「ああ、そうだった」とわたしは思う。

 十五で村を出て、大きな街の大商人の店で働いていた彼は、十六の年にその大商人の養子になったのだ。


 彼の養父となった大商人は、王様にもお目にかかれるほどの豪商で、国中にいくつも店を持っていた。そして、自分の商売を広げるために、見所のある者を養子にしては店を持たせたり、貴族や他の豪商と縁付けたりしているのだそうだ。

 彼が言うには、この春先に養父の代理でご領主様のご令嬢の、誕生日の祝いの席に出たのだという。

 そこでご令嬢と親しくなって、何度か会う機会を得た。

 そのうち、ご領主様にも気に入られ、やがてはご令嬢との婚約ということになったのだそうだ。

「おまえのような、貧民の娘がどうこうできるような話じゃないのさ」

 ジョーゼフは、最後にそう言って、立ち去って行った。

 けれど、わたしは諦められなかった。

 だって、わたしたち、ずっと二人で生きて来たのよ。

 この村で、誰にも顧みられることもない中で、わたしたち、お互いしかいなかったじゃない。

 どうしたらいいんだろう。

 どうしたら、彼を取り戻せるの?


 何日もどうすればいいのか、悩み続けていたある日。

 わたしは、夢を見た。

 夢の中で、わたしは森の中の道を歩いていた。その道の向こうには、小さな家が見える。

 その家にたどり着いて中に入ると、そこには何年か前に死んだ祖母がいた。

「おばあちゃん……!」

 驚いて声を上げるわたしに、祖母はエプロンのポケットから、小瓶を取り出した。小瓶はガラスでできていて、中には昔お菓子屋の奥さんがくれたような、小さくて丸いキャンディがたくさん詰まっていた。昔もらったものと違うのは、紙に包まれていなくて、キャンディがそのまま入っていることだ。

「これを持ってお行き」

 祖母はそれをわたしに差し出して、言った。

「このキャンディは、食べた者が最初に目にした人間の虜になる魔法の飴だ。おまえが放したくない男に食べさせてやるといいよ」

「ありがとう、おばあちゃん」

 わたしは、ためらうことも疑うこともなく、それを受け取った。


 目が覚めると、不思議なことにキャンディの詰まった小瓶は、本当に枕元にあった。

 わたしはその日から、ポケットにその小瓶を忍ばせて、ジョーゼフが帰省する日を待った。


 次にジョーゼフが村に戻ったのは、夏のはじめのことだった。

 一人ではなく、婚約者であるご領主様のご令嬢も一緒だった。なんでも、ご令嬢が彼の実の両親に会いたがったので、連れて来たのだそうだ。

 ジョーゼフの両親は、彼が大商人の養子になった時、これまでの養育費という名目で大金をもらったそうだ。村ではそれに対して「子供を売ったも同然だ」と陰口を言う人たちもいたけれど。でも彼の両親はその金で家を建て直し、村のはずれの土地を買って畑にし、今ではずいぶんと裕福なくらしをしている。

 だからジョーゼフも、たびたび村に帰省していて、今度もご令嬢を同行することを承知したのだろう。

 なんにせよ、わたしにとってこれは、彼にあのキャンディを食べさせる絶好の機会だった。


 ジョーゼフが帰省した翌日の夜、わたしは彼を村はずれに呼び出した。

「なんの用だよ。結婚のことなら、何度話しても無駄だぜ」

 不機嫌な顔で言う彼に、わたしはキャンディの小瓶を見せて言った。

「わかっているわよ。わたしも、諦めたわ。相手は、ご領主様のご令嬢ですものね。……ただ、今日はちょっと昔を懐かしみたかったの。これ、覚えてる? 小さいころの、わたしたちの唯一の甘いもの」

「ああ……」

 彼が少しだけ、懐かしげな声を出す。

 わたしは、小瓶の蓋を開けて、キャンディを一つ取り出した。

「これを一緒に食べて、終わりにしたいの」

 彼は軽く目を見張ったが、すぐにうなずいた。

「わかった」

 言って、手を差し出す。

 わたしは彼の手のひらの上に、今取り出したキャンディを乗せた。

 その途端。

「あら、美味しそう」

 声と共に白い指先が伸びて来て、彼の手の上のキャンディをつまみ上げたのだ。

 あっ! と思ってそちらを見ると、そこには彼の婚約者のご令嬢が立っていた。

「なんで君が……!」

 ジョーゼフが、驚きの声を上げる。

「こんな所で、女性と二人きりなんて、穏やかじゃないわね」

 ご令嬢はいたずらっぽく笑って言うと、手にしたキャンディを口に入れた。そしてわたしをふり返る。

「残念ね、あなた。彼はわたくしと結婚するのよ。この村へも、もう二度と……」

 きつい口調で言いかけた彼女の顔が、ふいにとろりとゆるんだ。

「あなた、とても素敵ね。……お名前は、なんとおっしゃるの? わたくしと一緒に来て、わたくしの恋人になってくださらない?」

 潤んだ瞳で言うなり、わたしを抱きしめ、くちづけようとする。

「ち、ちょっと……何……! 離して!」

 わたしは必死に、彼女を引き剥がそうとするけれど、彼女は同じほど強い力で抱きついて来た。


 いったい、何が起こっているの?

 しばらく恐慌状態だったわたしは、気づいた。

 ご令嬢は、あのキャンディを食べた。そして、そのあとすぐに、わたしを見たのだ。

 つまり彼女は、わたしの虜になったということ。

 嘘でしょう……。

 わたしは、ご令嬢にしがみつかれたまま、その場に崩れ落ちた。


 傍には、事態を理解できないままのジョーゼフが、一人立ち尽くしているばかりだった。

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