3-3 葛藤、経験

◯●◯●


 兎は店長の後ろに跨り、猛スピードで走るバイクの風を感じていた。炎天下だが、風を追い越すバイクの上では、多少涼しく感じる。タイヤが地を掻く音、今にも爆発しそうな危なげなエンジン音、二人の外套が風にたなびく音、疾風の駆ける音が二人の周りを満たす。


「あのぉ! あとどれくらいで着くんですか!?」


「あぁ!? あぁ、どれぐらいで着くかってか? 三十分くらいだ!」


 轟音響く中、なんとか大声で二人の会話は成り立つ。


 店長の話では医者の住んでいる所は店から北東の地。つまりは盤堅街の東に位置する。そこは旧都市であり、昔の大戦によって崩れた例の瓦礫の山が広がる所である。


 本来、放射性物質が多く残る瓦礫の山には人は住みつかない。しかし、その医者が住む所はギリギリ放射能が届かなかった場所らしい。それでも、そんな危険な物が広がる場所の近くに住むなんて、相当な変わり者のはずだ。兎はまだ見ぬその人物を会う前から警戒し始めている。


 走ること数十分。兎の耳に何かが聞こえた。暴風、布のはためき、バイクから発する音、身近なそれらの音とはまた別の音。遥か遠くに音を感じた。後方、数は三つ。


 兎は振り返り、微かに聞こえる音の先を見る。目に飛び込んできたものを確認すると、思わず兎は叫ぶ。


「て、店長!」


 視線の先。後方の砂の丘から現れたのは三つの影。兎達と同じくバイクに跨った三人組みだ。猛スピードでこちらに近づいている。


 初めはトラとリュウかと思ったが、外套の色が違うし、そもそも一人多い。慌てて兎はその事を店長に知らせる。肩を数回強く叩き、現れた者達の方を指差す。


 店長は後方をチラリと確認すると妙に落ち着いた様子でそのままバイクを走らせ続けた。前を向きながら淡々と言う。


「どうせ強盗だろ。対応、頼んだぞ」


 軽い口調で頼まれた兎は何を頼まれたのかすら理解できなかった。ややあってから、店長の肩をバシバシ叩きながら叫ぶように言う。


「なにを落ち着いてるんですか! ってか、「対応」ってなんですか!?」


「あぁ? なんのためにお前にライフル渡したと思ってるんだ? それで撃退しろ、って言ってんだよ」


 サッと兎の顔から血の気が引いた。それはつまり、このライフルで――


「こ、殺せってことですか? む、無理ですよ! 普段、こういう場合はどうしてたんですか!?」


「普段ならあのチェーンソーと刀で叩き斬ってんだが、今日はお前が相乗りするっていうから武器は全部置いてきた」


 たしかに「荷物もある」とは言っていたが、まさか護身用の武器のこととは思っていなかった。兎は泣きつくように、


「な、何してんですか! だったら、もう逃げるしかないじゃないですか! は、早くスピードを――」


 と言いかけたところで、耳に入る後方のバイク音がもう逃げ切れる距離ではないことを直感で理解した。焦る兎に対し、店長はハンドルを切らず未だ真っすぐバイクを走らせている。


