第2話 人生諦めが肝心なのよ

 色々あって姫宮を家に泊めることになった俺は、多少のぎこちなさを感じながらも無事に帰宅した。

 海外出張で別居中の両親が選んだ1DKのマンションの一室。

 一人暮らしでも不自由なく過ごせるそこへ異性が立ち入ったのは初めてのこと。

 その初めてがまさか『茨姫』こと姫宮になるとは思ってもいなかったが。


「ここが幽深くんの家……」

「適当に上がってくれ」

「……お邪魔します」


 興味深そうに玄関を眺めていた姫宮が靴を脱いで廊下に上がる。

 掃除はまめにしているから汚いと言われることはないはず。

 リビングに通してから、お茶くらいは出すべきかと思いキッチンへ。

 作り置きの麦茶をカップに二人分注いで持っていくと、姫宮はどこにも座らず立ったままだった。


「遠慮しないで座っていいんだぞ」

「……そうね」


 気難しそうな顔をしながら姫宮はソファーに座る。

 俺も一人分の間を開けて座り、麦茶の入ったコップを差し出した。

 二人で喉を潤し……気まずい沈黙が流れて。


「それで、幽深くんは私をどうするつもり? 二人だけの家に連れ込んで……そういうことを、するの?」

「しないって言ってるだろ。あれは姫宮を遠ざけるための嘘だ」

「だったらどうして私を泊めるなんて言いだしたのよ」

「……どうしようもなく困っているなら、手を差し伸べるのもやぶさかじゃないと思ったからだな」


 俺は必要以上に人と関わりたくない。

 バイト先の同僚であっても同じこと。

 学校で屈指の人気を誇る女子なんてもってのほかだ。


 けれど、俺を頼るしかないほど困っているなら話は別。


「偽善者なのね」

「その偽善に助けられている立場なのを忘れないでくれよ」

「……今のは忘れて。私が言うべきは感謝よね。なにはともあれ助かったわ、幽深くん。外で一夜を明かすなんて絶対に無理だと思っていたから」

「外より快適なのは保証する。姫宮が落ち着いて過ごせるかは別としてな」

「やっぱりなにかする気なの?」

「俺が姫宮に手を出さないって完全に信じてもらえる理由がないだろ? 言葉を尽くすだけ無意味なんだよ」

「……なんとなくわかったわ。ひねくれてるけど誠実なのね」


 これを誠実と評されるのは腑に落ちないが、今はいい。

 俺が姫宮をどうこうする気がないことだけ伝われば。


「姫宮の家のことは聞かない方がいいよな」

「……知り合い程度の間柄の相手に気安く話せることではないわね。けど、説明責任を果たせと求められれば、私は断れない。聞きたいの?」

「いや、別に。むしろ聞きたくない。変に関わって後戻りできなくなったら嫌だ」

「碌でもないことを言っている自覚はある?」

「大いにある」

「吹っ切れてるタイプが一番厄介なのよね……」


 姫宮が処置なしとばかりに眉間に手を当て俯く。

 まるで俺がどうしようもない人間みたいじゃないか。


「俺は品行方正で人畜無害な男子高校生なのに酷い言われようだ」

「……少なくとも捻くれているとは思うわよ」

「ついでに言えば俺は寛大だ。行く当てのない姫宮を泊めて、手出ししないってだけでも喜んでもらいたいくらいなのに、そんな風に言われるのはちょっと悲しいなぁ」

「…………絶対根に持ってるじゃない」

「はははそんなまさか」


 俺はそんな執念深い人間じゃない。

 心の中でねちねちと恨み言を連ねるくらいで留めているさ。


「話すのはこの辺にしておくか。飯を食って、風呂に入って、さっさと寝ないと明日の学校に遅刻する」

「……私の分もあるの?」

「俺は自分の分しか買ってきてないぞ。冷蔵庫に多少は材料が入ってるけど、今日は元々料理する気がなかったし。だから姫宮は俺が買ってきた弁当でも食べててくれ」

「それだと幽深くんの分がなくなるじゃない」

「俺は冷蔵庫の物を適当に摘まむさ。昨日の残りとかあったはずだし」


 確か昨日作った生姜焼きの残りがあったはず。

 二人分はないから残りを俺が食べて、弁当を姫宮に渡せばいい。


「寝床は来客用の布団があるからいいとして……俺の部屋で寝てもらうか」

「幽深くんはどこで寝るのよ。まさか一緒に?」

「俺はそこのソファーで寝る。部屋が分かれてた方が安心だろ」

「そういうとこには気を使うのね。ありがたく使わせてもらうわ」

「風呂も適当に使ってくれ。シャワーでもいいし、湯船に浸かりたければ湯を張ればいい。シャンプーとかリンスはありものしかないけど」

「……覗かないでよ?」

「覗かないって」

「ならいいけど、着替えがないわ。制服のまま寝るのはちょっと、ね」

「俺の服を適当に貸す。ちゃんと洗濯してあるから汚くはないはずだ。下着は……流石にないから我慢してくれ」

「洗濯はさせてもらえる?」

「お好きにどうぞ。となると乾くまでノーパンノーブラ――」

「黙って。お願いだから」


 人を殺せそうなほど鋭い視線で射貫かれ、押し黙る。


 これは誰に聞いても俺が悪いと言われそうだけど、ありのままの事実を告げただけ。

 夜の間だけとはいえ……ねえ?


「……本当に手出ししないんでしょうね。そういうことを言われると疑わしく思えてくるんだけれど」

「こればっかりは俺の誠意を信じてもらうしかないな」

「今のやりとりのどこに誠意があったのよ」

「事実を事実として伝えるのは紛れもなく誠意だと思うんだが」

「……まあいいわ。結局私にどうこうできる話じゃないもの。人生諦めが肝心なのよ。大事なのは諦めた先の選択」


 ふう、と大きく息をつき、姫宮が立ち上がる。

 そして俺へ向き直り、頭を深々と下げた。


「泊めてくれてありがとう。今日一日、お世話になるわ」

「こりゃまた律儀にどうも。気楽に過ごしてくれ」

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