総力勧誘BBQ
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突然溢れ出した涙は一向に止まず、嗚咽が激しくなっていく。胸が苦しくなり目の前がチカチカしてきて、僕は床に膝をついてしまった。ノリくんがオロオロと歩き回るのを感じる。カコちゃんがタオルを差し出し、口を覆ってくれる。僕は訳もわからずタオルを顔に押し付けた。達也氏が大きな手で背中をさすってくれる。
「過呼吸になりかけただけだ。大丈夫、ゆっくり息を吐いて」
「アタシも昔なったことある。苦しいけどすぐ治るからね」
「水、飲めるか?」
しばらくして呼吸が落ち着いても、誰も何も聞いてはこなかった。心配そうにはしていたが、何も言わず見守ってくれるのがありがたい。ただ、達也氏が「今夜は泊まって行きなさい。ゆっくりするといい」と風呂を炊いてくれた。
久々に大きな湯船に浸かりながら、僕は考えた。
突然の感情の暴発、或いは、決壊? 呼び方はどうでもいいが、その原因はわかっていた。
親の転勤による引越しを三年ごとに繰り返してきた僕は、大学の映画サークルに所属するまで友人と深い関係を築くことがなかった。また、親戚付き合いもほぼ無いに等しかった。
そんな僕が初めて経験した、近しい人の死という恐怖。若くても人は病気で死ぬのだという当たり前の事実。仲間を永遠に失う悲しみ。
そして同じ時期、明らかにレベルの違う才能に出会った。しかもそれが同年代という衝撃。悔しくて、自分が情けなくて。
僕は、考えることや感じることを放棄した。ダチョウの平和、ってやつだ。
心を凍らせ分厚い蓋をして、上手く忘れかけていた醜い感情や恐ろしい記憶。
おそらく亡くなった彼女の母親からの手紙をきっかけに、その蓋は緩み始めたのだろう。新たな映画を作る高揚感に気を取られている中、それは静かに元の形を取り戻し、押し込めてきた二年余りの分を急速に膨れ上がり……それが今、ついに姿を現したのだ。そのトリガーとなったのが、あの言葉だった。
「だって、主演女優は健康でいてくれないとね」
これまで僕は、皆の過去を引き摺り出しその傷を本人に突きつけ、無理矢理向き合わせてきた。
彼らもこんな気持ちだったんだろうか。こんなにもヒリヒリと痛み、胸が詰まり、身体中掻きむしって叫び出したくなるような。体に変調をきたすこともあったのだろうか。もしかしたら、僕が勝手に想像していた以上に苦しかったのかもしれない。
僕は過去と向き合わなければいけない。
彼らを引っ張り出した張本人の僕が、それを避け続けるわけにはいかない。今度は僕の番、それだけだ。
覚悟を決めて風呂から上がると、カコちゃんはバイトに出掛けていた。達也氏はアカペラ教室へ行ったという。ノリくんは達也氏の書斎から借り出した書籍に埋もれていた。
僕は、彼に告げた。
「近いうちに、全員を集めて欲しい。話したいことがあるんだ。それともうひとり、仲間に加えたい」
彼は本の渦の中から僕を見つめ、何かを察したように重々しく頷いた。
「わかった。詳しい話は風呂から出たら聞く」
えっ、ノリくんも風呂入るんだ。一緒に泊まる気満々じゃん……
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神原家の奥庭には、メンバー全員が揃っていた。
あの日以来この家に入り浸り、今日もBBQを取り仕切っているノリくん。
