第2話
第2章:星娘のミーム
2035年夏、東京の空は、ねっとりとした暑さに包まれていた。アキは大学のオープンカフェの席に座り、氷が溶けかけたアイスコーヒーを前に、ホログラムディスプレイのスマホをスクロールする。イヤホンから流れるAI生成のボカロメロディが、湿った空気に溶けた。カフェの壁には、AR広告がサラの猫耳ミームを投影し、キラキラと揺れていた。
SNSの画面は、「#星娘サラ」「#サラにゃん」で埋め尽くされていた。ザフィール公国の13歳の少女、サラ。生配信で大統領を撃った少女の映像は、ネットを席巻し続けている。字幕付きで拡散された「You started it all!」の叫びが、何度もタイムラインを駆け抜ける。
アキの指が画面をなぞりながら止まる。サラの、あの瞳が脳裏から離れない。高校時代、SNSでバズったイラストが炎上し、知らない誰かを傷つけた記憶が、胸の奥で疼いた。あの時も、画面の向こうの誰かの瞳を想像できなかった。カフェの扇風機が、彼女の髪をふわりと揺らした。
日本のオタク文化は、瞬く間にサラを「星の美少女」として祭り上げた。萌えキャラ好きのファンたちは、猫耳をつけたサラ、VTuber風のサラを次々に描き、「#サラにゃん猫耳神😺」「サラちゃん推ししか勝たん!」と叫ぶ。SNSのタイムラインは、ピンクのハートと星マークで溢れ返った。
一方、SF・ミリタリー系のオタクたちは、戦闘機に乗るサラ、軍服姿で銃を構えるクールな戦闘少女サラ、クラシックな80年代SFのヒロイン風サラを描き始める。「#星娘サラ、戦闘機で無双!」「気高サラ、80年代の女神!」と熱狂が広がった。
その時、アキのスマホにミホからDMが届く。
――「アキ、猫耳サラ描いた! めっちゃバズってる! 戦闘機サラも描いて!」
アキは、いつものソシャゲのファンアートを描くノリで、#サラにゃんの猫耳サラと戦闘機サラを仕上げた。ビビッドな色使い、滑らかな線。星空の下、微笑む猫耳サラ。
「バズればいいな」
投稿ボタンを押した指先に、サラの「You started it all!」の声が刺さる。カフェのガラスに映る自分の顔が、妙に遠く感じた。
8月のコミケは異様な熱気に包まれ、「サラジャンル」(S-13)が新たに誕生。猫耳サラのアクキー、戦闘機サラのポスター、気高い表情の画集が、開場1時間で完売した。汗まみれのファンたちが「#星娘サラ推し!」と声を上げ、ブースを駆け回る。
アキはリョウと会場を回る。リョウが、戦闘機サラのタペストリーを手に取った。
「これヤバい、戦闘少女サラ最高!」
軍服をまとい、星空を背負って飛ぶサラの絵。アキは、じっとそのタペストリーを見つめた。
「……カッコいいけど、なんか、違う」
胸の奥に、あの瞳がちらついた。スマホを開くと、「#サラにゃん、トレンド1位!」の通知が目を突き刺す。隣のブースで売られている猫耳サラのアクリルキーホルダーを手に取る。軽いプラスチックなのに、心の奥が重く沈んだ。
一方、SNSでは寄付の呼びかけも急速に広まっていた。NGOがクラウドファンディングを立ち上げ、「#サラにゃんに普通の生活を!」「サラちゃんに学校行ってほしい😺」の声。1,500人が1,000円ずつ寄付し、150万円を超える金額が集まる。コミケの同人作家たちも、1万円、5万円を投じて「#星娘サラを推す!」と報告した。
アキとミホも、ささやかに1,000円を寄付した。カフェのテーブルにスマホを置き、アキは小さく呟いた。
「…寄付、届いたかな」
その夜。アキは寮のベッドで、Xを開いたまま横になる。トレンドに、サラのビデオメッセージが上がっていた。
暗いモスクの片隅で、サラがカメラをじっと見つめる。
「日本の皆さん、ありがとう。#サラにゃん? 知らない私だ。戦闘機に乗る私も、猫耳の私も、私じゃない。150万円で、学校に行ける。家も買えた。でも……シェルターで撃った私。あれは、私。罪は、星より重い」
アキの手からスマホが滑り落ち、床に落ちる。ボカロの曲が、途中で止まった。瞳の奥に、あのサラの濡れた目が焼きついている。
「私が描いた猫耳サラって……なんだこれ」
アキは呟く。胸の奥を、苦いものが締めつけた。
「彼女は“推し”じゃない。傷ついた少女なのに」
窓の外、東京の夜空には、星ひとつ見えなかった。サラの言葉が、静かにアキの心を揺らし続ける。
SNSのタイムラインは、今も#サラにゃんのミームで溢れ、彼女の傷を覆い隠すようにキラキラと輝いていた。溶けかけたアイスコーヒーが、カフェのテーブルに、まだ残っていた。
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