5日目 三日月【現代ファンタジー/スナックのママの爪の話/940字】

 行きつけの店であるスナック三日月に入った。

 薄暗い店内、赤いベルベットのソファに古き良き昭和の残り香を感じる。

 それもそのはず、このスナックは今月で開店五十周年。店長であるママはそろそろ百歳になるとのことだ。

 この店が潰れる前に俺の寿命が終わるぜ、と俺は自嘲的に笑った。


 カウンター席に座ると、ママが温かいおしぼりとお通しのナッツを出してくれた。その手は滑らかな白い被毛に覆われている。彼女の肉球でいったいどうやってこういったものを用意しているのか不思議に思うが、そもそもママが自称百歳の人型猫又である時点でツッコミは野暮だろう。


「ねえ、ママ」


 ママの二本の尾が揺れている。ママは白猫に見えるが、尾だけはサバトラの柄をしている。


「この店、なんで三日月っていうの?」


 するとママがこちらを向いた。

 彼女は赤いマーメイドシルエットのワンピースを着た身を艶めかしくひねって、夜なので真ん丸になっている瞳で俺の顔を見つめた。


「昔、あたしの爪を見て三日月みたいと言った男がいたのよ」

「ママの爪? 猫の爪って、フックの形じゃなかったっけ」

「まあ、待っていなさい」


 そう言うと、彼女はカウンターの奥に引っ込んでいった。


 バリバリ、バリバリと大きな音が聞こえてくる。バックヤードに積んである段ボールで爪とぎをしているのだろう。


 ややあって、彼女は何か白いものをつまんで戻ってきた。


「ごらん」


 カウンターの上に置かれたのは、確かに白い三日月のような何かだった。


「これ、なに?」

「あたしの爪。とぐと、こうして外側から剥けてくるのよ」


 俺は目から鱗が落ちたような心地がした。猫の爪とぎとは、爪の先端を平らにする行為ではないのだ。猫の爪はきっと中心部から外側へと内部を押し出すように肥大化し、外側が取れていくものらしい。なるほど、だんだんとがってくるわけである。人間で言うと、垢のほうがイメージに近いように思う。取れたらすっきりしそうだ。


「これを見た男が、お前の爪は三日月なんだな、と言ったのよ」


 そう語るママの瞳がうっとりとしているように見えたので、俺はなんだか妬けてきてしまった。ママの百年の人生ならぬ猫生、いろいろあったんだろうな。そいつは人間の男かい、とひやかそうかどうか悩んだが、俺は我慢していつもの焼酎のロックを頼んだ。





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