第六部 その2
2 決選投票
2037年5月3日。
リヨン。メリー市役所。
リヨンにあるメリー市役所の投票所は大荒れであった。
* * *
『押すな押すなの大混乱でした。我先に投票しようと,人々は候補者用紙を奪ったり,列を乱したりしました』
──H・アバロ。投票所係員。立会人。
『覚悟はしていました。朝に役員を集めて言いました。「諸君。今日は我々にとっても戦いの日だ。何が起こっても不思議じゃない。相手は人間有権者ではなく,トイレットのピクトグラムだからだ」。そして「気を引き締めていこう!」と激励すると,全員が真剣な表情で,「ウイ(はい)!」と言ってくれました』
──ヨハン・キリー。投票所係員。所長。
『扉が開かれると,待ちに待った人々が,怒涛の勢いで流れ込んできました。「ピクトグラムなんぞクズだ! サミュエル・ブラールに決まってるだろ!」とか「大統領はクララ・ベルモントだ! マークをバカにするやつは失せろ!」とか喧嘩を始める人もいました。「みなさん,押さないで! 落ち着いてください!」。もう声が枯れました』
──H・アバロ。投票所係員。立会人。
『テレビで選挙の結果が出た時に,やっと荷が下りたように感じました。「よく頑張った」と自分を褒め,肩に貼り薬をし,栄養ドリンクを飲みました。息子がやってきて「どうしたのパパ。風邪なの」と言ってきました。氷水で頭を冷やしていたのが気になったのでしょう。
『息子を撫でてから「パパは頑張りすぎたらしい。今週遊園地に連れていく約束が果たせなくてごめんな」と言いました。息子は行きたいと駄々をこねましたが,なんとかなだめて,言ってやりました。「ママを手伝ってあげて。パパの分まで」。息子は頷いてからパタパタと部屋を出ていきました。優しい息子です。自分の子を誇らしく思っていると,脇の下の体温計が検温完了を知らせてきました。どういうわけか,熱は39.5度もありました』
──ヨハン・キリー。投票所係員。所長。
* * *
2037年5月10日。
ついに結果が出た。フランス・テレビジョンは結果を速報した。
* * *
『終始笑わないのがブラールでした。“冷徹漢”と呼ばれたこともありました。選挙の時も,最初の勝利の時も。でも,このときばかりは違いました。彼は両手でガッツポーズをして,満面の笑みで大統領当選を喜んでいました。飾り立てたステージで,駆け寄ってきたレリア夫人と抱き合っていました。印象に残るシーンでした。張り詰めていた緊張がようやく解けたのでしょう』
──テオフォール・ケクラン。歴史学者。ドゥニ・ディドロ大学。
『敗北したクララ・ベルモントは,フランス・テレビジョンの番組内で「負けたのはつらいが,トイレットに関して民意が優先されたことを喜ぶ」と述べていました。「私は彼と全面的に協力する構えです」とスピーチしていました。彼女を「あざとい」と評価していた人々も,こうしたベルモントの潔さに胸を打たれたようです。彼女について好意的に書かれたブログを,今でも時々見かけます』
──アベル・ブロンダン。歴史学者。パンテオン・ソルボンヌ大学。
* * *
3 か月にわたる華々しいフランス大統領選挙は,ピクトグラム変更を公約に掲げる『サミュエル・ブラール』が選ばれることによって終わりを迎えた。
ではここで,フランス・テレビジョンが独自に行ったRDD方式の世論調査を見てみよう。
「ブラール大統領を支持するか」という問いに対し,64パーセントが「支持する」あるいは「どちらかと言えば支持する」と回答している。「不支持」は15パーセントであった。
「支持する理由」として最も多かったのは,「政策に期待が持てるから」の42パーセント。続いて「人柄が信頼できるから」の29パーセント。「支持している政党だから」の15パーセントなどであった。
逆に「支持しない理由」として最も多かったのは,「政策に期待が持てないから」の37パーセント。続いて「人柄が信頼できないから」の24パーセント。「支持している政党でないから」の22パーセントなどであった。
