静観

小狸

短編

 祖母とは、そりが合わなかった。


 勿論もちろん、優しかった時もあった。


 静岡しずおかぬま市に位置する――父の実家、父方の祖母の家には、幼い頃から両親の車で帰省していた。


 当時私は、神奈かながわ県のマンションに住んでいたので、祖母の家は、とても大きな家に見えた。


 祖母には4人の子がいて、つまり私には3人のおじさんおばさんがいてその時はまだ、皆と良好な関係を築いていた。


 東名とうめい高速道路の渋滞を抜けて見える、いつもと違う空気、いつもと違う県、名前に「しずか」と付いているのが、何となく好きだった。

 

 帰省した時、いつも祖母は、私たちを暖かく迎えてくれた。


 祖父は、私が生まれる前に他界していたので、遺影でしか見たことがない。


 しかし。


「…………」


 私の母が亡くなったのは、私が小学生4年生の時である。


 死因は、病であった。


 医師から病名を告げられて、すぐに入院した。


 最初は元気だったのに、あっという間に痩せてやつれていて、手術の甲斐も虚しく、亡くなってしまった。

 

 父は、大層悲しんだ。


 その時、父が――大人の男性が泣いている姿というのを、初めて見たのを、よく覚えている。


 私も、いっぱい泣いた。


 それでも――いくら泣いても。


 棺の中にいる、質素に綺麗にお化粧された母の瞳が、再び開くことはなかった。


 火葬され、かつて母だった骨を見て。


 ああ、母はもういなくなってしまったのだ、と改めて実感して、私はまた泣いた。

 

 そして私と父は、静岡の祖母の家に、移り住むことになった。


 最初は、いつものように祖母は私たちを暖かく迎え入れてくれた。


 祖母と一緒に夕食を作ったり、広い家の掃除を手伝ったり。


 楽しい日々だった。


 祖母は色々なことを知っていた。


 料理の作り方から美味しい食べ方、何もしていない時の過ごし方、編み物の編み方、何から何まで、沢山のことを教えてくれた。

 

 しかしその生活は、ずっとは続かなかった。


 老化、と。


 この現象を、たった漢字二文字で端的に表せてしまうことが、とても歯がゆい。


 まず、祖母の耳が遠くなった。


 大声で言わないと、声が届かなくなった。


 それに従って、祖母の柔らかかった性格が、徐々に尖ってきた。


 あれをしろ、これをしろ、と、私に命令するようになった。


 その頃――中学生あたりだろうか――から、私は、小説を書くようになっていた。


 小説家になりたい、と思い始めたのは、その頃からである。


 祖母は、それが気に食わなかったらしい。


めなさい」


 と。


 台所の勉強場所で、宿題を終えて小説を書いている私に向けて、祖母は開口一番、そう言った。


 父は、あくまで家に身を置かせてもらっている身であるというのと、実の母親だからという面もあったのだろう。私がいくら言っても、祖母に言い聞かせることはなかったし、祖母もそれを辞めなかった。かといって、私が部屋の中に引きこもっていると、勝手に扉を開けてきて、こう言うのである。


「小説を書いているんじゃないでしょうね」


 こうなれば、監視されているも同じである。


 祖母の病状が悪化していくと共に、祖母の監視も、次第に強くなっていった。


 ある日、私の部屋に勝手に入り、机に置いてあった原稿用紙をビリビリに破いていた。


「こんな、こんな、こんな、こんなもの」


 ぶつぶつとそうつぶやきながら紙を破く祖母の様子は、明らかに常軌を逸していた。


「おばあちゃん、何するの!」


「あんた! 小説家なんて、目指して! あたしはね、あたしだってねえ! やりたいことだって、したいことだって! あったのにねえ!」


 私の制止を無視して、祖母はこう言った。







「女が、小説家なんて、目指すなあ!」







 わめいて、破いて、暴れて。


 しばらく叫んだ後で、何事も無かったかのように、祖母は居間に戻っていった。

 

 それが、祖母と私との袂を分かった事件だったように思う。


 その様子を父に報告すると、父は祖母を病院に連れていった。


 軽度の認知症であったことが、その時に分かった。


 それから先の祖母のことは、正直良く分からない。


 私が分かろうとしなかったとも言えるし、父が敢えて情報を伏せていたのかもしれない。


 父が私への受験の影響なども考慮したのか、祖母は施設に入れられることになった。私は、高校から全寮制の高校に入学して家を離れた。大学は神奈川県の大学に合格し、大学近辺に一人暮らしをすることになったので、家のことは知らない。


 それもまた、父の配慮なのだろう。


 相変わらず良く考える父である。


 考え過ぎている、とも言えるが。


 そんな大学3年生の時。


 祖母が脳の病で、緊急手術をするということが決まったらしかった。


 講義が終わって、バイトに行く最中に、父から電話が掛かってきた。


 私はバイトリーダーと社員さんに欠席の連絡をし、小田急線に飛び乗り、小田原駅から新幹線の切符を買って、急いで静岡の病院まで行った。


「お父さん」


 何だか父とは、久方ぶりに会うような心地がした。


「ああ、遥香か」


 それくらい、窶れていたということなのかもしれない。


 長時間に渡る手術の末、祖母は亡くなった。

 

 父は狼狽ろうばいこそしていたけれど、母の時というほどではなかった。


 そして私もまた。


 母の時よりも自分がいることに、心底驚いた。


 祖母には、家を貸してもらって、部屋を作ってもらって、母のいない私に励ましの言葉を投げかけてくれて、たくさんたくさん、お世話になったというのに。


 どうして私は、駄目だった部分ばかりを、見てしまっているのだろう。

 

 どうして私は、悲しめないまま、諦めたように、静観しているのだろう。


 人が亡くなったという事実は、同じなのに。


 それから私は、神奈川で就職をして、今は父と離れて過ごしている。


 一年に一度、お盆の時期に、祖母の墓にお参りするために、県境を越えると。


 あの時の、静かに観ることしかできなかった私を、思い出して。


 少し、辛くなる。




(「静観」――了)

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静観 小狸 @segen_gen

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