第9話 マカロン

 マイケルは、カルナバル公爵家の料理人で、特にお菓子を作るのが得意だった。

 カルナバル公爵には、十七歳になるクラリシアという令嬢がいた。

 クラリシアは、青い瞳と金の髪、白い肌のそれはそれは美しい少女で、公爵家に勤める若い男たちは誰もが、高嶺の花とは思いつつも、彼女に好意を抱いていた。

 もちろんマイケルもその一人で、クラリシアに自分の作ったお菓子を「美味しい」と言われるだけで、天にも昇る心地になるのだった。


 そんな中、公爵家の使用人たちの間に、クラリシアが婚約するという噂が流れた。

 むろん、多くの若い使用人たちは、「しかたがない」とあきらめた。もともと、自分たちに手の届くような人ではなかったのだ。

 貴族の令嬢の多くは、十五歳~十七歳ぐらいで婚約し、二十歳までにはその相手と結婚するのが常だ。人によってはもっと幼いころに、婚約者が決められることもある。

 物語に出て来るような、使用人と恋に落ちて駆け落ちするなどということは、実際にはなかなかないことなのだ。


 だが、マイケルはあきらめきれなかった。

 せめて自分の気持ちを、少しだけでもクラリシアに知ってもらいたい。そう思った。

(何かいい方法はないだろうか)

 考えあぐねていた時、ふと思いついたのが「お菓子言葉」というやつだ。

 なんでも貴族の御婦人方の間で流行っているとかで、少し前に公爵夫人が友人たちを招いてお茶会をする際に、「この菓子にはこんな『お菓子言葉』があるから、これらを作るように」と指示されたことがあったのだ。

 更に家政婦長からは、「お菓子言葉」は貴婦人たちがお互い同士や恋人と、ちょっとした言葉のやりとりをするために使うこともある、と教えられた。

 つまり、花言葉や石言葉のように、お菓子一つ一つに言葉を当てはめ、それを贈り合うことでたとえば「熱愛しています」だとか「感謝しています」などと、ひそやかなやりとりをするというのだ。

(それを使おう。クラリシア様も貴族のご令嬢だ。きっと、お菓子言葉をご存知のはずだ)

 マイケルは、そう心に決めた。


 数日後。

 午後三時のお茶の時間のために、マイケルはマカロンを作った。

 薄いピンクと濃い赤の二色のマカロンだ。

 マカロンのお菓子言葉は「あなたは特別な人」だった。

 たとえばバラの花のように、色によってお菓子言葉が違うということはなかった。けれど、ピンクや赤の方が、より自分の気持ちの熱さが伝わるのではないか。彼はそう考えたのだ。

 とはいえ、色に関しては作る前に少しだけ逡巡した。

 というのも、料理長からは「お嬢様に出す菓子には、赤やピンクの色は避けるように」と言われていたからだ。もっとも、潰したイチゴやベリーを混ぜたクリームや、赤い色のジャムなどは殊更問題視されたことはなかった。

 そしてこの日、料理長以下の古くから公爵家に仕える料理人たちは、公爵が城に引き連れて行っていて留守だった。

 なので彼を咎める者はなく――マイケルは、少しの逡巡のあと、マカロンの生地をピンクと赤に染めたのだった。


 白い皿に盛り着けられたピンクと赤のマカロンは、たいそう愛らしかった。

「まあ、可愛い」

 クラリシアは目を見張って声を上げると、さっそく一つを指先でつまむ。

 愛らしく繊細な菓子を、目でも堪能したあと、彼女は小さな一口をかじった。

 サクサクと口の中で崩れていく菓子に笑みをこぼし、二口目をかじろうとした。

 その彼女の形相が、ふいに変わる。

 つまんでいた残りのマカロンはテーブルの上に落ち、彼女はまるで息が詰まったかのように両手で喉元を掻きむしった。その口元はたちまちのうちに、赤く腫れ上がる。

「お嬢様!」

「お嬢様! しっかりなさって!」

 その場は大騒ぎとなった。


 幸い、家政婦長の冷静な対処と、かかりつけの医師が呼ばれてすぐに駆けつけてくれたことで、クラリシアは一命をとりとめた。とはいえ、対処が遅ければ彼女は死んでいたかもしれないと、医師は言った。