次に「ブラールに何を期待するか」という問いがなされ,40パーセントが「経済問題」と回答している。続いて「トイレ問題」30パーセント。「治安問題」21パーセントなどであった。
最後にトイレ問題についての直接的な質問がなされた。「ピクトグラムが変更されればそれを支持するか」という質問に対し,58パーセントは「支持する」あるいは「どちらかと言えば支持する」と回答している。「不支持」は35パーセントであった。
「ピクトグラムが変更されればそれを支持するか」という質問には注目できる。当初ピクトグラムの問題に関心を払ってこなかったフランス国民だが,ここに来て,半数以上がピクトグラム撤廃を支持すると回答しているのである。
* * *
『不思議なことです。ピクトグラムは問題の種だ。そう考えていたフランス国民がどれほどいたでしょう。ほとんどの人たちは,トイレをいつも通り利用していただけで,それについて何の嫌悪感も罪悪感も抱いていなかったのです。
『ところが,ひとたびトイレ問題が社会問題になると,共和国民はピクトグラムについて自分の意見を持つようになり,廃止すべきだとさえ考えるようになったのです。それが政治を動かし大統領まで誕生させた。本当に驚くべきことです』
──エステル・ビザリア。歴史学者。ストラスブール大学。
『この結果は「仕組まれていた」といっても過言ではない。フランス・テレビジョンの報道の仕方を見ればすぐに分かる。ピクトグラムにとって不利な番組しかやっていなかった。ベルモントは一生懸命頑張っていたのに,結局メディアによって落選させられたのだ。では,誰がメディアを操っているのか。彼らの思惑とは何か』
──ベルベット・マスク。リュムール誌編集長。
『公共放送は,繊細な内容をよく努力して伝えたと思います。どの番組も公明正大なもので,一つ一つの報道が思慮深く準備されていました。私が個人的に感銘を受けたのは,「ピクトグラムその歴史に迫る」シリーズの5回目の放送でした。とてもよく調査がなされており,問題の核心に迫るものでした。
『例えば,スカートは中世中期まで男性も身に着けていたことや,それゆえに本来性別とは無関係な衣類であるという指摘は的を得ていると思いました。こうした専門的な番組のおかげで,私たちは明達な意見でもって,トイレ問題と向き合えるのです』
──エステル・ビザリア。歴史学者。ストラスブール大学。
* * *
沸き立つ世論を追い風に,ブラール政権は脱兎のごとく走り始め,その鋭利な剣をさやから抜いた。彼にとってトイレ問題は,詰まる所ミスリス危機によって疲弊させられたフランス経済の建て直しの一部であったので,抜刀された剣は瞬く間にモンスター・ピクトグラムに一太刀浴びせた。連日専門家を交えて協議がなされた結果,彼の「ピクトグラム法」が,国民議会過半数の支持を取り付けたのである。
* * *
『恐らく彼の目には,攻撃によって負傷させられ,息も絶え絶えになっているピクトグラムの姿が映っていたことでしょう。2037年7月に「万事順調である」とコメントしているからです』
──テオフォール・ケクラン。歴史学者。ドゥニ・ディドロ大学。
『トイレ問題は決着をみつつありました。次の月にもこの案は,元老院を通過する予定でした。いよいよピクトグラムに関する彼の考えが具現され,トイレは一つの節目を迎えようとしていたのです』
──エステル・ビザリア。歴史学者。ストラスブール大学。
『その時でした。トイレは凄まじい勢いでブラールに襲い掛かり始めました! すべては錯覚だった。彼は“モンスター”の力を見誤っていたのです。ピクトグラムは再起不能に陥っているどころか,余力を残したままチャンスを窺っていたのです』
──アベル・ブロンダン。歴史学者。パンテオン・ソルボンヌ大学。
* * *
3 パンデミック!