値踏みするように彼を睨みつける、滝口さん。
そして昼からワインを飲んでご機嫌な、カコちゃん。
ちなみに家主の達也じーちゃんは、高校野球を観に行っていて留守だ。
「それで、僕はなんで呼ばれたのかな? 見るからに濃すぎるメンツなわけだけど」
彼は苦笑いしながら人差し指で側頭部を掻いた。
「まあまあ、そろそろ肉も焼けますし、とりあえず座って」
「ビールでいい? ワインやチューハイ、ソフトドリンクもあるけど」
ほろ酔いでご機嫌なカコちゃんに逆らえる者は、あまりいないと思う。彼もおとなしく空いているチェアに腰を下ろした。すかさずノリくんが、一口料理を並べた皿を差し出す。エビとイクラと胡瓜のサラダに、タコとアボカドのワサビ風味マリネ、白身魚に和風タルタルソース、焼き野菜の煮浸し、青菜のクルミ和え、ミョウガの浅漬け。
「えっ、すご! 店じゃん」
「うちの料理長が昨夜から準備しましたー、拍手〜!」
カコちゃんがワイン片手に拍手し、皆もそれに続く。ノリくんが両手に持ったトングを掲げ、カチカチして拍手に応えた。
「そっちのテーブルにも色々あるから、みんな自由に取って食べてね。飲み物もクーラーボックスから勝手に取って」
僕は缶ビールをプシュッと開け、目の前に掲げた。
「自己紹介は……要らないよね。では皆さま、かんぱーい!」
滝口さんはお酒が弱いらしい。アルコール度数3%の缶チューハイを片手に、彼に絡み始めた。
「ねえ、アンタあたしのこと知ってんの? なんで?」
酔っ払い相手でも彼は優しく、紳士的に微笑みかける。
「もちろん知ってる。照明の滝口ともえさん。作品をいくつか観たけど、凄かった」
「ふふん。あたしはね、環を綺麗に撮りたくて照明の道を選んだの。環を世界一綺麗に照らせるのは、あたしなんだ〜。あ、でもカコぴも綺麗に撮るよー。ウェ〜イ」
変な呼び名をつけられたにも関わらず、少し離れた席からカコちゃんも「ウェ〜イ」とワインを掲げた。
「あとさ、あいつも知ってる? イバラモト ノリアキ(彼女は『ラ』と『リ』を巻き舌で言った)。あの男はねえ、ちょっとチャラいけど料理は マ・ジ・で・うまい。いっぱい食べな。脚本は知らん。まだ見てないから」
「うん、ありがとう。彼の脚本も面白いよ。本の時点でワクワクさせてくれる、稀有な才能だと思う。もちろん料理も美味しい」
「だろ〜? へっへぇ」
なぜか得意げに笑って唐揚げを頬張る滝口さんは、今日は妙に可愛らしい。彼にも唐揚げを勧めて……というか、突きつけてる。やめてあげて。
「カコぴはねえ、もう、存在が主役! って感じ。ま、見りゃわかんだろ? な? あんなもん、ただ突っ立ってたって絵になるよ。そう思わん?」
「神原桂子さん。華やかで立ち姿が綺麗だし、オーラ強いね」
「まあ環もそうだけどな! 環はね、舞台女優になんの。すごいっしょ」
環さんを知らない彼は、それを指摘することもなくただニコニコしている。
「あ、そうそう」
滝口さんの声を聞きつけ、カコちゃんが駆け寄ってきた。片手に唐揚げと枝豆の紙皿を器用に持ち、もう片手には冷たいお茶の缶を持って。
「ともえちゃん、こないだ言ってた劇団のオーディション、いくつか話持ってきたよ。さっき環ちゃんにも送っといたから」
滝口さんは飛び上がって直立し、90度に頭を下げた。
「マジすか、ねーさん。あざっす!」
……あれ、「カコぴ」じゃないの?
