第18話 危険な森

 眩しい光が瞼を突き抜け、慶太郎はゆっくりと目を開けた。

 鼻腔をくすぐる濃密な緑の香り。

 見上げれば、枝葉が天井のように広がり、木漏れ日が幾重にも差し込んでいる。

 まるで森そのものが巨大な聖堂のようだ。


「ここは……どこだ? ボクはいったい何をしていた……?」


 首筋と肩に鋭い痛みが走り、思わず呻き声を漏らす。手を当てると、じんわりとした熱が残っていた。ゆっくりと体を起こし、周囲を見渡す。そこは、見知らぬ森の奥深く。

 ララ・ノアさんと一緒に迷宮に入り……襲って来た密猟者が持っていたダイナマイト……。

 でも、なぜ自分はこんな場所にいるのか。


 彼女の姿は見当たらない。ただ、手のひらには見覚えのない結晶石が握られていた。淡いピンクに輝くその石は、どこか心を落ち着かせる力を持っているようだった。そっと握り直すと、痛みが和らぎ、体の芯が温かくなる。まるで守られているような感覚に、慶太郎は小さく息を吐いた。


「とにかく、ララ・ノアさんを探さないと……」


 立ち上がり、森の奥へと歩みを進める。だが、ここがどこなのかも分からない。彼女が言っていた「野源の森」なのだろうか。通常の迷宮探索なら、妖精が道案内をしてくれるはずだが、今回はその姿もない。空も見えず、目印になる建物もない。まるで世界から切り離されたような孤独感が胸を締め付ける。


「どうしよう……会社にも連絡できない。月曜までに戻れなかったら、行方不明扱いになるかもしれない……」


 雨宮主任や田中の顔が脳裏に浮かぶ。心配して救援隊を出してくれるだろうか。そんな妄想が頭をよぎる。


 ふと、記憶の奥底から光の妖精フィフィの笑顔が浮かんだ。陽気に笑い、踊るように舞う彼女の姿。道を照らしてくれたあの輝きが、今はただ懐かしく、温かく思い出される。


 その時、森の奥から鳥たちが一斉に飛び立ち、続いて人間の悲鳴のような声が風に乗って届いた。何かが起きている。緊張が走る中、甘い香りが鼻をくすぐる。優しく心地よいその匂いに、思わず深く息を吸い込んでしまった。


 途端に、背中と足に重みがのしかかる。まるでダンベルを背負ったような倦怠感。息が苦しい。頭が白く濁り、手足が鉛のように重くなる。意識が遠のいていく。


「これは……ガイドブックに載っていた……」


 大森林の深層に生息する捕食性の肉食植物。甘い香りで獲物を誘い、毒で動けなくする。対処には特殊なアイテムか、魔物封じの効果を持つ武器が必要だ。


「ララ・ノアさんから預かった短剣なら……!」


 短剣を握ろうとした瞬間、緑色の蔓が腕に絡みついた。生き物のようにうねりながら、手足へと巻き付いてくる。必死に引き剥がそうとするが、蔓は頑丈でびくともしない。


 その時だった。森の奥から、ぬるりと現れた影があった。


 それは、木々の間から這い出てきた異形の魔物だった。体長は三メートルを超え、全身が苔と蔓に覆われている。頭部は花のように開き、中心には無数の眼球が蠢いていた。その眼は、慶太郎を見つけると一斉にこちらを凝視し、不気味な咆哮を上げる。


「……なんだ、あれは……!」


 魔物の足元からは根のような触手が伸び、地面を這いながら獲物を探している。その動きは滑らかで、まるで森そのものが意志を持って動いているかのようだった。蔓に捕らえられた慶太郎を見つけると、魔物はゆっくりと近づいてくる。その口のような花弁が開き、内側から鋭い牙が覗いた。


「フィフィ……助けてくれ……!」


 慶太郎は首に下げたプレートを握りしめた。すると、プレートが淡く光り、空気が震えた。


 魔物が一瞬たじろいだその隙に、蔓の力が緩み、短剣が手に届いた。慶太郎は渾身の力で蔓を断ち切り、地面に転がるように落ちた。


 魔物が咆哮を上げ、触手を振り上げる。だがその瞬間、森の奥から何かの塊が一斉に飛んできた。明らかに魔物に向かって放たれた攻撃。

 飛来した塊は魔物の中心に突き刺さり、花弁が焼けるように崩れ落ちた。魔物は苦悶の声を上げながら、森の奥へと退いていく。


 慶太郎は地面に膝をつき、荒い息を吐いた。


「……助かった……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る