2037年8月6日。
ピティエ・サルペトリエール大学病院。
パリのある大学病院に,一人の患者が運び込まれた。夜中であった。
* * *
『急いで検査をしました』
──アルベリック・ビュスロー。内科医。医学博士。
『熱は39度5分。水溶性の下痢便に血液が混じっていました。発熱に血便という症状はたくさんあります。サルモネラ食中毒や腸チフスかもしれません』
──フィリッポ・シャミッソー。内科医。医学博士。
『その後,SS寒天培地(シャーレ)による培養検査の結果,患者はそのどちらでもないことが判りました。彼女の病名は,「細菌性赤痢」でした』
──アルベリック・ビュスロー。内科医。医学博士。
『赤痢には,栄養型アメーバによるアメーバ赤痢と,細菌による細菌性赤痢(赤痢菌性胃腸炎)があります。細菌性の場合,保菌者の便に混じる赤痢菌が,ゴキブリやハエなどを介し経口感染することにより発症します。菌は大腸の粘膜を侵すため,テネスムス(しぶり便)・粘血便・39度前後の高熱といった症状を伴います。特に重症化すると,便に膿が混じったり,1日に20回以上便意を感じたりします』
──フィリッポ・シャミッソー。内科医。医学博士。
『よほどびっくりしたのでしょう。点滴をしているときに,「私は治るのでしょうか!」としがみついて来られました。なので座って,怖い病気ではないこと,内服薬で治療できること,入院は7日くらいであることをなど説明しました。特に最近では『オプトクリゾール』という抗菌薬によって,赤痢の治療期間は短くなっていると告げました。「ちょっと“バイ菌”が悪さをしているだけです」。その後気になったので訊いてみました。「最近海外旅行でも行かれたんですか?」』
──アルベリック・ビュスロー。内科医。医学博士。
『アルは,問診を終えたので休憩室に入ってきました。そしてコーヒーを飲みながら私に言うんです。「まいったもんだ。彼女は赤痢になるような行動は何もとっていない」。彼が言うには,彼女には外国への渡航歴がなく,汚物に触れた記憶もなく,また赤痢患者との接触もなかったのです。
『私は言いました。「じゃあ,フランスのハエが赤痢菌を運んでいるのか?」。にわかには信じがたい事実です。GWWSの導入によって,水道の汚染は改善され,赤痢などの法定伝染病は激減していたからです。いまやフランスの水は,細菌によって汚れているどころか,飲料水としての基準を充分に満たしています。自ずと疑問が頭をもたげました。なぜハエは赤痢菌を運んでいるのか』
──フィリッポ・シャミッソー。内科医。医学博士。
『翌日には2人の赤痢患者が大学病院に担ぎ込まれました。これで合計3人です。そのうちの1人は高熱によるショック症状のため,昏睡に陥りました。まずい予感がしました。赤痢患者数を書き留めたノートを見ながら考えました。旅行でも,衛生的でない水の摂取でもない。問題はハエなどの害虫なのだ。
『そう考えていると,本当にハエが飛んできました。机に止まり,手で叩こうとして失敗し,どこかへ逃げていきました。そういえばここのところハエが多いように感じていました。何か関係あるのでしょうか。コーヒーを飲みほすと,私はおもむろにペンを走らせました』
──アルベリック・ビュスロー。内科医。医学博士。
『「フィリッポ!」。翌朝彼は私を呼び止めました。白衣のままで,小脇に沢山の書類が抱えられていました。「会議を開こう。謎が解けそうなんだ!」』
──フィリッポ・シャミッソー。内科医。医学博士。
『ホワイトボードには数式がちりばめられました。集まった病院内の医師たちは,すごい勢いで書き殴られる数式を目で追っていきます。ようやくペンが止まり,アルが説明を始めました。
『「フランス国民は7,000万人。携帯トイレの利用者を,少なく見積もって1家族につき1人と仮定します。すると,携帯トイレの数は,国内で1,500万から1,700万です。これに不衛生な携帯トイレの割合を掛け,AIに害虫の行動パターンをシュミレーションさせた結果を合算します。これにより,細分化された矩形領域Sにおける赤痢菌の数と,二階の微分である発散率が求まります。
『感染力の強いA群赤痢菌は,赤痢菌全体の25パーセントなので──」。医師の一人がつぶやきました。「そうか! 原因は携帯トイレなのか!」。彼の説明は論理的でした。思わぬ事実に出席者はざわつきました。まさか公衆トイレの代替用品である「携帯トイレ」が赤痢の温床だったなんて!』
──ケヴィン・デルランジェ。内科医。医学博士。
