第2話 ロードサイド
一人の男が歩いていた。
ロードサイドを。
真夏の夜に。
色褪せたジーンズにアロハシャツ一枚。
ビーチサンダル。
金髪の癖のある髪を靡かせて。
薄い水色のサングラスをかけている。
いかにも不審者。
草木も眠る丑三つ時。
男が歩く音だけが幹線道路に反響する。
時折通る物流の大型トラック。
運転手たちは歩道を歩く不審な男を横目では見るが、そのまま通り過ぎる。
男はヒッチハイクする素振りもない。
両手はジーパンのポケットに突っ込んで、だるそうに歩いている。
そこに一台の乗用車が速度を緩めて路肩に停車した。
運転手が降りてくる気配はない。
男は立ち止まることもなく、その車の横を通り過ぎた。
すると車から人が降りてきて、男に声をかける。
「ねえ!…何してるの?大丈夫?」
アジア人だ。日本人だろう。日本語を喋っている。
声や見た目からして女性だろう。
黒いスカートのスーツを着ていて、デートに行くように綺麗にメイク。
だがダサい黒いヒール。メイクで隠しているが肌はボロボロで髪には艶がない。
だが、どれも質の良いものを身につけている。車も。
それなりに裕福な日本人のオフィスワーカーだろうか。
こんな時間まで残業していたのだろうか。
綺麗に取り繕ろうとしてはいるが、表情はやつれきっている。
そんな彼女の声に反応せず、振り返ることもなく男は黙々と歩く。
女は車に戻り、後ろからゆっくりと男に近づいた。
助手席の窓がゆっくりと開く。
車は男と並走するようにクリープで動いている。
「ねえ、何してるの?こんな時間に。この道路を歩いてもしばらく何もないわよ?お店も、ホテルも、家も」
ようやく立ち止まる男。
助手席から運転席の人物を覗く。
突然のことで運転席にいた女性は驚いて身構えた。
その様子を見て男はフッと笑う。
気味が悪いはずなのに、不快に思わせないのは、この男の特質だろうか。
訳がわからず女は戸惑う。
「あの…大丈夫?」
「君のほうこそ大丈夫?こんな人通りがない道で、夜中に、知らない男に声かけて。僕は悪い人だよ?」
「…自分で悪い人って言う人には初めて会った。ご申告どうも。で、何してるの?まじで」
「あー…追い出されてね、当てもなく歩いてる」
男の言葉を聞いて眉を顰める女。
「よくわかんないけど、人通りが多い場所まで乗せてってあげるから、さっさと乗って?今夜は熱帯夜だから、このまま歩いてたら熱中症で死ぬよ?」
男はにっこりと微笑んで助手席に乗り込んだ。
男がシートベルトをしたのを確認して女は車を発進させる。
車内はクーラーでキンキンに冷えていた。
いい車は走行音が静かだ。ディーゼル車。EV独特の耳鳴りのような不気味な静けさはない。
ボリュームは小さいが、何か音楽が流れている。
男は気になって音量のつまみを右に回す。
聞こえてきたのはジャズだ。
ニーナ・シモン。
彼女の趣味だろうか。
少々寒すぎたため、男はパネルを操作して冷房の風量を弱める。
勝手にいじられても何も文句を言わない女。
男は尋ねる。
「どうして、僕を助けるの?」
「さっきも言ったでしょ?今夜は熱帯夜。道端で倒れられたら夢見が悪いの」
「でも君は僕のこと知らないだろ?他人だ」
「他人であっても、生きられるはずの命が死んでいくのが嫌なの。あなたがベッドに寝たきりで沢山の管に繋がれた100歳の老人なら放っておいてたかも。でも、あなたは見たところ、若くて健康そう」
優しいのか冷たいのか分からない価値観。
だが、理にかなっている、と男は思い思わず笑みが溢れる。
車内に流れる音楽を口ずさむ男。
「僕、この曲好きだ」
「あら、そう。祖父と同じ趣味ね」
「君は?どんな音楽が好き?」
「そうね…音楽は…あんまり興味ないかも」
音量が小さくなっていた意味がわかった男は笑った。
この女は最近この車に自分の祖父を乗せたのだろう。
「じゃあ僕がDJをしよう」
男はパネルを操作して選曲する。
女は思った。
この男はフレンドリーだと。
だが、勝手にモノを触られるのを嫌がる人もいる。
この男の行動は一歩間違えると図々しい。
“馴れ馴れしい“と言う方がしっくりくるかもしれない男が気になり女は尋ねる。
「あなた、どこの人?」
「さあ?」
「さあ?私はこの先の街に住んでる」
「この先って、お金持ちのエリアだよね?」
「比較的そうね」
「あんまりそういうことは他人に言わない方がいいよ?」
「どうして?」
「金があると分かったら、よからぬことを企む人もいるだろ。それに、どこに住んでるかは“超個人情報“だ」
「あなたは、よからぬことを企んでるの?」
「僕自身がよからぬ人だからね」
「…何してる人?私は弁護士よ」
「じゃあ僕が捕まったら弁護を頼むよ」
「とっても高いわよ?私」
冗談が言い合えるようになってきたところで街の灯りが見えてきた。
ロードサイドのお店が見えてきた。
「ここら辺でいいよ」
「…当てはあるの?」
「そこのお店で探す」
女はお店のそばまで着て路肩に停車した。
男はシートベルトを外して車を降りようとする。
女は男に声をかける。
「そこのお店で働いてるの?」
「いや?客として行こうと思って」
女はある不安が頭を過ぎる。
男を見るに、何も持っていなさそうだ。
「……お金持ってる?」
「ない。でも誰か奢ってくれるはず」
男はそう言って車のドアを開けて出て行こうとした時、彼女に腕を掴まれた。
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