追加資料

【概要】


 当資料は新年度から春間店の管理責任者に就任された杉端三和さんの記した業務日誌※1より一部抜粋したものです。

 一連のカスハラ案件と関連する内容のみ掲載しています。

(※1 提出義務のある書類ではなく、業務改善目的で杉端三和さんが自発的に記録していた)


 ・4月20日

 掲示板を新設した。デパートやスーパーにあるような、お客様の声を聞くための掲示板だ。この近辺のドラッグストアでは珍しいのかもしれない。

 春間店では、これまでに四人の管理責任者が退職されている。前任者とは面識があったが、彼は心を病み、長期療養のため家族と共に県外へ引っ越した。

 春間店はこの地域で最も大型の店舗で、アクセスのし易さもあってか混雑しやすい。そのため、不便を感じるお客様からスタッフに多くの意見が寄せられ、時として理不尽に責め立てられるケース(カスハラ)になることがある。

 そのせいでかスタッフの入れ替わりが激しく、これも管理責任者の負担になっている。まずは、お客様の不満を解消することでこの春間店を働きやすい、快適な環境にする。

 店内掲示板はそのための第一歩だ。


 5月1日

 思いのほか掲示板に寄せられる意見が多い。その中でもクレームが7割強を占めている。中には欲しい商品のリクエストや、スタッフへの感謝を伝えるような心温まるメッセージもある。が、ほとんどは心が痛くなるような罵倒、暴言、もしくはイタズラ紛いの文書だ。

 私一人で全ての意見に目を通し、返信をする。私にとってかなりの業務負担だが、これらの鋭利な言葉が今まで直接スタッフに向けられていたことを思えば、まだ耐えられる。

 掲示板の存在自体がガス抜きになれば、対人でのカスハラ案件も減るだろう。

 また、パートの村多さんからインターネットの口コミサイトのことを教えてもらった。春間店の平均評価は2.5点とかなり低く、まだまだ改善すべき点が多々あることを実感する。

 今後は口コミサイトにも目を通すことにする。


 5月12日

 今日、かなり強烈なクレームが直接私に寄せられた。どうやら、ご老人は近隣でも有名な方らしい。いわゆるモンスタークレーマーだ。

 若い女性店員の接客態度についての不満を、声を荒らげ、一方的に捲し立てられた。ただご老人の言うような「若い女性店員」は今日のシフトにいなかった。

 早速、例の口コミサイトにもその日のうちにレビューが書かれていた。あのご老人がインターネットを使いこなし、スマホか、もしくはパソコンで文書を執筆しているというのには驚いたが。私としては真摯に対応したはずだが、横柄な態度で冷たくあしらったように書かれていたのは残念だった。


 5月29日

 このごろ、ポツポツと「若い女性店員」への意見が掲示板に寄せられている。

 セクハラ紛いの文書を寄せてきた男性客は、どうやらスタッフの間でも有名で、紺外というあだ名で呼ばれていた。(紺色の外国車の意)

 当店女性スタッフの井伊田さんも、過去にしつこく連絡先を聞かれたり、ストーカー紛いの迷惑行為を受けたらしい。

 見せしめの意味で、掲示板に文書を貼り出しておいた。が、紺外の示す「背の高い、色白、黒髪、19歳〜20歳くらいの女性店員」とは誰のことだろう。

 女性スタッフの中で最年少の井伊田さんは、小柄で、髪を明るい茶色に染めている。これには該当しない。それに若く見えるが、年齢も31歳だ。

 また、黒髪で長身の女性店員といえば、42歳の其原さんが当たる。若々しくお綺麗な方だが、女子大生くらいの年齢と見間違うかどうかは……。


 7月10日

 このごろ、私が深夜のクローズ作業に若い女性店員を同伴させ、その後で密会しているという根も葉もない噂が広まっている。

 きっかけは掲示板に寄せられたお客様の声だった。私は弁明するつもりでそれに返信し、掲載したのだが、常連客の目に留まったことで、かえって面白おかしく拡散されてしまった。

 私としてはなんら後ろめたいことはない。夫婦関係も良好だし、今年で高校を卒業する娘とも、それなりの信頼関係を築けている。理想的、平穏な家庭だ。

 なにより、該当する「若い女性店員」というのが春間店のどこにもいないのだ。いや、先週までは二十代の女性アルバイトが働いていた。黒髪、色白で、背も普通くらいか少し高い。だが、入って3日で来なくなってしまった。いわゆるバックレというやつだ。

 たしかに短い期間だがこの店舗に若い女性店員はいた。しかし、そもそも働いて数日でクローズの作業を手伝わせるようなことはあり得ない。

 いったいどういう誤解を経て、このような噂話が広まってしまったのか……。


 もしくは、これまでに目撃された「若い女性店員」が、なにか関係あるとでも言うのか。


 7月12日

 先週バックレた二十代の女性アルバイトが、支給した制服(えんじ色のエプロン)を返しに来た。わざわざ菓子折りを持って。どうやら、無責任に仕事を放り投げたかったわけではないらしい。