『「静かに!」。院長が割って入りました。「要するに赤痢患者は今後とも出る可能性があるということかね」と詰め寄ります。「院内のAIで5度シュミレーションしましたが」と彼は前置きし,重そうに口を開きました。「それだけじゃない。赤痢は,今後飛躍的に増加します」』
──フィリッポ・シャミッソー。内科医。医学博士。
『多角的な側面が関係しています。季節が夏だったので,アイスやジュースなど身体を冷やす食品を摂取する人が沢山いました。胃腸の働きが弱くなり,赤痢菌に侵されやすい状況でした。そして外出時に携帯トイレを持ち歩く習慣は,ハエ・ネズミ・ゴキブリなどの発生と細菌感染を加速させました。
『さらに悪いことに,2030年頃から報告されていた生存率が高く感染力の強い「オプトクリゾール耐性A群赤痢」の影響もあります。2037年は耐性菌のピークと重なっていたようで,非常に大勢の患者が経口感染を通して赤痢にかかりました』
──アルベリック・ビュスロー。内科医。医学博士。
『会議の解散と同時に,彼は院長に近づき,「フランス政府に勧告を。ただちに携帯トイレの使用を中止するよう求めてください」と言いまた。院長は頷き,「WHO(World Health Organization 世界保健機関)に情報を上げる必要もある」。そして私たちに小声で言いました。「気持ちを引き締めたまえ。前代未聞のパンデミックだ!」』
──フィリッポ・シャミッソー。内科医。医学博士。
* * *
衛生省の発表によれば,2037年9月より,フランス・イギリスなど,一部のヨーロッパ圏で,多剤耐性の細菌性赤痢が猛威を振るった。それはトイレット革命によるトイレの減少,フランス国民の携帯トイレ依存が原因のようである。
* * *
『フランス国民に携帯トイレが定着してはや3年。人々の中には,面倒くさいとか水道代が勿体ないといった理由で,容器内を清潔に保つ必要性を忘れていた人もいたのでしょう。洗浄したり乾かしたりするには手間がかかります。頻繁に外出する人などは,洗っていない状態で屋内のすぐ手の届く場所に置いていたのかもしれません。こうした衛生に対する無頓着な考え方が,自分だけでなく他の人の健康をも脅かすものとなったのです』
──フィリッポ・シャミッソー。内科医。医学博士。
『あの頃は,路上に放置された携帯トイレをよく見かけました。汚いので持って帰りたくない。近くに専用の回収ボックスもない。空き缶を捨てるのと同じ感覚で“ポイ捨て”をする人がいました。中身が入ったままなのにそうしたのです。雨風で飛び出したり,垂れ流しの状態になったりしました。パリで沢山のハエが飛んでいたのも頷けます』
──ケヴィン・デルランジェ。内科医。医学博士。
『退化現象です。水道とトイレが整備されていない14世紀と16世紀には,パリで
──アルベリック・ビュスロー。内科医。医学博士。
* * *
赤痢に感染した一人の男性はこう語る。
* * *
『とにかくお腹が痛くて,病院に行きました。同じように苦しそうにしている人を病院内で沢山見ました。看護婦さんがせわしなく走り回っていました。4時間待ってようやく診察してもらいました。「赤痢ですね」と言われました。入院のベッドが足りないそうで,自宅で療養することになりました。幾つか質問された後,先生に言われました。「トイレは掃除しましょう。投げ捨てないでください」』
──赤痢にかかった男性。
『8月の時点で,ここ大学病院だけでも,赤痢による入院患者数は10でした。それが9月になると40に増え,10月には86になりました』
──ケヴィン・デルランジェ。内科医。医学博士。
『色々足りませんでした。病室・医師・薬剤・ベッドはもちろん,PPE(Personal protective equipment 個人用防護具)も足りませんでした。フィリッポとケヴィンは遠慮してか,「俺たちはいらない」と言って聞き入れませんでした。病室の一つを診察室として開放しました。ある月はそれでも足りなかったので,駐車場に医療用テントを張って検査したり治療したりしなければなりませんでした』
──アルベリック・ビュスロー。内科医。医学博士。
『収集がつかなくなったのは,病院内のトイレでした。仮設トイレも設けられましたが,数に限りがありました。長蛇の列ができ,途中で我慢しきれず──汚い話でごめんなさい──その場で“トマト”する人もいました。病院内には異臭が垂れ込み,僕たち看護師は清掃スタッフやトイレ案内のアシスタントとしても働かなければなりませんでした。みんな疲れ切っていました』
──ドナルド・クペ。看護師。