「トラから銃のレクチャーは受けたんだろ?」


「う、受けましたけど……人を狙う練習なんてしてません」


「じゃあ、今度は俺からのレクチャーだ。「Lesson.1 迫りくる敵を殲滅せよ」だ」


「段階ってもんがありますよね!? どう見ても終盤のレッスンじゃないですか!」


 迫る脅威、提示された無茶な要求。兎は熱砂の乾いた風を浴びながら、ジトッとした汗が体から噴き出るのを感じる。背負った鉄の筒がズシリと重くなったような気がした。


 店長と言い争う間にもぐんぐん敵は後方から近づいてきている。これ以上距離が縮まらないようにか、店長もバイクを加速させた。


「その……だって、私……」


 口をモゴモゴさせ、兎は店長の腰に回す手にギュッと力を込める。しかし、店長は頭をのけ反らせ、後頭部で兎に頭突く。兎の目から星が飛び出した。


「あ痛ーっ! もう! なにするんですか!」


「良い事教えてやる。バイクは撃たれた箇所によって受ける被害が全然違う。


 タンクやエンジンに撃たれれば最悪爆発だ。たぶん乗り手は死ぬ。


 前輪に撃てばハンドルが利かなくなって、乗り手は前方に吹き飛んで死ぬかもしれん。


 じゃあ後輪は――ハンドルが利かなくなるが、運転の仕方によってはなんとか吹き飛ばずに済むかもしれん。つまりは、死なない・・・・可能性が一番高い」


 店長が何を言いたいのか、大体兎は理解した。狙うべきマトは「バイクの後輪」だと。


「難易度上がってるじゃないですか……! それに、この体勢じゃ……」


「何とか後ろ向きに座り直せ。今からなるべく平坦な道をまっすぐ走ってやる。後ろのバッグからロープを取り出して、それで俺とお前の体を固定しろ」


 そう言うと店長はハンドルを切り、左に回る。その先を少し進むと平坦な道が広がっていた。


 やるしかない。ほぼヤケクソ状態で兎は思い切ってバイクの上に立ちあがり、後ろに向き直し、座る。心臓が張り裂けそうだった。高鳴る胸を押さえ、バイクの後部に取り付けられたバッグからロープを取り出す。背中の銃を前に回し、落とさないようベルトを口で咥える。背中合わせとなった店長と自分の身体を慎重にロープで巻きつけた。


 準備が整ってしまった。


 およそ五十メートル。もうすぐそこまで荒くれ者達は近づいていた。実は強盗じゃない? という兎の淡い期待虚しく、彼らは機関銃片手にこちらに敵意を剥き出していた。


 パンッと軽い音がした。何かがバイクの車体を掠める。銃弾だ。一人が銃で撃ってきたのだ。恐怖を肌で感じ、いよいよ兎はここが戦場だと実感する。


 兎は唇を噛み締め、銃を構える。しかしそれは形だけ。狙いは全くつけていない。手に、再び銃を初めて持った時の感触が蘇る。


 今、この鉄筒で、人を殺せてしまうのだ。人差し指を、軽く曲げるだけで。


 全身の力がフッと抜ける。すると同時にバイクは急加速。腹に巻き付けたロープが食い込む。


「ぐぇ!」


 思わず声を上げてしまった。兎は後ろを振り返る。顔は見えないが、店長はたぶんこんな状況でもいつも通りの無表情なのだろう。また弾丸が二人の傍を過った。


(このままじゃ、二人とも殺されちゃう……)


 兎は、銃を頭にコツンと当てる。深いため息をついて、脱力。これは、先ほどの恐怖による脱力とは違う。覚悟を決め、闘いに臨む為の「リラックス」というものだ。


 銃床を頬に当てる。床尾を肩に埋めて固定。脇を締めて体を更に引き締める。硬過ぎず、柔らか過ぎず。添えた左手で目標へ銃口を誘導。トラに習った射撃法を頭で復唱する。


 敵は横一列に並んでいる。まずは、左の人から。狙うは――後輪。しかし、構えてから分かった。こちらに向かってくるバイクの後輪目がけて撃つことの難しさが。前輪、エンジン部、乗り手身体が邪魔して、ほとんど後輪なんて見えないのだ。時々小さく横に揺れた時に見えるくらいだ。


「うぅ、これで後輪を撃てなんて、無茶苦茶だ……」


 撃つタイミングが見つからない。一方、敵はこちらが反撃に繰り出したのを確認すると狂ったように銃を乱射し始めた。適当に撃つため当たらないが、発砲される度に兎は身を震わした。


 早くなんとかしなければ。と、焦り、小さく苛立ちが生まれた頃、それを窘めるかのように店長はバイクを加速させる。その度に二人を縛るロープが食い込む。先ほどからまるで店長が無言で喝を入れるかのようだ。自分の心を読んでいるかのように思えた。そのおかげで兎は平常心を保てていた。


