第19話 千年爺
「けい・た・ろ・う……けい・た・ろ・う……」
誰かが名を呼ぶ声が、遠くから波のように届いてくる。
ボクは、やわらかな草の上に横たわっていた。
まぶたの裏に、淡い光が差し込み、風が頬を撫で、木々のざわめきが耳に心地よい。
「慶太郎っ! やっと目が覚めたのね!」
目を開けると、腰に手を当てて覗き込むような姿勢の妖精――フィフィが、心配そうな顔でこちらを見ていた。その顔を見た瞬間、ボクは思わず両手で彼女の小さな身体を包み込み、鼻先に抱き寄せた。
「フィフィ……本当に君なのか?」
「確か花の魔物に襲われて……誰かが飛礫で魔物に攻撃を……」
「君だったのか?」
グスンッ。 胸の奥から熱いものが込み上げ、鼻をすする。
フィフィは、大きな瞳でニコリと笑いかけてくる。
「どうしたの、慶太郎? 大丈夫?」
「君……どうしてここに?」
「こらこら。あたしを呼び出しておいて、《どうして》はないよ」
頬をぷくりと膨らませるフィフィ。
その仕草が、懐かしくて、愛おしくて、胸がきゅっと締めつけられる。
「でも、契約の石板にサインしてなかったはず……」
「何言ってるの。あたしと慶太郎は、正式に契約を結んだ相棒でしょ?」
「その首に下げてるプレートに、妖精との契約術式が刻まれてるから、いちいち誓約書にサインしなくても呼び出せるのよ」
「えっ、そうなの? そんなの聞いてないよ……」
フィフィは腕を組み、ウッシッシと笑って返してきた。 でもその笑顔の奥に、ほんの少しだけ、寂しさが滲んでいた。
◆◆◆
「でもさ……本当にごめん。君を置いて、エルフの剣士と探索に行ってしまって」
フィフィはそっぽを向き、両腕を組んだままぷいっと顔を背ける。
「ふうぅぅぅん。そうですか、そうですか。あたしを置いて、エルフの女剣士と探索ぅ」
その声には、冗談めいた調子の中に、確かな棘があった。ボクは言葉を詰まらせる。
「いや、色々と事情があったんだよ。受付嬢さんが会社に乗り込んできたりとか……」
フィフィはくすくすと笑い出す。でもその笑いは、少し震えていた。
「……あたし、ずっと待ってたんだよ。慶太郎が呼んでくれるのを。あたしのこと、忘れちゃったのかなって……ちょっとだけ、思った」
その言葉に、胸が痛んだ。フィフィは、ずっとボクのそばにいた。小さな身体で、誰よりも大きな心を持って。
「でも、慶太郎……あたしと正式に契約してくれたんだね。ありがとう」
フィフィは背中の羽を羽ばたかせ、スーッと鼻先に飛んできて、両手を広げて抱きついた。そして、自分の額をボクの鼻先に当てると、詠唱を唱えた。
「はいっ。バージョンアップ!」
「えええっ? 何それ……妖精のバージョンアップ?」
「そうよ。あたし、レベルがすごく上がったから、慶太郎にも妖精の恩恵を分けてあげるわ」
ウインクするフィフィの顔が、まぶしく見えた。 その瞳には、もう迷いはなかった。
◆◆◆
フィフィは羽を泳がせ、ボクの肩にちょこんと座る。
「とにかく行くよ。エルフの女剣士を探したいんでしょ? あたしが手を貸してあげる」
「慶太郎の受けた仮は、あたしの仮同然だからね」
その言葉に、ボクは思わず微笑む。 フィフィは、ただの妖精じゃない。ボクの相棒であり、心の支えだった。
フィフィの視線が、ボクの手に握られた結晶石に向けられる。
「それ、『生命の精石』っていう貴重な品よ。身につけてるだけで、怪我や病気を回復させる効果があるの」
「それもピンクの結晶石だなんて……そのエルフ、いったい何者かしら」
ボクは結晶石を見つめる。 薄い意識の中で、ララ・ノアさんの顔が近づき、細くやわらかな指が頬を撫でた感触がよみがえる。心配そうな瞳。何かを伝えようと動いた唇。それが幻想か妄想かは、もうどうでもよかった。彼女の声を、もう一度聞きたい――ただ、それだけだった。
「慶太郎。ねえ、聞いてるの?」
フィフィの声に、ボクははっとする。
「千年爺にも、ちゃんと御礼を言ってね。彼が助けてくれなかったら、今頃は肉食草に食べられてたところよ」
「千年爺?」
「この森に古くから住まう木の大精霊・ドライアド。森の管理者だよ」
「この森に住む者は、彼のことを『千年爺』って呼んでるの」
ボクは目の前で静かに佇む大木を見上げた。 半信半疑ながら、フィフィの言葉に従い、両手を当てて礼を言う。
「千年爺が、ボクを助けてくれたのか?」
すると、大木は枝葉をゆするようにサワサワと揺れた。その姿は、まるで千年爺が大きな体を揺すって、笑っているようにも見えた。
風が吹き抜け、木々がざわめき、森が生きていることを、全身で感じた。この世界は、幻想でありながら、確かに“現実”だった。そして、ボクはその中で、誰かと繋がりながら、生きている。
フィフィは、ボクの肩に座ったまま、そっと呟いた。
「ねえ、慶太郎。あたし、ずっと一緒にいるからね。たとえ君が誰かを守ろうとしても、あたしは君を守る。それが、妖精の誓いだから」
その声は、小さくて、でも確かに胸に響いた。ボクは、そっと彼女の手を握った。
「ありがとう、フィフィ。君がいてくれて、本当に良かった」
森の風が、ふたりの間を優しく通り抜けていった。
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