第19話 「次元安定化符文」と「エーテル繊維」の開発

宿屋の一室、私の錬金術研究所は、過去数週間の激しい試行錯誤の痕跡で埋め尽くされていた。失敗した試作の袋が山と積まれ、部屋の隅には溶けかけた鉱石の残骸が散らばっている。ノートには、無限にも思える修正と、新たな理論の書き込みがびっしりと詰まっていた。

フウ、ドット、エン、ミズ。四精霊たちも、私と共にこの過酷な実験に付き合ってくれている。彼らは私の忠実な道具であり、同時に、私の錬金術の最良の協力者だった。

「ちくしょう!また崩壊したわ!」

私は、またしても目の前で霧散した亜空間を見て、思わず床を叩きつけた。何度繰り返しても、亜空間は安定しない。わずかな物質を入れただけで、空間はねじれ、崩壊してしまうのだ。

「咲、大丈夫ですか?無理しすぎていませんか?」フウが心配そうに僕の肩に触れる。

「大丈夫なわけないでしょう!このままでは、私の理論が絵に描いた餅で終わってしまう!」

私の声には、苛立ちと、わずかな焦りが混じっていた。理論上は完璧だったはずだ。しかし、この世界の「魔力」という不変の要素が、私の理論に未知の干渉をしているのか、あるいは私の理解がまだ及ばない部分があるのか。

「主よ、もしかしたら、我の生成するエーテル繊維の強度が、まだ足りていないのかもしれません……」ドットが、申し訳なさそうに呟いた。

独自の錬金術符文:高次元の幾何学と波動の概念

私は、全ての文献を一旦横に置き、目を閉じた。私の頭の中に、現代物理学で学んだ、高次元の幾何学、そして素粒子の波動の概念が広がっていく。

「亜空間は、三次元空間の延長ではない。高次元に存在する、独立した『泡』のようなもの……」

その「泡」を、三次元空間に固定し、安定させるには、どのような「形」の符文が必要なのか?

符文は、この世界の魔力で描かれる「幾何学模様」だ。その幾何学が、高次元の構造を模倣し、波動として安定させる必要がある。

「そうだ……この世界の錬金術は、線や円といった、二次元的な平面の符文がほとんどだ。だが、高次元の構造を安定させるには、三次元的な、あるいはそれ以上の次元を暗示するような『立体的な』符文が必要なのではないか?」

私は、ノートを広げ、新たな符文を描き始めた。それは、従来の錬金術符文とは全く異なる、複雑な立体的な幾何学模様だった。螺旋、多面体、そして、それらが互いに絡み合うような構造。それらの模様は、まるで高次元の波動を可視化したかのようだった。

そして、その符文を構成する線の太さ、角度、そして描く順番までもが、厳密に計算された。それは、単なる「模様」ではなく、空間と魔力を結びつけるための、精密な「プログラム」だった。

「これは……精霊たちの力を、より高次元で連携させるための『波動共鳴符文』……!」

私の手が、震えるのを感じた。この符文こそが、私が求めていたものだ。精霊たちの力を、ただ合算するのではなく、互いに共鳴させ、増幅させるための、新たな魔術理論だ。


「バカ言わないで、ドット。君の生成する繊維は、この世界で最高の強度を持っているはずよ。問題は、その繊維を『亜空間の壁』として機能させるための、『符文』そのものにあるのよ!」

私は、ノートの隅に書き殴った、複雑な錬金術符文を睨みつけた。この符文が、亜空間の境界を安定させる鍵のはずだった。だが、何度修正を加えても、その安定性は一時的なものに過ぎなかった。

「この符文は、既存の錬金術の概念に縛られすぎているのか……?」

私は、ふと、そんな考えに至った。これまでの錬金術は、物質を変化させたり、既存の空間を歪めたりするものであって、「無から空間を創造し、維持する」という概念とは根本的に異なっている。つまり、私の符文は、既存の枠組みの中で考えてしまっているのだ。

最高強度エーテル繊維の生成:ドットの覚醒

符文の理論は確立した。だが、問題はまだ残っていた。この符文を、亜空間の境界に「定着」させるための素材だ。既存のエーテル繊維では、わずかな魔力的な歪みにも耐えられず、符文が崩壊してしまう。

「ドット。君の力で、この符文を、空間に刻み込むような素材は作れないの?」

私が問いかけると、ドットは困ったように首を振った。

「主よ……我の生成するエーテル繊維は、既にこの世界の最高強度です。これ以上の強度を持つ素材は……」

「ない?いいえ、あるはずよ。君の力は、大地の根源を司るもの。この世界に存在する全ての物質の可能性を秘めているはずだわ」

私は、ドットの可能性を信じていた。彼が持つのは、単なる「物質生成」の力ではない。物質の「根源」に働きかけ、その結合を操作する力だ。

「エーテル繊維は、空間と物質の境界を曖昧にする。そこに、さらに『定着』の概念を加えるためには……空間そのものの結合力を強める必要がある。つまり、物質ではなく、空間の剛性を高める素材だ」

私は、再びノートに書き殴った。 【エーテル繊維の再定義:空間固定材としての役割】

• 課題: 既存のエーテル繊維は、魔力的な安定性に欠け、高次元符文を定着させられない。

• 解決策:

o エーテル繊維を、単なる「糸」ではなく、「空間の結合力を強める」触媒として再定義。

o ドットの持つ「大地を固める」能力を、物質の結合だけでなく、「時空の結合」へと昇華させる。

o そのために、エーテル繊維を、ドットの純粋な魔力と、空間定着鉱石、そして新たな触媒(ミズの浄化魔力で極限まで純化された特殊な金属粒子)を用いて再錬成する。

「ドット。君にしかできないことがあるわ。君は、物質の結合を強めることができる。その力を、空間そのものの結合へと応用しなさい。エーテル繊維を、『空間結合剤』として生成するのよ」

私の言葉に、ドットの目が輝いた。彼は、私からの「新たな使命」に、精霊としての存在意義を見出したのだ。

「空間結合剤……!なるほど!そのような発想は、我にはありませんでした!主よ、我に、その理論を詳しくお聞かせください!」

ドットは、私の指示を吸収するように、身を乗り出した。私は、彼に新たなエーテル繊維の生成方法を、詳細に指示した。ミズの浄化魔力で極限まで純化された金属粒子を、ドットの魔力でエーテル繊維に練り込む。そして、その結合の際に、フウの微細な空間操作を補助的に使う。

数日後。

ドットの渾身の力を込めて生成されたエーテル繊維は、以前とは全く異なるものとなっていた。それは、目には見えない微細な光を放ち、触れると、まるで空間そのものに触れているかのような、不思議な感覚がした。

「主よ!これが、我の生み出した『空間定着エーテル繊維』です!この繊維は、空間そのものを結合し、安定させる力を持つはずです!」

ドットは、誇らしげに胸を張った。彼の体から、以前よりもさらに力強く、安定した大地の魔力が放たれていた。

「素晴らしいわ、ドット!あなたの力は、私の想像を超えたわ!」

私は、その繊維を手に取り、その圧倒的な安定性に驚嘆した。これならば、私が考案した高次元符文を、亜空間の境界に完璧に定着させることができる。

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