 知らせを受けて戻った公爵に、医師がクラリシアの状態を説明することになった。

 そしてそこには、家政婦長や女中ら、お茶の席に従っていた使用人と共に、マイケルも立ち会うこととなった。

 一同の前で医師は告げた。

「お嬢様の症状は、アレルギーによるものです。呼吸困難と皮膚の腫れを引き起こしていました。そして、そのアレルゲン……つまり、アレルギーのもととなったのは、マカロンに使われていたコチニール色素ではないかと思われます」

「コチニール色素とは、なんだね?」

「天然の着色料です。……ほら、あのマカロンはピンクと赤でしょう」

 公爵の問いに答えた医師が、テーブルを示す。

 彼らがいるのは、クラリシアがお茶に使っていた部屋で、テーブルの上には菓子や茶器がそのままになっていた。

 ちなみにそれは、もし公爵が警察を呼ぶつもりならかたずけない方がいいと、医師が助言したために、そのままにされているのだった。

 その場の全員の視線が、テーブルの上の菓子に向く。

 医師は、言葉を続けた。

「菓子にああいう色をつけるために使われるのが、コチニール色素です。……お嬢様は、それに対するアレルギーをお持ちだったのです」

 それを聞いて公爵は、その場に居並ぶ使用人らを睥睨した。

「そなたら、それを知っておったのか」

「私どもは、何も聞いておりませんでした」

 代表するように家政婦長が言って、他の女中たちをふり返る。視線を向けられた女中らも、慌ててかぶりをふった。

 それを見て、公爵はマイケルに目を向ける。

「わ、私も今の先生のお話については、知りませんでした。ただ……料理長からは、『お嬢様にお出しする菓子にピンクや赤の色をつけるのは避けるように』とは言われておりました」

 マイケルは、震える声で答えた。

「ではなぜ、菓子に色をつけたのだ。お茶の席のための菓子を作ったのは、そなたであろうが」

「そ、それは……」

 公爵に詰問されて、彼はしどろもどろに釈明する。

「その……赤い果物を混ぜたクリームや、ジャムなどは今まで問題ありませんでしたので……マカロンは、可愛い菓子ですし……ピンクや赤に染めた方が可愛くて……お嬢様にも喜んでいただけるのではないかと思いまして……」

 さすがに本当のことは言えるわけもなく、彼は必死に理由をしぼり出した。

 だが、公爵は険しい顔で料理長を呼ぶように命じたばかりだ。


 やがてやって来た料理長が、公爵からマイケルの釈明を聞かされ、菓子の色について説明せよと命じられた。料理長は、一瞬驚いた顔でマイケルを見やったあと、口を開く。

「お嬢様にお出しするものに、着色料を使ってはならない、というのは先代の料理長からの申し送りでした。ただ、料理人の中には学がなく、『着色料』と言っても理解できない者もおります。ですので、常日頃から、ピンクや赤に色をつけたものはお出ししないようにと言い聞かせておりました。ですがまさか、果物の赤やピンクと、着色料が別のものだと理解されていないとは、私も思っておらず……申し訳ありません。私がもっと詳しく説明していれば、こんなことには……」

 最後には謝罪を口にして頭を垂れる料理長に、公爵は「そなたのせいではない」と返して、改めてマイケルをふり返る。

「そなたに悪意があったわけではないのは、よくわかった。……だが、そなたのような軽率な者を、屋敷に置くわけにはいかぬ。それに、娘はそなたのせいで死にかかったのだ。それについては、咎められねばならないだろう」

 重々しい口調で言って、公爵は執事を呼ぶ。そして、ただちに警察を呼ぶように命じたのだった。

 それに対してマイケルは、許しを乞うことも弁明することもできないまま、ただ膝からガックリとその場に崩れ落ちる。

(そんな……。俺はただ、クラリシア様に気持ちをお伝えしたかっただけなのに……)

 胸の奥でただ呆然と呟く彼の視線の向こうで、ピンクと赤のマカロンが愛らしい姿をさらしていた。

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