第14話 ソフトクリーム

 仕事が終わって、彼との待ち合わせの場所に急いでいると、どこからか子供の泣き声が聞こえて来た。あたりを見回すと、公園の入り口近くで小学校低学年と思しい男の子が、大泣きしている。

 急いでるんだけどなと思いつつわたしは、そちらに歩み寄った。

「どうしたの、ぼく」

 声をかけると、しゃくりあげながら、ソフトクリームを落としてしまったのだと言う。見ればたしかに、その子の足元には見事に潰れて土にまみれたソフトクリームがあった。

 あらら……これはたしかに、泣いちゃうわ。

 公園の中を見回すと、ソフトクリームを販売する屋台が出ている。たぶん、あそこで買ったのだろう。

 わたしは「ちょっと待っててね」と男の子に声をかけると、そちらに向かった。

 一つソフトクリームを買って、男の子の元に戻ると、それを差し出す。

「はい」

「え? いいの?」

 まだ涙のたまった目を大きく見開いて、男の子が訊いて来た。

「いいよ。これも何かの縁だから、奢ってあげる」

「ありがとう」

 わたしが言うと、男の子はそれを受け取って礼を言うと、笑顔で踵を返す。

「今度は落とさないように、気をつけてね」

 駆け去って行く背に声をかけ、わたしは地面に落ちたソフトクリームをティッシュで拾って公園のゴミ箱に捨てると、目的地へと急いだ。


 目的地へと向かいながらわたしはふと、子供のころのことを思い出した。

 ちょうどさっきの男の子と同じ年ぐらいのころ。近所にいじわるな同級生の男の子がいた。

 その子は何かというと、わたしの髪を引っ張ったり服を引っ張ったりして、わたしにちょっかいをかけて来た。ゲタ箱に泥団子を入れられたり、給食のおかずを取られたりしたこともある。

 とにかく、わたしの嫌がることをしたりからかって来たりと、嫌な男の子だったのだ。


 夏休みのある日、わたしは近所のお店でソフトクリームを買って、店の外にあるベンチでそれを食べようとしていた。

 そこは当時、近所の小学生の女の子たちの間では憧れのお店だった。

 というのも、そこはソフトクリーム専門のお店で、他よりもちょっと値段が高くて、その分いろんな味のものが選べる――当時の小学生の女の子からしたら、なんとなくオシャレな感じがするお店だったのだ。