 そして、兎が銃を構え始めて数十秒後。チャンスがやってきた。 


 ほんの刹那の出来事だった。左のバイクが小さく横に揺れ、後輪がチラッと見えた。スコープに映ったそれは、僅か数ミリほど。それでも、兎はイケる・・・と思った。


 撃つ、と思うと同時に引き金は引かれていた。耳元で鳴る乾いた音。振動が肩を伝わって全身に響き渡る。銃の反動が体を貫いた後、兎の眼に映ったのはハンドルを右に左に切りながらみるみる減速していくバイクの姿。バイクの制御が利かなくなった輩は前線から緩やかに離脱した。


「やったっ!」


 兎は小さくガッツポーズ。すると、兎の乗るバイクはグンと加速し、後ろの敵から少し距離をとる。残り二体。兎は油断することなく、寧ろ気を更に引き締め、銃口を構える。


◯●◯●


 目的地に着いたのは予定より少し遅れた昼頃だった。敵に遭遇した為、若干ルートの変更があり遅れたのだった。


 出発時は砂地が続いていたが、辺りの地面はすっかり硬い岩場の礫砂漠となり、数キロ先には崩れた廃墟や瓦礫の山が見える。


 ここは旧都市前。この辺りにも元・建造物があちこちに転がっており、身を隠すには絶好の場所だ。兎と店長を乗せたバイクは徐々に減速し、とある廃墟の前で止まった。


 バイクが止まり、兎はマスクを外すと、その顔は空の太陽のように溌剌と輝いていた。


「店長! 見ましたか!?」


「あぁ、……見た見た。いや、すまん、嘘だ。前見てたからあんまりちゃんと見てない」


 「もーっ!」と兎は店長を軽く小突く。


 兎は数刻前の自分の雄姿を改めて語る。一体目の後輪を撃ち止めてから、ものの二、三分で残りの二体も同様に後輪だけを撃ち抜いたのだった。おそらく、誰も死んでいない。


「凄くないですか!? 私、すっっっごく緊張しました」


 興奮冷めやらぬまま、兎は自分の狙撃銃を抱きしめる。そんなはしゃぐ兎の様子を見ながら店長はやれやれと溜息を漏らす。そして、言う。


「やっぱり……お前、「殺し」が嫌いだったのか」


 その言葉を聞くと兎ははしゃぐのを止め、急にその顔に陰りが差した。


「……ばれちゃいましたか……」


「なんとなくな。初めて銃を撃たせた時からちょっとおかしいと思ってたんだ。無生物相手なら平気で、しかも精密に撃てるのに、動物相手だと引き金すら引かねぇ。それにキラー鳩の血を浴びたくらいで気絶しやがって。そんな気はしてたんだよ」


「キラー鳩の血での気絶は……誰だってああなっちゃいますよ。あんなスプラッタなの……」


 ブツブツ文句を言う兎の頭に、店長は軽くデコピン。


「まっ、別にそんな事どーでもいいけどな。なんの問題もなくここまで来れたことだし」


 店長なりの労いの言葉だった。しかし、兎の顔は晴れない。


「店長は……人を殺した事、ありますか?」


 俯きながらポツリと呟く。店長は、少し間を置き、答える。


「ああ、ある。……それも、沢山」


 長い沈黙に包まれる。兎は俯いた顔を上げ、苦笑いで言う。


「そう、ですか……。人を殺すって、どんな気分ですか……?」


 そう言うと、兎はハッと店長を見上げる。なんてことを聞いてしまったんだろうと自戒。質問を撤回しようと思ったが、店長は兎に背を向けて答えた。


「良い気分ではないな。……ま、そんなわけで俺も店を開いてからはなるべく人は殺さないようにしている」


「え? そうなんですか? 何で、ですか?」


 兎はポカンと口を開けて驚く。店長は少し間を開けてから、何かを思い出すかのように答えた。


「何でって……。ほら、あれだ。殺したら、もうそいつは店に来てくれないだろ。生かして返せば、うちの店の宣伝にもなるし」


 しどろもどろに答える店長。本当にそれだけが理由だろうか? しかし兎はこれ以上聞くようなことはしなかった。これ以上の深追いは野暮な気がした。 

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