もはや公開処刑


🎬


 数年ぶりに対面した茨本紀章いばらもとのりあきは、相変わらずイラッとくるぐらいイケていた。ざっくりとした、くすみピンク系のリネンシャツがよく似合う。色素の薄い癖毛の髪を後頭部で緩くまとめ、あの頃と同じ柔らかな、そして少しアンニュイな微笑を湛えている。顔周りの後毛おくれげがえも言われぬ独特な色気を醸し出していて鬱陶しい事この上ないが、この感情はもちろん僕の僻みに過ぎない。


「少し、日焼けした?」


 おしゃれなカフェの椅子の背もたれに凭れたまま、彼はうんと腕を伸ばしてグラスを取り、温かいルイボスティーをゆっくりと一口飲んだ。


「……ああ、ちょっとまた、バックパッカー的なやつを、ね。最近まで中東やアフリカの辺りをチョロチョロしてたんだ。3日前に帰ってきたばっか」


「そうなんだ」

 なんというタイミング、やはり運命だ。僕は勝手に縁を感じる。


「帰国して一発目の連絡が、まさか君からとはねぇ……」


 若干鼻にかかったような、柔らかなハスキーボイスも健在。気だるげな喋り方も。



「また料理本書くの?」


 彼は意外そうに僕を見つめ、フッと笑った。


「覚えててくれたんだ。ありがとう」

「いや、そりゃ覚えてるでしょ。休学中とはいえ学生の身で、の料理のレシピ本出すって、かなりのインパクトだよ」

「まぁあれはね……実家への当てつけみたいなもんだからさ。アプリ展開もやったけど、やっぱ親世代には紙の本が強いみたいだ」


 グラスをテーブルへ戻し、苦笑いしながら長い脚を組み替える。くっそカッコいい。

 彼の出したレシピ本は、異国の料理と並んで、日本で手に入る代替素材や日本人好みの味へのアレンジも提案されており、珍しさが受けてまずまず売れたらしい。


「おかげで小銭稼げたんで、その金でまた海外をフラフラして……っていう」

「うらやま」

「いいご身分ですよ。自分で言うけど」


 そう言い捨てて、嗤う。自虐的に、でも寂しそうに。最後に話した時みたいに。その表情で、察してしまった。


「ご実家とは、まだ?」


 答えず、両手を開いて肩をすくめる。仕草がいちいち決まっている。脚本より役者をやればいいのに……と何度思ったことだろう。実際に、彼の脚本を読むまでは。


「兄貴は、たまに連絡してくるね。レシピ本20冊買ったぞ〜とかって、嬉しそうにさ。全く、参るよ。こっちの気も知らないで」


 彼の実家は老舗の高級料亭で、兄が後を継いでいるらしい。その兄というのがまた成績優秀で、さらに大学時代にいくつかのコンクールで脚本賞を獲ったそうだ。

 彼は絶対に認めないだろうが、脚本を書くようになったのは少なからず兄の影響や対抗意識がある筈だ。



 果たして、本当に頼んでいいものだろうか。彼の傷を抉ることになるのでは? でも僕は、今も切実に彼の才能を欲している。



「さて。そろそろ何か言いたそうな顔だね? 話があるって言ってたけど……」


 僕は覚悟を決め、アイスコーヒーを飲み干して、言った。


「何の話か、大体わかってるんじゃない?」


「まあ……イヤな予感はしてるよね」



 彼は肘掛けに寄りかかり、視線を落として首を傾げた。口元は微笑しているが、綺麗な長い指を弄ぶばかりで目を合わせてはくれない。


「また、撮ろうと思うんだ。で、今度こそ君に脚本を」

「前に断ったよね?」


 ピシャリと遮られる。まぁ僕も、二つ返事で受けてもらえるとは思っていない。



「『才能の前には勝てっこないんだ。努力なんて無意味なんだよ』」


 彼が、僕の目をまっすぐに見据えた。瞳の奥に苛立ちが見えた気がする。でも、やっと目が合った。


「それ、俺のマネのつもり?」


 唇を僅かに歪め、鼻で嗤う。

 少し怒らせたかもしれない。でも僕は、謝るつもりも折れるつもりも無い。彼から目を逸らさない。


「マネってわけじゃない。ねえ、ノリくん。今でもそう思ってる?」


 あからさまにため息をついて椅子に深く沈み込むと、彼は胸の前で緩く両手の指を組んだ。


「……前にも言ったろ、哀れまれるのはうんざりなんだ、って」

「他人の視線がそんなに気になる? イケメンのボンボンはいつでもカッコよく優秀じゃなきゃ、って?」


「はぁ?」

 目つきが険しくなった。こんな彼、初めて見る。でも!


「いつまで反抗期やってんだよ」

「別に…そんなんじゃ」


 困惑したような、と同時に面倒くさそうな表情で反論しかけるのを遮り、僕は言い募った。


「そうやって腐り続けてせっかくの才能を埋もれさせるの?」

「だから、俺には才能なんて」

「あるよ! 僕は知ってる。君の本が必要なんだ。君の描き出す風景が、動きが、セリフが欲しいんだよ! あのクールでミステリアスで独特なザラッとした空気感、斜に構えたようなシニカルなユーモア、小気味いいテンポの粋な台詞回しは君にしか出せない。他の誰かじゃダメなんだ!」


 僕は立ち上がって、テーブルをバンと叩いた。


「努力が無意味なんてこと、あってたまるか。抗えよ! のたうちまわってでも搾り出せ! 君の才能を、実力を、見せつけてやれ! 両親に! 世間に! 世界に!!」


 思わず、最後は絶叫していた。彼は椅子の上で目一杯仰反のけぞって怯えるように目を見開いていたが、やがて両手で顔を覆って呟いた。



「……引くわー」


「ごめん。自分が無神経でおせっかいだってことは、わかってる。でも諦めきれない」


 僕は急いで椅子を引いて浅く腰掛け、背中を丸めて縮こまった。彼には他人の視線がどうとか言っておきながら、店中の視線が痛い。



「えっ、あなたストーカー? とかじゃ…ない、ですよね?」

「違います。ノリくんの脚本の熱烈なファンってだけです。あと急に敬語になるのやめて」


 彼はルイボスティーをまた一口飲んだ。少し唇が震えて見えるのは気のせいだろうか。


「とりあえず、話だけでも聞いて欲しい」

「いや、無理。ほんとにもう、辞めたんだって」

「照明は滝口ともえ」

「え。滝口って、あの?」


 食いついた。でも、まだだ。


「主演は神原桂子」


 完全に動きが止まった。よし、いいぞ。


「ちなみに撮影と編集は僕。おおまかなストーリーは出来てる。それを聞いてから判断してくれないかな」


 彼が断る前に、僕は急いでウエイトレスさんを呼んだ。


「すみません、アイスコーヒーおかわり。あと、うるさくしちゃってごめんなさい」

「いや待て。お姉さん、おかわりはキャンセルで。店、出るぞ。恥ずかしくて居た堪れない」

「でもまだ話が」

「わかった、やるよ。やるから、早く出よう」

「えっ! いいの? ありがとう!」


 先に立って出口に向かった彼が、振り向いて僕を睨む。


「くそ。ここ、お前の奢りな」


 無論、異存はなかった。



 そういうわけで、まずは僕らの映画の脚本担当が決まったのだった。



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