鏡の向こうのベースボール
@TFR_BIGMOSA
漂流者?との遭遇
西暦2376年3月19日。
地球連邦、日本。
東京。
東京ドーム(3代目)。
トーキョー・ジャイアンツのホームスタジアムにボストン・レッドソックスを迎えての開幕戦。
3層構造の観客席最上段まで満員御礼。
あちらの開幕投手は偉大なる487勝投手、ステファン・ウォルフェ。
今年で44歳を迎え、往年の球威こそ失われつつあるが投球術と多種多様の変化球はいまだ健在。
ジャイアンツのホームだと言うのにウォルフェがアウトを取る都度、拍手がドームを満たす。
どちらのホームだか判らないありさまだ。
それはまあ、そうだろう。
今年のMLBの話題は「史上2人目の500勝投手が誕生するか」「ウォルフェが今季13勝目を記録するのはいつか」で半分を占めると言って良い状況だ。
ジャイアンツファンでもレッドソックスファンでもないボクが訓練校の休みを取ってこの開幕戦を見に来たのも、ウォルフェの488勝目を見たいからだ。
試合は5回を終えて0-0、両チーム出塁数は7つと言う投手戦になっている。
今年のオープン戦から判っていたことだが、ジャイアンツも守備は固い。
グラウンド整備の合間に他の24球場の途中経過および予告先発をチェックする。
まずは時差の都合で試合開始前のセイシェル、ヴィクトリアスタジアム。
アイランダース対ライオンズの開幕戦は……残念!やはり昨年のポストシーズンで負傷したライオンズのカプタインは開幕投手を外れたか。
あるいはトコロザワ・ドームでの地元開幕戦に投げるのか?カプタインの449勝目を見るのはしばらくお預けだ。
まあ良い、この試合が終わってから数時間後にプレイボールのマンチェスター複合スタジアムまでひと眠りできる。
その予告先発は……うんうん。昨シーズンに400勝を達成したファイターズのオギワラ--背番号11--が、409勝目を賭けて敵地のマウンドに上がる。
400勝投手が3人揃う奇跡のシーズン。見逃したら次は百万年後でもおかしくない。この3人がいかに勝ち進むか、それが今季のもう半分の話題だ。
そのはずだ。
が、隣の2人組が何かおかしな会話をしてる。
ビールじゃなくて発泡エーテルを売り子から買ったあたりはボクにとって先輩にあたる現役の恒星船乗りなんだろうが、プレミアチケットを買ってこの内野席に座ってるはずの2人の会話がさっきから耳にこびりつく。
聞きたくなくても耳に入って来る。
横目で見るに、エーテルに口さえつけた様子がない。試合開始前、ジャイアンツが守備に散ったときからこの2人はおかしな会話を続けてる。
「なんでファーストが右投なんだ?キャッチャーは判るさ、右投のポジションだ。だが他の内野手全員が右投ってどういうことだ」とかプレイボール直前に言ってた。
そして今は他球場の途中経過とチームロースターをチェックしてるらしい。
「……深刻な事態だ。MLBの全50チームのセカンドが全員右投で、ファーストさえ左投は8人しかいないぞ」
「もう一度チェックしろよ、そんな恐ろしい話が現実だなんて認めたくないぜ」
……酔った真似して、平行世界からの迷子の真似してるのか?
左投のファーストが50チームを見渡して7人から9人と言うのはMLBが今の50チーム体制になってから数百年続いてることだ。
左投のセカンドに至っては19世紀の最後のシーズン、西暦1900年に現れたのが最後だ。
セカンド(二塁手、2B)は守備で素早い送球やピボットプレーが求められるポジションだ。
ボクも訓練校の部活ではセカンドだ。
左投げ2Bは、一塁への送球に際して体をひねる動作が要る。2Bにふさわしい小柄な選手であっても一塁への送球が右投げ2Bよりおよそ0.25秒遅れる。
これはプロでは致命的だ。
セカンドと言うポジションで左投のほうが有利になるのは、一時期のカナダやフィンランドの学生野球みたいに敵チームの9人中7人以上が左打者と言う極端な場合だけだ。
そう、訓練校2年目の大会2回戦で当たったフィンランド国立大の野球部がそうだった。
ボクじゃなくて左投の、普段はピッチャーやってるアイツがセカンドに入った。
野球をあまり見たことない人間が単に「なんで左投のセカンドって見たことないんだろう?」って軽いノリで話してる?
それにしては深刻すぎる。
そもそもそんな人が2人も揃ってこのプラチナチケットを買うか?
今年、ウォルフェの先発が見込まれる試合のチケット前売り分はもう売り切れてる。
今日、ドームに入場するのは大変だった。
「泣く子も黙る」トーキョー・ケイシチョウが厳しく転売に目を光らせてる。さらに恐ろしいことに「地獄の使者」ことカナガワ・ポリスが増援に来てるのも見た。
そんな試合だ。
野球観戦初心者が見に来る試合じゃない。
「現実を認めろよ。俺たちのユニバースなら必ず左投のファーストまでもが、右投が多数派だ」
「たまたま怪我が重なったんだろ。現に、聞き覚えのない名前ばかりだ」
……?