『残念だったのは,沢山の幼い子どもたちがこの病気にかかったことです。何でも口にするので,病原菌に対して無防備な状態でした。彼らが細菌に侵され,高熱に苦しむ様子を見るのは,大変辛いことでした。40度近い熱に伴って,脳に重い障害の残ったケースが国内だけでも1,300あり,敗血症によって死亡した事例はさらに多かったのです。老人や体の弱い大人なども,そうなることがありました』
──アルベリック・ビュスロー。内科医。医学博士。
『やがて,最も恐れていた事態に直面することになりました。私は,治療中に仲間の医師に呼び出され,そして知らされました。「ケヴィン。オプトクリゾールの入手が困難になっている。もってあと7日だ」。治療薬の生産が間に合わなくなったのです』
──ケヴィン・デルランジェ。内科医。医学博士。
『GWWSの設置と同時期から,フランスはオプトクリゾールの備蓄を段階的に減らしていました。滅菌された水道水により,赤痢を治療する必要性が少なくなったからです。世界的に見ても,オプトクリゾールに代わる新薬の開発は進んでいませんでした。唯一,国内の「テイラー製薬」が実験的に行っているのみでした。当時この抗生物質が「最後の爆弾」と呼ばれていたことからも,耐性赤痢菌の駆逐の難しさが解ります。「一体どういうことだ! 妻を見殺しにするつもりか!」。激怒したご主人の声が今でも耳に焼き付いています』
──フィリッポ・シャミッソー。内科医。医学博士。
『赤痢が流行るようになってしばらく経ち,治療を行っていたケヴィンが突然倒れました。彼も赤痢にかかってしまったのです。次の日にはフィリッポも倒れました。「おい,大丈夫か!」と彼を揺らすと,彼は蚊の鳴くような声で言いました。「すまない。後は頼んだぞ」。有能な医師を同時に2人も奪われ,目の前が真っ暗になりました。これからどうやって戦っていけばいいんだ!』
──アルベリック・ビュスロー。内科医。医学博士。
『看護師の中にも赤痢を恐れて仕事を休む人が出てきました。診察室にいた友人の看護師は,脂汗をかいて悶える患者を見るにつけ,「怖い,帰りたい」と言い出しました。僕が説得すると,「もういや! この病気で何人死んだと思ってるの! 私は死にたくない!」と叫んで,部屋を飛び出してしまいました。恐怖は病原菌のようです。別のナースたちも怯えはじめ,瞬く間に恐怖の大合唱になりました』
──ドナルド・クペ。看護師。
※なお,この病院での死亡人数は,この時点で1人であったことが分かっている。
『私は立ち上がりました。突然の行動に,看護師たちは動きを止めました。そして,全員の顔を見ながらはっきりと言いました。「君たちは何のために医学を学んで来たんだ! 自分を救うためなのか!」。そして思ったことを言ってやりました。「我々の
──アルベリック・ビュスロー。内科医。医学博士。
『アルの一声で思いとどまる人がでてきました。「出ていくなんて,やっぱかっこ悪いわね」と言ってくれたんです。アルはチーフとして本当に立派でした。彼は後に,怒鳴ったことを彼女に謝っていましたけどね(笑い)』
──ドナルド・クペ。看護師。
『その日から,全ての手順が見直され始めました。必要のない治療プロトコルは省かれ,少ない人数でも診察できるよう調整されました。特別なスケジュールが組まれ。オーバーワークの人が出ないよう配慮され,少しは仮眠できるようになりました。やがて,事態を重く見たWHOは,安全性が確認できる未承認薬に限って,使用を許可するという声明を発表しました。私たちは手を取り合って喜びました』
──アルベリック・ビュスロー。内科医。医学博士。
『トラックで大量の「クレオプトマイシン」が運ばれてきます。「これでもう安全だ! みんな,よく頑張った!」。アルがそう言ってくれた時,思わず涙しました。毎日緊張しっぱなしで,くたくただったからです。結局,赤痢の流行は2037年12月まで続きましたが,その後徐々に収束していくことになりました』
──ドナルド・クペ。看護師。
『色々学びました。自分一人で成し遂げられることは少ないこと。全員の協力と自己犠牲の精神が欠かせないこと。人のためにできることはまだ沢山あること』
──アルベリック・ビュスロー。内科医。医学博士。
『清潔なのは大切であること。……あとは,アルが怒ると怖いこと,ですかね(笑い)。フィリップ医師とケインズ医師はやがて回復し,一人でモンスターと戦ったアルと抱き合っていました。3人が肩を組んでいる写真は,今でも診察室に飾ってあります』
──ドナルド・クペ。看護師。
