第12話 これって……夢じゃないかも!
「……あのさ」
不意に碧月が口を開く。
「ん?」
「私、もう帰るね」
「え、ああ……」
「迷惑かけてごめん」
「いや、別に……ていうか、まさかそのまま帰るのか?」
「うん。心配しないでもこのシャツはちゃんと洗って返すわよ」
「いやそうじゃなくて……」
「?」
「ちょっと待ってろ」
俺は部屋を出て、斜め向かいの妹の部屋へ。掛けられている札には《おでかけちゅう》の文字とネズミのイラスト。
……よし。
俺は妹の部屋の扉を開ける。そしてパーカーとスカートを拝借した。下着もパクろうかとも思ったがそれは流石に良心が咎めたのでやめた。
いそいで自室へ。
「碧月、とりあえずこれ着ていけ」
「え、これ……なに?誰の?」
「安心しろ、妹の服だ。部屋からパクってきた」
「なにに安心できるのよ?パクったらダメでしょ」
「いや、大丈夫。あいつも俺の部屋のものをパクっていってるからな」
「……」
複雑そうな表情を浮かべる碧月。けど流石にそのままで帰らせる訳にはいかない。
「すぐ返してくれれば大丈夫だって。てか、碧月もシャツ一枚で帰るのは嫌だろ」
「それは、そうだけど……」
「それか、もし今猫化できるなら抱えて碧月の家まで送ってやるけど?」
「……猫にはなれるけど、多分難しいわ」
「難しい?」
「猫になったら、私……多分、ここに居座ろうとする気がする」
「ああ……」
めちゃくちゃ居心地よさそうにしてたもんな、鈴音。
「……妹さんいないの?」
「え?いないけど……どうした?」
「ちゃんと許可貰ってから服借りていこうと思って」
「ああ、なるほど」
「いないのなら、今度改めて謝罪させてもらうわ。服返しに来たときにでも」
「謝罪なら俺がするけど。俺がパクったんだし」
「でも借りてるのは私だから、私が謝らなきゃ」
「真面目な奴だな」
「普通でしょ」
「そっか」
まあ、何だって良いんだがな……ぜんぶ夢だし。
「そういえば、妹さん以外にだれかいるの?」
「いや、今はいない」
この時間なら、父さんと母さんも仕事に行ったはず。
「そっか、無断で一泊しちゃったから謝っておきたかったんだけど」
「ああ……まあ、また今度来るならその時でも良いんじゃないか?」
「それもそうね。うん、わかったわ」
そうして彼女は家から出ていった。
(……なんとも慌ただしい時間だったな)
珈琲でも淹れるかとリビングへ。輪ゴムで止められたインスタント珈琲の袋を開き、粉末を二杯マグカップへ。
しかし、この夢はいつ覚めるんだろう。
トポトポとポットからお湯を注ぐ。
幸せな一時だったな。家の猫……ナコが居た頃みたいだった。黒猫で鈴音とは色も種類も違ったけど、あいつもすごい懐いてくれてて可愛かったんだよな。
鈴音の鳴き声がまだ耳に残ってる。ナコはもう少し低い声だったか……。
ふいにリビングの壁が目に入った。がりがりにひっかき傷がつけられた壁。ナコがこの家で生きていた跡。
ナコが亡くなってからもう三年か。
静かなリビング。ナコが居た頃はあの子の鳴き声が聞こえていた。にゃあにゃあと俺の姿を見つけては寄ってきて、よく撫でろと体当たりしてきた。
あの足にあたる感触も消えかかっている。
薄れていく鈴音の声と温もり。抑えていたナコの記憶が薄くよぎりはじめていた。
『にゃーあ』
『こら、珈琲こぼしたら危ねえだろ……!』
(……もっと俺がちゃんとみていたら、ナコは今でもこの家に居たのかな)
続けた看病もむなしく、この世をさったナコ。けど、もっと何か出来たんじゃないかってずっと思ってた。いや、今でも後悔している。
命は思っているよりも儚く簡単に消えるんだ。だから、もっとしっかり見てやれていたら、病気も早く見つかって……
(……あ)
俺はふと気がつく。自分自身で不思議に思っていたこととその理由に。
(そうか……だから何かしてやりたいと思ったんだ)
生きにくそうな彼女が、少しでも生きやすいように。
どこか猫っぽさを感じていた碧月。まさか本当に猫だったとは思わなかったけれど、そうか……俺が彼女のために何かしたいと思う気持ちは、ここから来ていたのか。
ナコと似ている碧月が人間関係で苦しまないようにしたかったんだな俺は。少しすっきりした。
「……熱っち」
カップに注いでいたお湯が、いつの間に溢れていて手にかかる。考え事をしながら注いでいたせいだ。指先がモロに熱いお湯に濡れてしまった。
「うわー、やらかした……」
そこでふと気がつく。
……あれ、熱い……夢なのに?
「……もしかして、これ夢じゃない?」
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