「劇団員に知り合い多いから紹介しただけだよ」
「うん。でも、あざっす! 環のために動いてくれただけで、もう嬉しくて……うぅ〜」
カコちゃんは料理の皿をテーブルに置くと、泣き出した滝口さんの頭をそっと胸に抱き、優しく背中を撫でた。
「はいはい、いい子ね。ほら、お茶飲もうね」
「……うん。のむ……」
素直にお茶を受け取りごくごくと飲んでいるが、確か彼女はカコちゃんより年上だったはず……ま、いいけど。
酔っ払いの相手をカコちゃんに任せ、僕はさっきまで滝口さんが座っていたチェアに腰掛けた。話を切り出すチャンスだ。
「いいメンバーだろ? 僕は彼らともう一度、映画を撮ろうと思ってる。だから二尋、君も映画に戻ってこいよ」
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──── いつの間にか、僕らの会話に皆が聞き入っていた。
「……僕のせい、ってどーゆーこと? 映画を辞めちゃうようなことって? アンタ何やらかしたんだよ」
「滝口さん」「ともえちゃん」
ノリくんとカコちゃんが、滝口さんを制してくれる。でも、僕は二人に首を振った。滝口さんにも知っておいて欲しい。
「二年前の短編映画フェスで、僕は賞を逃した。その時の主演女優は病気を患っていて、その後亡くなった」
滝口さんが息を呑み、口を噤んだ。
「僕らは病と闘う彼女を励まそうと、最優秀賞を捧げるつもりだったんだ。でも、受賞したのは彼、関河二尋だった。彼女の死後、僕は彼に怒りをぶつけた。彼女が死んだのはお前のせいだ、とまで言ったよ」
「いや、流石にそれはなくね?」
言った後、滝口さんはハッとして口を押さえ、手のひらの下から「ごめん」と呟いた。
「いいんだ。その通り、完全に八つ当たりだったから。僕も言った直後に謝った。でも、一度口に出した言葉は無かったことにはならない」
「だから気にしてないって。ほんとに」
彼はこちらを気遣うように優しく笑って、ビールを飲もうと手を伸ばした。が、途中で手を引っ込めた。
「なあ、もうやめよう。さっきも言ったろ。僕が映画を辞めたのは誰のせいでもない。僕は皆が楽しいのが好きなんだ。誰かが悲しむのは嫌だよ。ほら、ワンワン」
彼はおどけて再び犬の影絵を作ってみせる。が、僕は笑わなかった。
「君が気にしてなくても、僕は気にしてる。あの時僕は作品の負けを認めて、ちゃんと悔しがらなきゃいけなかった。彼女の死を受け入れて、ちゃんと悲しまなきゃいけなかった。でも僕は……全部ひっくるめて君に投げつけて、何もかも放り出してそこから逃げた」
また、胸が詰まっていく感じがした。ゆっくり、息を吐く。ゆっくり、息を吸う。大丈夫。落ち着け。
「挫折や悲しみに向き合うのが怖かったんだ。僕はヘタレの大馬鹿野郎だ。最低最悪の八つ当たり男。無神経で諦め悪くてしつこくて傲慢で。でも!」
僕は彼の腕をグッと掴んだ。彼の腕が硬直するのを感じたが、離さない。
「それでも僕は今、どうしても映画を撮りたい。面白い映画を撮りたい。だから!」
「出た」
滝口さんの小さな声が聞こえた。途端にノリくんとカコちゃんが吹き出し、急いで後ろを向いた。
「君に戻って欲しい! 君の撮る映画が見たい! 僕の撮る映画を見てほしい! 客としてじゃなく、ライバルとして! 僕は君の隣に、胸を張って立っていたい!」
彼が口を開きかけるのを遮って、畳み掛ける。
「光の下には影ができる。確かにそうだよ。でもその影だって、そう悪く無いって思うんだ。思えるようになった」
僕は彼の真似をして犬の影絵を作る。わんわん。
「ねえ、どうしても競うのが嫌なら、ライバルが嫌なら、仲間でどう? 一緒にやろうよ。みんなで。面白いネタなんだ。一回聞いてみて考えてよ」
滝口さんがニヤニヤしながら近づいてきて、彼の肩に手を掛けた。彼はビクッとして彼女を見上げた。