 彼女いわく「私には霊感があります」と。

「今日は勇気を振り絞って来ました。この店は気持ち悪いです。ごめんなさい。どうしても無理なんです。本当は近寄りたくもない」そんなことを、青い顔をしながら言う。


 そういえば、以前から目を通していたネットの口コミに気になる文書があった。

 この春間店のある「欠薮谷」という土地にはなにやら曰くがあるらしい。

 ずっと昔には竹林があって、その後に建てられた集合住宅で自殺者が出たとか。まさかその怨念? いや……馬鹿馬鹿しい。

 ただ、この土地について少しくらいは調べておくべきかもしれない。


 7月25日

 掲示板になにやら奇妙な文書が貼られていた。

 本来は、お客様が意見書を箱に投書して、私がそれに目を通し、返信して、掲示板に貼り出す。というのが流れだ。

 しかしその文書は、お客様の手によってゲリラ的に貼り出されていた。

 私はすぐに撤去した。

 なにも知らない人から見たら、怪文書にしか思えないような、異様なものだった。

 しかし、私にとっては意味のある情報だ。

 刀上依子。

 依子……そうだ、以前にもそういう不可解な意見書が寄せられていたはずだ。

 これはイタズラではない。

 この土地に絡みついた遺恨を解くための、最後のピースが出揃ったのだ。


 7月26日

 古い新聞記事と、当時のゴシップ雑誌を発見した。どちらも50年ほど前のものだ。

 新聞記事では、とある不幸な事故について扱っていた。

『当時、専門学校に通う19歳の刀上依子さんが、帰宅途中に竹林で誤って足を滑らせ、仰向けに転倒。地面にあった鋭利な竹の切り口が喉に貫通し、事故死した』という内容だ。

 一方、ゴシップ雑誌ではこの事故死に対して不可解な点があると、独自に取材していた。

 記事が指摘する不審な点は、


 ・単に転倒しただけで、竹の切り口が喉を貫通するほど深く突き刺さるものなのか?


 ・仰向けに倒れたというが、転倒したとき人は無意識に受け身を取ろうとし、体を捻り、地面に手をつくため、横向きやナナメに倒れるのが通常ではないか。


 上記の2点である。


 ゴシップ雑誌が取材してわかったことは、『事故死ではなく他殺である可能性が高い』という新事実だった。

 記事の続きによると、『当時21歳の大学生IT(イニシャル)が刀上依子さんを竹林に呼び出し、性的暴行を加えようとした。その際、激しく揉み合いになり、地面にあった竹の切り口に、ITが馬乗りになる形で、刀上依子さんを押し倒した』というものだ。

 驚くべきことに、この事実はほとんどの地元民が周知しており、現場を目撃した者までいたという。にも関わらず、ITが起訴されることはなく、容疑者として公に名前が出ることもなかったという。

 ITの父親は地元の有力者で、T工務店の社長であり、県議会議員を務めていた。

 権力を使ってもみ消したのではないか、というもっぱらの噂だ。また、刀上依子さんの家は経済的に貧しく、『多額の示談金が支払われたことで事件が明るみに出なかった』とも言われている。


 ↑上記は、掲示板に貼られていた怪文書の内容と一致する。ITとは、現在の竹土工務店の会長である竹土勲のことだろう。

 竹土勲が、刀上依子を殺したのだ。

 状況的に、殺意の有無はともかく、強姦未遂の末に死なせてしまったことは間違いない。

 そして殺された刀上依子は、怨みを晴らせぬまま、この欠薮谷という土地に縛られているのだろう。


 まさか、馬鹿馬鹿しい。

 この店で目撃される「若い女性店員」が、刀上依子の幽霊だとでも言うのか?

 しかし、合点がいくこともある。

 殺された刀上依子さんの衣服には、喉から血が放射状に広がっていた。そう、まるでエプロンのように。

 アイコンストアの制服である、えんじ色のエプロンと見間違えても不思議ではない。


 8月1日

 この一週間ぜんぜん眠れていない。

 夜、目を閉じると、いつの間にか私は竹林にいる。向こうにいるのは、人影。おそらく女性だ。

 私が近づくと、彼女は遠ざかる。

 どこまで進んでも竹林は無限の彼方まで続いている。

 私は息苦しくなり目を覚ます。

 時計を見ると、まだ数分しか経っていない。

 再び目を閉じる。

 また気がつくと竹林にいる。

 その繰り返しだ。

 外が明るくなり、無理やり起床する。

 昼間は眠気に、うつらうつらとして思考もままならない。ミスが増える。

 医者に行く暇もないので、自己診断をする。おそらく、ストレスによる無呼吸症候群だ。

 そのせいで深く寝付くことができず、悪夢を見る。

 きっとそうに違いない。


 8月10日

 依然として店舗の掲示板には「若い女性店員」の目撃情報が寄せられている。

 私には見えない。

 声もきこえない。

 刀上依子はどこにいる。

 いっそ目の前に現れてくれたら、私の意見を伝えることができるのに。


 頼むから私の夢に出てこないでくれ。

 私にはなにもしてやれない。


 8月15日

 とうとう医者に行った。

 鬱病と診断された。

 処方された薬を飲むと、死んだように眠ることができた。

 夢も見ないで。


 8月20日

 診断書を会社に提出し、私は店舗責任者を辞任することになった。一旦は休職扱いだが、復職の目処は立たない。

 しばらくは病院に通いつつ、場合によっては入院することになるだろう。家には今年受験生の娘がいるから、私がいない方が娘にとっても負担にならなくていいはずだ。


 8月22日

 お世話になっていた古林さんにこの業務日誌を預けることにした。彼は、新しくカスハラ対策の責任者になるそうだ。私の体験を社内で共有し、役立ててくれることを約束してくれた。

 ただ、日誌の中にはグループの社長の身内を告発するような内容が含まれている。きっとその文書は削除されるか、そもそも日誌自体が共有されないかもしれない。※2


 それでも、アイコンストア春間市欠薮谷店は現在も営業を続けている。


(※2 杉端さんの懸念通り、当資料の一部と業務日誌は添削・削除されグループ内で共有されることはなかった。そこで原文を、当小説投稿サイトに掲載。事実が明るみになることで杉端さんの名誉回復、または刀上依子さんの無念が晴れることを願っています。

 カスハラ対策室 室長 古林研吾)

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アイコンドラッグストア春間市欠薮谷店のケースに学ぶカスハラ対策【資料】 春夢 @spzc_km

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