第2話 金曜の夕刻

 都内にある企業オフィスが集まるビルの一画。

 午後5:00。広いフロアに仕事終りを知らせるチャイムの音が鳴った。

 張りつめていた部屋の空気が解放されたように一気に緩み、どこそこでガサガサと乾いた音が聞こえ始める。仕事を終えた社員たちが次々と席を立ち、まるで何かに急かされるようにフロアから足早に出て行く光景。


 そんな姿を横目に、慶太郎は小さく溜息を吐いた。

 そしてパソコンのキーボードを打っていた指をアクセルを踏み込むように動かし、残った仕事の処理に取り掛かった。


 人影もすっかりなくなった静かで寂しいオフィスのフロア―――。


「慶太郎……」

「おい、慶太郎ってば……」


「仕事が終わったら今晩、付き合えよ」

「いい店を見つけたんだ」


 席の向かいに座っている同僚の田中亮介が、対面に設置されたパソコンモニタの隙間から、声色を低くして顔を出す。


 声をかけられた慶太郎は、キーボードを打つ指を止めない。


「悪いな。明日の朝は早いんだよ……」


「ちえっ。また例のヤツか?」


 声をかけてきた田中が、返した返事を鼻で笑ったようだ。


「田中も一緒にどうだい?」


 慶太郎はカチカチと指を動かしつつ眉を上げると、呼びかけてきた田中に耳だけを傾けた。


「いやいや、俺はちょっとなぁ……」

慶太郎おまえが、はまっている例のあれだろ……」

「『迷宮探索』ってやつ」


「最近、ネットで流行っているってのは聞くけどなぁ」

「俺は基本、インドア派なんだよ。週末はゆっくりと部屋で過ごしたいね」


 タンッと勢いよくEnterキーを押下した慶太郎は、話しかけてくる田中の顔を見る。


「最近、運動不足だとか言ってただろ」

「少しは体を動かして運動をした方がいいんじゃないか」


 眉を下げた表情の田中は、首を大きく横に振る。


「俺は、お前とは違うんだよ」

「そういうのはゲームの中だけで十分だよ」

「慶太郎みたいに、正式なライセンスを取得してまで本格的にやるなんてのはなぁ」


 田中は両肩をヒョイと上げると、信じられないという表情をする。

 

「しかし『迷宮探索』ってのは、稼ぎになるのか?」

 

 と親指と人差し指の先を合わせ輪を作って見せる。


 ふっ。と慶太郎は鼻で笑った。


「運が良ければ、レアなアイテムを発見できるけど、そう簡単にはいかない……」


「どっちかと言うと、体力づくり重視だから」

「けっこういい運動になるし、本格的な探索サバイバルって感じかな」

「室内で筋トレやってるより、自由に体を動かす方が性に合っているしね」


「それに体を鍛えられて、小遣いが稼げるなんて、ダブルで得じゃないか」


 田中は両腕を組むと眉間にシワを寄せた。


「そうかぁー」

「まあ、うちの会社も最近、残業規制で手取りの給料が減ったしな」

「会社としても、公にWワークが解禁になった事だし……」


「まあ俺の場合はWワークやるとしても、もっとこうな仕事を選択するよ」


 慶太郎は、ふっと口元をほころばせた。 


「迷宮探検は、それだけじゃないよ……」


 慶太郎はスーツの内ポケットから小さな青い石を大事そうに取りだすと、握った手を見つめた。

 小さく溜息を吐くと、何かを思い出すような顔で慶太郎は口元をほころばす。


「また、ニヤニヤしやがって」

「慶太郎が迷宮の森で出会ったっていう、『白いエルフの君』か?」

「そんな出会い、アニメやゲームの中の世界だけだってっ……」


 田中はクールに両手を広げた。


 その時、慶太郎の頬にふわりと香る風が触れた。


「あら。慶太郎クン」

「それ、精霊石でしょ?」


 突然。慶太郎の肩越しから、二人の会話に割り込むようにビジネススーツの女性が覗きこんでくる。


「なかなか素敵な品だね」

「今、女の子の間では密かな人気になってるのよね……」


「あ、雨宮……主任……」


 顔を出したその女性は、慶太郎の肩に手をやると、髪を耳横に流す仕草で親しい気に顔を近づける。


 雨宮あずさ。この女性、慶太郎の上司であり同期。同じ同期の中でも一番早く昇進を果たした才女である。


「じゃあ今度、いいドロップアイテムがでたら、主任にプレゼントしますよ」


「えっ?」


 予想していなかった慶太郎の言葉に、一瞬、彼女は目を丸くすると、慌ててそっぽを向き咳払いする。


「で、でも無理をしたり、危険なWワークはダメよ……」

「君が怪我をして……け、欠勤でもしたら、うちの課の成績が落ちるんだからね」


 彼女は真顔である。


「ほらほら君たち。しゃべってないで、仕事が終わったのなら、さっさと帰宅しなさい」


 と彼女は、上司の顔で帰宅を催促する手を打ち鳴らした。

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