第14話 猫好きだからね
「あ……えっと、ちょっと猫が」
「猫?」
彼は視線を下げると、足元にいた鈴音に気がつく。なぜか鈴音は俺の後ろに隠れるように息を潜めていた。……鈴音の様子がおかしい。
「ああ……」
はあ、とため息をつく男。心底嫌そうに首をよこに振る。
「その猫は家の飼い猫だ」
「え?」
家の飼い猫?いや、だって……このお猫様は碧月だぞ?猫違いじゃないのか?
「……や、でも……」
「鈴音」
「!?」
「その猫の名前は鈴音だ。来なさい、鈴音」
「……みゃあ」
鈴音が返事をした。なぜ、このお猫様が鈴音だとわかった……?
鈴音は俺をみあげ、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。前足を伸ばし、何かを訴えている。
「どうした?」
しゃがみこむと鈴音は俺の持っていたシャツをぱくりくわえた。シャツが欲しいのか?
俺がシャツから手をはなすと、彼女はそれをひきずっていきアパートの裏へ走っていった。
「……」
もしかして人化するのか?
ふと目の前の男性へと目をやると、彼はタバコに火をつけふかしていた。苛立っているのがその顔に表れていた。
年齢は四十代くらいだろうか。眉間にしわを寄せているせいか、かなり強面にみえる。けど、この強烈な圧力のある雰囲気……誰かに似ているような。
「……お父さん」
碧月の声がした。猫化がとけ、シャツをきた彼女が戻ってきた。……ってか、今お父さんって言わなかったか?
「お前は一体なにをしている」
冷たく重たい言葉。向けられた碧月でなくてもビビってしまうくらいの静かな迫力があった。
「なにを……」
「こいつは一体何なんだ?」
碧月の父親と思われる人が俺を見据えた。目の色こそ違うが、その眼力は彼女を思わせた。
俺は自己紹介をしようと口を開きかけたが、うまく言葉が出なかった。
俺はこの人の事を怖いと思っているらしい……。
「彼はクラスメイトで……私を助けてくれたの」
碧月が間に入る。さっきと反対の立場になった。俺の影に隠れていた彼女。今度は俺をまもるように前へでた。
(碧月……声が震えている)
怖いんだ、父親が。
「助けてくれた?」
「うん。……正直にいうね。私が猫になっちゃってる間、彼が匿ってくれてて……」
「お前は外で猫になったのか」
「ううん、部屋で猫になったんだけど……窓を閉め忘れちゃってて、そこから外にでちゃって……ごめんなさい」
どんどんと声のトーンがダウンしていく碧月。俯きはじめ、姿勢も猫背気味に。……つーか、なんか碧月の尻もぞもぞしてねえか?
父親は「ちっ」と舌打ちをした。びくりとする碧月。俺もビビり顔をあげた。
「お前は……そんなくだらないミスで、他人にその秘密を知られたというのか。それを誰かに知られるということがどういう事かわかっているのか?」
「ご、ごめんなさい……」
「お前は家を出ていく時に言ったな?私は一人でやれると、だから一人暮らしをさせてくれと……」
「はい」
「それがなんだこの様は?」
そりゃまあ、怒るか……猫になれるなんて他人に知られれば一大事だろうからな。それが噂や公になれば、下手すりゃもうまともに生きられない。
(……けど、その言い方は無いんじゃないか?)
ジロリと父親の目が俺と合う。すんません、なんでもないです。ほんとごめんなさい……怖え。
と、その時、碧月のあたまからひょこっと耳が生えた。ストレスが限界に達し始めたのか……?
「また猫になるのか、お前は」
「ご、ごめんなさ……」
「そうして逃げるんだな。あの女のように」
「……!」
あの女?
「そんな、言い方……お母さんに」
聞いてて胸が苦しくなるような碧月の絞り出した声。しかし彼女の父親はさも面倒くさがるように煙を吐き出した。
「俺達をおいて消えたあの女が母親か?」
ぎゅうっと握りしめた碧月の拳。悔しいのか、悲しいのか、それは感情を抑えているように見えた。
ちいさく見えるその背中は普段の彼女とはかけはなれ、脆く弱々しい。下手に触れれば崩れて無くなってしまいそうだった。
だから、彼女にかけられる言葉は無かった。
どう声をかけても、彼女の耳には届かないし、慰めにも励ましにもならない。
揺らぐ水面に足を踏み入れるように、ただただ、心を歪ませてしまうだけだと思った。
「それで、どうする?」
「……え」
「お前は一人では何も出来なかった。これからどうするんだ?人前では猫にはならない……その約束を破ったお前はどう責任をとる?」
「責任……」
「少なくとも私がここの家賃を払うことはもう無いぞ。部屋を借りるにあたっての約束をお前は破ったんだからな」
ここの家賃……一人暮らし……ここに碧月が住んでいるのか?この、ぼろぼろのアパートに?あの豪邸ではなく、ここに。
「たしかに、そう……私は約束を破った……だから、もうお金は払ってくれなくて大丈夫。今までありがとうございました」
「それで?」
「……これからは、私が払う」
「なんだと?」
「私、バイトする。自分でお金を稼いで、自分で払う……」
「たかだか学生のバイトで家賃が払えるわけがないだろう。お前にそんな暇はないはずだ。学業もあるだろう、俺にはお前が両立できるなど到底思えんが?」
「大丈夫、お父さんに迷惑はかけないわ。これまで貯めた貯金も切り崩して、なんとかしてみせる」
「お前……本気で言っているのか」
「本気だよ。私は、一人でやれる。だから、心配しないで」
胸に手を当て、父を見据える碧月。だが、
「出来るものか」
冷たく吐き捨てられた。
「お前はそういって家を出たんだ。そして、猫に化けるのを人に見られた。お前に信用はない」
「……」
どうしてそこまでして一人でやろうとするんだろうか。俺はシンプルにそこが不思議だった。
だって、こんなボロアパートに住むよりもあの豪邸での暮らしのほうが何百倍も楽で快適だろ。
なのに、なぜここに固執するんだ?一人で暮らそうとするんだ?
「お前一人で結局なにも出来なかった。それが時事だ……自分の姿をみろ、また猫になりかけているだろうが。そのまま猫になって、一人でどうするつもりだ?」
わからない。なんで彼女がそこまでするのか……けど、でも。
「一人じゃないですよ」
「……なに?」
口を挟んだ俺を睨見つける碧月の父。
「彼女が猫になったら、また俺が助けます」
俺は二人の間に割って入った。
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