 もちろんわたしもそのお店に憧れていたから、おこずかいをせっせと貯めては、ほんの時たま、そこでソフトクリームを買って食べるということをしていた。

 それで、その日もその特別なソフトクリームを堪能しようとしていたのだ。

 そこに、例のいじわるな男の子がやって来た。

「いいもん食ってるじゃないか」

 言うなり彼は、わたしのソフトクリームを舐めようとしたのだ。

 とっさにわたしは、大きく腕を回してそれを避けようとした。けれどたぶん、焦っていて腕をふり回しすぎたんだと思う。

 ソフトクリームは、わたしの手から離れて飛び、地面にべちゃりと落ちたのだ。

 わたしはしばらく、何が起きたのか理解できなくて、呆然と地面の上でぐちゃぐちゃになったソフトクリームを見ていた。

 すると、ぽたり、ぽたりとその上に、水滴が落ちる。

 それが自分の涙だと気づいたのは、どれぐらい経ってからだろう。

「え……おい……」

 男の子は、まさかわたしが泣き出すとは、思っていなかったのかもしれない。焦ったように、声を上げ、それから言った。

「泣くなよ。ソフトクリームなんて、また買えばいいじゃないか」

 その言葉に、わたしは頭にカッと血が昇るのを感じた。

 このソフトクリームは、そんな簡単なものではないのだ。

「あんたなんか大嫌い! もう二度とわたしに近寄らないで!」

 わたしは叫んで彼を突き飛ばし、そのまま家まで走って帰った。

 そしてそれからわたしは、彼といっさい口を利かなくなった。

 彼の方でもそのあとは、わたしをからかったりいじわるをして来ることはなくなったけど、それでもわたしはひたすら彼を無視していた。


 そうこうするうち、わたしは父の仕事の都合で引っ越して、学校も変わり、その男の子とも顔を合わせることがなくなったのだった。


 そんな昔のことを思い出しているうちに、わたしは待ち合わせ場所のファミレスへと到着した。

 店内に入ると、席の一つから手をふる者がいる。恋人の悟だ。そしてこの男が、小学校の時のいじわるな男の子だった。

 悟と再会したのは、大学生の時だった。

 同じ大学の同じ学部で、わたしの方は気づかなかったけれど、彼の方はすでに入学した時からわたしがいることに気づいていたようだった。

 ある時「あの時はごめん!」と顔を合わせるなり、謝られた。

 わたしの方は、なんのことだかわからず、目をぱちくりさせてしまったのだが……彼が誰かがわかって、謝罪の理由も理解した。

「今更、いいわよ。……ただ、気分はよくないから、もうわたしに近づかないで」

 わたしは、小さく肩をすくめて言ったものだ。

 たしかに今更、小さいころのことをどうこう言うつもりはなかった。ただ、彼が子供のころのわたしにしたことを思えば、とても笑って友達付き合いをするような気にはなれない。だから、謝罪を受け入れて終わりにしようと思ったのだ。

 けれど彼の方は、わたしと新たな関係を築きたがっていた。

 友人を介して声をかけて来たり、講義の教室では隣に席を取ったり……時には少し離れた場所から、わたしを盗み見るようにしていることもあって、なんでそんなにわたしに執着するんだろうと、少しばかり煩わしく感じるようになった。

 そんな中、彼の方から一度二人で話したいと言って来て、大学から少し離れた喫茶店で会った。

 そこで彼から告げられたのは、小学生の時、彼がわたしを好きだったという驚きの事実だった。

「あのソフトクリームの件は、正直俺も失敗したって思ってた。まさか泣くなんて思ってなかったし……。でも、あとから姉に、あそこのソフトクリームはちょっと特別なんだって聞いて……謝りたかったけど、声なんてかけられない雰囲気だったし、しかもそのあと引っ越して行っちゃって……」

 彼はテーブルに視線を落としたまま、そんなことをポツポツと話した。

 彼の話を聞きながら、わたしも当時のことを少し思い出した。

 引っ越しの件は、仲のいい女の子にしか話していなかったし、引っ越し自体は秋の連休の間のことだった。なので、わたしの引っ越しを知らない人からしたら、連休が終わって学校に出て来たら、わたしがいなくなっていたとも見えたかもしれない。もちろん、引っ越し先の住所を教えたような相手もいなかったから、彼からすれば謝ることもできなくなって、愕然としてしまっただろう。

(にしても……好きな子に意地悪して気を引くって……たまに昔の少女マンガとかで見かけるけど、ただのバカだわ……)

 その時には、本当にそう思ってしまった。

 だって、いくら気を引けたところで、相手に嫌われてしまっては話にならないだろう。

 しかも彼は、大学で出会った時も、まだわたしのことを好きだったらしいのだ。


 それからいろいろあって、結局わたしたちは恋人同士になった。

 大人になった彼は、子供のころの自分を反面教師にしているのか、ずいぶんと紳士だ。

 わたしの方も、子供のころとは違う視点で彼を見られるようになった。簡単に言えば、彼のぶっきらぼうな言葉の裏にある優しさがわかるようになったり、子供っぽい言動を可愛いと思えるようになったのだ。

「お待たせ!」

 わたしは彼のいる席に駆け寄り、声をかける。

「俺も今来たとこだから」

 悟も笑って返して来る。

 その向かいに腰を下ろして、わたしは悟に笑いかけた。

 小学生の時には考えたこともない未来が、そこには広がっていた。

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