第25話「定義と共鳴のはざまで」

 ──現実世界に、風見レンは帰還した。


 記憶空間での対話は、すべて“主観内時間”の出来事。

 実時間では、わずか一瞬だった。


 だが、その短い“再定義”は、確実に世界に変化を及ぼしていた。


「……なんだ、これ」


 レンは、自宅マンションの前で立ち尽くした。


 そこには、かつての街並みとは異なる空気が流れていた。


 デジタルサインはちらつき、ARナビゲーションは誤作動し、通行人たちの“ステータスカード”は同期エラーを起こしている。


【エラー:ステータスデバイスが定義対象を識別できません】


「再定義が、現実に……?」


 レンが記憶空間で神に“名”を与えたことで、社会全体に走った“定義の揺らぎ”が、現実層にも波及していた。



 その日、レンは《適応支援センター》へと招集された。


 そこには、行政、ギルド、教育機関の代表が集まっていた。


「風見レンくん。あなたに説明していただきたい」


 冷徹な目をした老紳士が口を開く。


「再定義の影響で、“ステータス不適応者”が続出しています。レベルやスキルを前提とした社会制度に、適合しない人々が……」


「“レベルを持たないまま成長した者”たちです」


 別の職員が続けた。


 再定義により、世界の根幹を支えていた“数値化”が無効化された今、過去にステータスに依存していた者たちは、自分の“価値の根拠”を失ってしまったのだ。


「中には、自分を“定義されていない存在”と錯覚し、精神的混乱を起こすケースも」


 それは、まさに──神が辿った道。


「レンさん。あなたには“共鳴者”としての責任がある」


 会場の空気が張り詰めた。


「人々の“定義不全”を共鳴によって補完し、個々の存在意義を再確認させてほしい」


「俺に……カウンセラーみたいなことをしろって?」


「その通りです」



 レンは迷っていた。


 確かに、リヴ・コードとの対話によって、“存在を受け入れる”力を得た。


 だが、それを他者へ無差別に適用することは──“選択の尊厳”を侵すことにもなりかねない。


「……俺ひとりじゃ、抱えきれない」


 その言葉を聞いて、背後から誰かが歩み寄ってきた。


「なら、私がいるじゃない」


 姫崎つばき──本来の彼女と、記憶の中で統合された新たな“彼女”が、そこに立っていた。


「わたしも、“自分を定義し直した”身。だから、同じように苦しんでる人たちに寄り添いたい」


 レンの胸の奥が、じんわりと熱くなる。


「……ありがとう」



 翌日から、《共鳴支援室》が正式に設立された。


 レンとつばきは、初期メンバーとして活動を開始する。


 最初に訪れたのは、中年男性の“元・Sランク勇者”。


「私はね、レベルを失った瞬間、自分の価値がなくなったように感じたんだよ。もう、“戦えない”」


 彼の言葉は重かった。


「勇者じゃなくなった自分に、何が残っている?」


 レンはゆっくりと答える。


「“勇者だった記憶”は、今もあなたの中にありますよね。それを恥じず、他の誰かに語ることができるなら──それは“今のあなた”の価値じゃないですか?」


「……語って、いいのか?」


「もちろん。“過去”は捨てるものじゃなく、“共鳴”させるものだと思います」


 その瞬間、男性の瞳がうっすらと潤んだ。



 こうして、少しずつレンの周囲に“再定義適応者”たちが現れはじめる。


 自分を語り、自分を受け入れ、自分の“定義”を他者と共有する。


 それは、RPG的社会においては“非効率”で、“曖昧”で、“見えづらい価値”だった。


 だが、確実に人を変えていた。



 ある夜。レンはベッドの中で、つばきに呟いた。


「これが……“共鳴者”の仕事なのかな」


「たぶんね。でも、あんたが始めたことなんだから、最後まで付き合いなさいよ」


「怖くないか? また、神みたいな存在に出くわすかもしれない」


「そのときは、そのとき。大丈夫。わたしが、“隣にいる”」


 その言葉に、レンは静かにうなずいた。


 新しい世界は、定義され続けることはない。


 ただ、共鳴しながら、更新され続けていくのだ。


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