この2人「野球に詳しい平行世界からの旅人」の真似を真顔でやってるのか?
確かに一塁手(ファースト。1B)は、出来る事ならどのチームも左投げを起用したいポジションだ。
2塁送球に限っては右投1Bの方が有利だが、ほかの全てのプレイにおいて左投、あるいは右手にミットを嵌めていることの有利がある。
現実に、人類に占める左利きの割合10パーセントに対してMLBでは平均して15パーセントの1Bが左利きだ。
ただ、左投はどの国でも、どの少年野球リーグでもガールズソフトボールでもまず投手として起用されるものだ。
なにしろ左利きは人口の10パーセント。
学生野球や学生ソフトボールのチームでは、左投のバッティングピッチャーを準備することさえ容易じゃない。
だから左投げ投手は学生スポーツレベルの野球やソフトボールでは圧倒的に有利。
相手は左投げの球を試合当日まで打席で見たことがないんだから。
もし右投に生まれ育っていれば平凡な投手であっても、学生の試合では大活躍して上位指名でプロ入りすることしばしば。
そしてプロでは通用せずに1年目で野手転向することが実に多い。
プロチームはどのチームでも、時代を問わず。左投のバッティングピッチャーを必ず用意できるからだ。
そして、投手として作り上げた瞬発力と回復力を両立した身体は一塁手のプレーには適さないのが普通だ。
歴史を遡っても、左投手が早期に野手転向して一塁手として成功したのはジャイアンツの永久欠番"#1"くらいだ。
いや、これは未だに868本塁打を超えた選手がいないから"#1"が過度に注目されているのかもしれないが。
「現実を見ろよ、ノク。両チーム18人の打者の過半が右打者だ。ここは、俺たちのユニバースじゃない」
「信じたくない。そう、レギュラー選手に怪我が重なっただけだ!」
……?人口の90パーセントが右利きなんだ。むしろ左打者は健闘してスタメンを勝ち取っていると言うべきだろうさ。
この2人、素面で「異世界からの漂流者」の真似してるのか?何が面白くてそんなことしてるんだ?
あ、グラウンド整備が終わる。
6回表の守備にジャイアンツが散る。
試合に集中しよう。
レッドソックスはなんとしても、この回か次までにウォルフェを勝利投手にするために点を取ろうとする。
学生野球並のスモールベースボールになるかもしれない。
とくにこの回の先頭打者は守備職人、昨シーズンはかろうじて2割を超えた9番打者からだ。
「けどよ、右対右の投手戦てのも面白いもんだな。超光速航行はかならず片道航行で、到着先は何かズレた異世界ってのを受け入れるに値するかもしれねぇ」
「……俺は認めんぞ、たとえそうだとしても何度か航行すれば元の世界に戻れるさ」
……ええい、観戦の邪魔だ!
左投手がチームに10人いるユニバースから来た真似してるのは判ったが、実に観戦の邪魔だ!
球場を巡回しているケイシチョウか、いっそのことカナガワ・ポリスに通報してやるか?
いやそれは残酷すぎるな。
試合終了したら何か恰好の良い嫌味でも言ってやろう、ブリティッシュとして!
「あ、おねーさん。スコーンひとつ!」
「あ、気が抜けてらぁ。発泡エーテル2杯!」
目を合わせるな、目を合わせるな。
隣の2人組は素面でおかしなことを口走ってる可哀そうな人だ。
タイピンを見るにやはり現役の恒星船乗りだ。が、もう引退だろうな。
しかも。話の中身に少しでも事実があるのなら、名前からして不吉な超光速航行実験船「イーロン・マスク」号あるいは「ジェフ・ベゾス」号のどちらかで試験航行に参加したことになる。
が、両船とも就役からこの5年間、係留軌道から動いてない。その一方で一年中乗組員を募集してる。
まあ超光速航行なんて詐欺なんだ、詐欺!
それにしても。
実験船にそんな名前をつけた命名者のセンスが知りたいよ。
本人たちにはそのつもりはなかっただろうけど。
イーロン・マスクもジェフ・ベゾスも第3次世界大戦の原因を作った当人じゃないか。
第4次世界大戦も、この2人の業績が故に生じたようなものだ。
人類社会が宇宙に広がる偉大なステップを……いや、橋を築いた人物であるのも確かだけど……あっ!
東京ドームに快音が響いた。
一瞬静まり返ったスタジアムは、打球がバックスクリーンに跳ねて落ちると同時に歓声と絶叫に包まれた。
まさかまさか、昨シーズン2割がやっとだったレッドソックスの2Bが先制ソロホームラン!
良いね、今日のウォルフェならこの1点で勝てるかもしれない!
……けど、隣の2人組への恰好良い嫌味を考えるのが難しくなったな。
いっそ、試合終了後に付け回しつつ、通報ネタでも探してやろうか?
それもエレガントじゃないな、ブリティッシュとしては。
「おねーさん、フィッシュ&チップス3つ!」これで行こう。
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