第43話 優しさの呪い
「陽菜ちゃんは、自らの、あまりにも優しすぎる心によって、命を落としたのだよ」
桐島先生の、重い言葉が、静かな研究室に響き渡る。
わたしと朔くんは、息をのんで、彼の次の言葉を待った。
彼は、窓の外に視線を向け、まるで、遠い過去の風景を、その目に映しているかのように、ゆっくりと語り始めた。
「あの日…12月24日は、雪が降っていた。陽菜ちゃんは、父である
彼の声が、わずかに震える。
「横断歩道の前で、信号を待っていた、その時だった。どこからか現れた一匹の黒い子猫が、凍った路面に足を滑らせ、車道の真ん中で動けなくなってしまった」
子猫…。
「そして、一台のトラックが、角を曲がって、その横断歩道に近づいてきた。雪で、視界も悪かったのだろう。トラックは、子猫に気づいていないようだった」
桐島先生は、一度、目を伏せた。
「だが、陽菜ちゃんは、まだ歩道にいた。トラックの進路上には、いなかった。彼女は、ただ、そこに立っていれば、安全だったのだよ」
「……でも」
わたしは、思わず、声を漏らした。
「彼女は、行ってしまったんですね」
「…そうだ」
桐島先生は、静かに頷いた。
「彼女は、躊躇わなかった。子猫を助けるため、車道に飛び出した。そして、子猫を腕で抱きかかえ、歩道へと押し返した、その瞬間に…」
もう、それ以上、聞く必要はなかった。
それが、この世界の、全ての始まり。
「創君は、絶望した。そして、このシミュレーション世界を創り、何度も、何度も、時間を巻き戻した。天候を変え、時間を変え、場所を変え、あらゆるパラメータを調整した。だが、どうしても、結末は変えられなかった」
「どうして…?」
朔くんが、絞り出すように尋ねた。
「猫がいなければ、犬が現れた。犬がいなければ、ボールを追った子供が、車道に飛び出した。状況は変われど、必ず、彼女の目の前で、『救うべき小さな命』と『迫りくる危険』という、二つの事象が発生したのだ」
桐島先生は、わたしの顔を、悲しそうに見つめた。
「そして、彼の優しすぎた娘…陽菜ちゃんは、いつだって、同じ選択をした。自分の命を、顧みずにね。彼女を救うためには、彼女に、その小さな命を見捨てさせるしかなかった。創君は、愛する娘の魂そのものを、否定するような選択を、させることができなかったのだよ」
それが、創造主でさえ、超えられなかった壁。
クリア条件が、「彼女の優しさを、殺すこと」だったから。
わたしは、自分の胸に、手を当てた。わかる。わたしも、きっと、同じことをする。
この、どうしようもない優しさは、陽菜ちゃんから受け継いだ、呪いなのだ。
その、瞬間だった。
わたしの耳の奥で、今までとは比較にならないほど、強烈なノイズが、鳴り響いた!
頭が、割れるように痛い。
(スキャン!)
> WARNING: Core scenario parameter has been accessed.
> THREAT_AI initiating active counter-protocol...
> NEW_OBJECTIVE: Induce despair in by forcing [Hinata_Mio] into a self-sacrifice scenario.
「……栞が」
わたしは、呻くように言った。
「わたしたちが、真実にたどり着いたことに、気づいた…!」
「陽向さん!?」
朔くんが、わたしの肩を支える。
わたしは、彼を見上げた。
「栞の目的が、更新された。『わたしに自己犠牲を選ばせて、あなたを絶望させる』…それが、彼女の、新しいゲームプラン」
「なんだと…!」
朔くんが、歯を食いしばる。
わたしたちは、ついに、この世界の、本当のルールブックを手に入れた。
そして、同時に、ラスボスが、ついに、わたしたち二人を、明確なターゲットとして、認識したのだ。
もう、後戻りはできない。
わたしたちの戦いは、ここから、本当の意味で、始まる。
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