「こいつ、こうなったらしつこいよ〜。暑苦しいよ〜。まじウザイよ〜」
ノリくんが焼けた肉を山積みにした皿を持ってきて彼の前に置き、悲しげに肉を見つめる。僕はそっと身を引き、彼らに場を譲った。
「肉、冷めちゃったよ……奮発して買った黒毛和牛A5ランクの高級肉が泣いてるよ……」
戸惑いを浮かべてノリくんを見上げた顔には、「え、それは僕のせいなの?」と書いてある。そりゃそうだ。
グラスを手にしたカコちゃんが忍びより、彼の背後からスッとグラスを差し出して赤ワインを注いだ。
「アタシ、この映画で演劇を辞めるの。最後の作品なの……」
涙を堪えて唇を噛み締め、そして微かに震える唇で気丈に微笑んだ。潤んだ瞳がまつ毛を濡らす。
「アタシの最後の演技に……」
彼を見つめながら、スッとグラスを差し出す。僕もビールの缶を。ノリくんも同様に、滝口さんはお茶の缶を。そして全員で、彼をじっと見つめる。
気圧されたのか、彼もおずおずとグラスを手に取った。
「あたしの照明復帰に」
「俺の神脚本に」
「僕らの作品に」
僕は全員の目を順に見渡し、頷いた。
「「「「「乾杯!!!!」」」」…」
「よーーーーしッ! 乾杯、いただきました!!」
「やったな」
「なんかあたし、巻き込まれた気がする」
「ナイスよ、ともえちゃん」
潤んだ瞳は何処へやら、カコちゃんがウインクを飛ばして親指を立てた。
囲まれて背中や肩をバンバン叩かれ、二尋がオドオドと視線を彷徨わせる。
「え、いや僕は…え?」
「そういうわけだからさ、まぁ話聞いてよ」
にっこり笑って見せると、二尋はぐったりと背もたれに寄りかかって目を閉じた。
「なんなんだよ、お前ら……」
気づけば、客が増えていた。匂いに釣られて出てきた隣人を、カコちゃんが招き入れたのだ。
ビール片手にノリくんと語らっているのは、隣のハウススタジオの管理人、蓮沼さん。持ち主が亡くなった隣家は、ハウススタジオに生まれ変わったのだそう。
「ねえねえ、蓮沼さん、子役タレントの事務所にコネがあるんだって」
カコちゃんが引っ張って来た彼が、笑顔で会釈してくれた。いい人そうだ。
「柱井玲央、ってご存知です? 彼の事務所ならご紹介できますよ」
「あの、天才子役の? そんなコネが……いいんですか?」
「これも何かのご縁でしょうから」
それとなく二尋の方を見やると、彼が唾を飲み込んだ。間違いなく、プロの子役を使える可能性に惹かれている。
「二尋、ちょっと相談なんだけど」
「お? おう…」
ちょっと身構えているけど、気づかないふりで。
「予算の関係で役者雇えないからさ、カメラを依頼人目線ってことにして主人公を撮ろうと思ってるんだけど、どうかな?」
「……依頼人&観客目線、ってことか。面白いんじゃないかな。でも依頼人役のセリフは?」
「それも無し。主人公のセリフと僕のナレーションで話を進める」
「そうか……依頼人は何人くらい?」
「4、5人かな。時間的にそれでいっぱいだと思う」
「それだと画が単調になるんじゃないか?」
僕は「う〜ん」と顔を顰めて見せた。もちろん内心では「よし、食いついてきたぞ」とニンマリしている。
「じゃあ、さっきちょっと言ってた子役……」
二尋の目がピカッと光った。
「子役を彼女の助手ってことにして」
「それ、いいな。 子役の使い方次第でグンと面白くなる」
「子役は狐との半妖とか」
「なんだよソレ! ファンタジー要素なんか入れたら、使い方無限じゃん!」
「だよな! じゃあ、その方向でいい感じに……」
ノートPCを開きながら、ノリくんが素早く隣に座る。
「おおよそのストーリーはこのままで行くとして。どうアレンジする?」
「そうだな。まず……」
夢中で話し込んでいた彼が我にかえり「あれ?」と声を上げる頃には、日暮れも近づき、BBQの片付けも終わりかけていた。
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