第13話 捜索
こぼしたお湯と珈琲を布巾で掃除する。指先の火傷がずきずきと疼くのを感じる。やっぱり、これは夢じゃないんだ。
(……じゃあ、碧月が猫になったのも)
「マジか」
だとしたら、昨日のロシアンブルーの鈴音と寝たのも、猫じゃらしで遊んだのも全て現実に起こったことなのか?
……あいつ、大丈夫か?
ふと思った。碧月は猫化できる状態にあると言っていた。ということは、もし何かしらの大きなストレスがかかる事があればまた強制的な猫化が発現するのでは、と。
さっきまでは、俺はこれが全て夢だと思っていた。だから楽観的に考え、その懸念を無意識に排除していたんだ。
でもこれが現実ともなれば話は別だ。
「……ちょっと様子でも見に行くか」
実のところ碧月の住所は知っていた。というか、多分俺の学校のやつら噂でならなんとなく知っているだろう。なぜなら、彼女はここらでも有名な豪邸に住んでいるからだ。
大企業の社長令嬢。本人はそれを表にださずに務めているが、間違いなくあの碧月家の一人娘だ。
……まあ、なんで一般的なウチの高校に来たのかはわからんが。
俺は家をでて、彼女の家へ向かって歩き出す。時間にしてここから三十分くらいの位置。道中、あたりをみまわして碧月がいないかを確認しつつ歩く。
(猫化していたら妹の服が落ちているはず……)
そうしてしばらく歩いていると、ふと一軒のアパートが目に入った。ぼろぼろのアパート。赤錆まみれの階段、剥げた塗装の外壁。かなりの年季が入っていることがその風体からわかる。
……あれ、と思った。
そのアパートの一室。一番奥にある部屋の前に、碧月に貸したシャツが落ちていた。そしてそのさらに手前には妹の服。
不安が的中した。やっぱり碧月は帰り道の途中で猫化してしまった。変化し始める体を隠すため、人目に触れないであろうこのアパートの敷地へと入ってきたんだ。
確かに今にも取り壊されそうな、人の住んでなさそうなこのボロアパートであれば、隠れるにはもってこいかもしれない。
……多分、この感じなら碧月は家に帰ったのかもな。服回収しておこう。
妹のパーカーとスカートを手に取る。そして、アパートの扉の前にあった猫カフェシャツに手を伸ばした……が、その時。
「みゃーあ」
と声が聞こえた。
「?」
しかしあたりに猫の姿は見えない。
猫吸いのし過ぎかな。幻聴が……。
「みゃーあ」
「え?」
ぼとり、と頭になにかが落ちてきた。
「のわっ!?」
驚いた俺は慌ててそれを手に取る。
「……す、鈴音!?」
「みゃう」
落ちてきたなにかはロシアンブルー、鈴音……つまりは猫化した碧月だった。ぐるぐると喉を鳴らす鈴音。やはり愛らしい。
俺は赤子を抱きかかえるように鈴音を腕の中へ納めた。ビー玉のように澄んだ瞳がころころと動き俺の顔を見ている。
「……えーと、言葉通じてるんだよな?」
「にゃあ」
返事をするように短く鳴いた鈴音。よし、ちゃんと理解してるっぽいな。
「ちょっと心配で見に来たんだ。さっき猫化できるだけのストレスは溜まっていたみたいだったから、もしかしたらと思ってさ」
「みゃあ」
「いや、わかってるよ。おせっかいされるの嫌だって言いたいんだろ?けど、猫化したらこうなると思ってさ……」
俺は落ちているシャツを手に取ってみせた。
「俺の大切な猫カフェシャツを放置しておくわけにはいかないし。もし落ちてたら回収しようかなって」
口実としては赤点かな。けど、正直に助けに来たといったら怒りそうだし……服の回収あたりが無難だろう。ん?
鈴音がちょいちょいと俺の持っていた妹の服をつつき、俺をみあげた。
「……にゃう」
「え、妹の服はいいのかって?よくはないけど、まあどっちかというと俺の猫カフェシャツの方が大事だな……あだっ」
ぺしっ、と尻尾で顔を叩かれた。
「みゃう」
「冗談だよ冗談。……ま、とにかくだな、こうして猫化しちゃったお前も置いておけないしさ。これもまあ……ついでだし、このままお前の家に送っていくから……いいよな?ついでだし」
「にゃああ!」
「うおっ!?なんだ、どーした!」
ばたばた暴れる鈴音。今までおとなしくしていたのに、急に逃げようとしだした。
「落ち着け、鈴音!!」
「にゃあ!!」
「いてえええ!!?」
鋭い痛みが腕に走る。噛まれた。思いっきり、血が出ている。
(怒るかもとは思っていたが、こんなにキレるか!?)
ただならぬ鈴音の抵抗に、俺は驚いた。腕が緩み鈴音はするりと抜け落ちる鈴音。
地面に足をつけた鈴音は、一瞬で俺から距離をとった。
逃げるでも、威嚇するでもなく、ただ俺の前をうろうろとする。まるで動揺しているようだった。
「……鈴音?」
「にゃぅ」
気落ちしたかのような小さな鳴き声。
「……わかった、俺が悪かった……ほんと、ごめん」
「みゃぅ」
落ち着き無くうろうろと歩き回る。反射的に嚙んでしまったことを気に病んでるのか。
「大丈夫。俺が嫌なことしちゃったからさ。これは気にしなくていいよ」
「みゃぁ……」
「もう余計なことはしないから、大丈夫」
とことこと寄ってくる鈴音。ぽふっと脚にあたまをあて、すりすりしはじめた。
体を擦り付け、しっぽを巻き付ける。
多分、これは謝罪しているのかな。
俺は鈴音のあたまを撫でてやる。
「みゃーあ」
またぐるぐると喉を鳴らし始めた。どうやらもう怒ってないようだ。よかった。
碧月はもう関わるなと言っていた。なら鈴音と会えるのも、こうして撫でられるのもこれが最期だろう。だから仲直りできて良かった……喧嘩別れなんてもうしたくないからな。
「……じゃ、俺いくな」
「みゃあ」
立ち上がる俺をみあげるロシアンブルー。この可愛らしく凛とした顔ももうこれで見納めだ。そう思うと懐かしい痛みがデジャヴしたような感覚になった。
……寂しいな。
「おい」
ふいに背後から声がした。
振り返ると、そこにはスーツ姿の男性がたっていた。白髪交じりの背の高い男。彼の後ろにはこの場に似つかわしくない黒い高級車があった。
彼はどこかで見たような冷たい瞳で俺を睨みつける。
「……お前はここでなにをしているんだ?」
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