『時々思うことがあります。あの時,回復しなかった男の子が今でも生きていたら? 彼は言っていました。「来週バトミントンの試合なんだ。僕はリーダーだから絶対に治らないといけない。みんなが僕を待ってるんだ」。薬剤がないことは分かっていましたが,「じゃあ一緒に頑張ろう」と励ましました。失われた命は戻りません。窓を見ていると,男の子がユニフォームを着て試合をしている姿が浮かんできます。自問自答の毎日です。自分は彼に最善を尽くせたのだろうか』
──アルベリック・ビュスロー。内科医。医学博士。
『医学は進歩しています。以前では治療することができなかった病気も,今では治ります。ですから,自分の病のことであれこれと心配する必要はありません。でも,理解しておかなければならないこともあります。私たちが医学の力をもってできることには限界があるということです。死の淵にあって,最後に自分を救うもの。それは何でしょうか。私たちは今から,薬以外の物に「ありがとう」と言えるよう準備したいものです』
──フィリッポ・シャミッソー。内科医。医学博士。
『多くのことを考えるようになりました。回復してからです。若いころは,自分の人生は,名声や財産がすべてだと思っていました。銀行に沢山預金することを目指していました。でもモンスターと戦ってみて,その,つまり,もっと大事なことがあるんじゃないだろうかと思えるようになりました。大統領の功績でさえ評価されずに忘れられます。お金の価値は瞬く間に変動します。デモで何かを訴えても良くなることはほとんどありません。そのうち健康を害し,夢半ばで命を落とすのでしょうか。
『人生って何だろうと思いながら病院内を歩いていると,一人の女性が家族の見舞いに食べ物を持ってきたのが見えました。彼女は病室の扉を開け,心配そうに入っていきました。そして満面の笑みで出てきたのです。「ミシェルが大丈夫で良かった。また来るね」。彼女はぱたぱたと去っていきました。その場に立ち尽くしました。ナースがやってきて私に言いました。「ケヴィン先生。どうされました?」。あの日「もう帰る」と泣き叫んでいた看護師です。我に返り,「すまない。患者の検査結果をもらいに来たんだ」と言いました。
『「あの2人ですか」。彼女は説明します。「最近入ってこられたた患者さんです。夫婦仲がとても良いんですよ。人から想われるって,こんなに素敵なことなんですね」。
『その時,私の中で何かが弾けました。自分が赤痢になったら,誰が自分のために悲しんで,誰が自分のために泣いてくれるだろうか。
『「ありがとう。大事なことに気が付いたよ」「えっ?」。私は彼女からファイルをもらいます。「『フランス──ハートのある国』か」。窓からパリの街を見下ろしました。何とも言えない,すがすがしい気持ちでした』
──ケヴィン・デルランジェ。内科医。医学博士。
* * *
私たちの健康のため,日夜激務に耐える医師たちに,私たちは感謝することができるだろう。赤痢の大流行を食い止めたのは,彼らだったのである。ちなみに,私はこの時期,トマト栽培に関する取材のためブラジルに行っていたので感染を免れた。(本物のトマトである。)
さて,薬剤の不足が指摘されていたのは興味深い。安全性の高い未承認薬『クレオプトマイシン』を提供したのは,なぜか我が国の製薬会社であった。これによりフランスの流通経路上にあるイギリス・ドイツ・スペインなどは,この抗生物質を即時入手。赤痢の拡散をとどめることができた。
この点で後れを取り,破壊的な影響を受けた国もある。トイレット革命の始まった期間が他国より遅かったスウェーデン・エジプト・ミスリスである。とりわけミスリス共和国は最終的に,フランスの2倍の死者を出すことになる。
* * *
『何度考えても不思議なことです。なぜミスリスなのでしょうか。フランスのトイレ環境改善に一役買ったのはこの国なのです。なのに今,フランスから始まったトイレット革命により,国家破産の道を辿っているのです。恩を仇で返される。なんとも皮肉な話です』
──テオフォール・ケクラン。歴史学者。ドゥニ・ディドロ大学。
『ブラール大統領は速やかでした。感染予防のため,携帯トイレを放置しないよう全国民に勧告しました。同時に,パリなどの観光都市を清掃するため,8,000万ユーロが充てられました。委託業者だけでなく,ボランティアの人たちもよく働きました。モップブラシで道路を擦ったり除菌剤を撒いたりしました。街にはこんな看板をよく見かけました。「投げ捨てないで持ち帰ろう。トイレはあなたのお友達」』
──アベル・ブロンダン。歴史学者。パンテオン・ソルボンヌ大学。
『またカフェがしたいですからね。テラスでゆったりエスプレッソを飲んで,トイレに行って帰る。清掃に励む多くの人たちにとって,古き良き暮らしは懐かしく映ったに違いありません。この頃に清掃スタッフの間で作曲された歌があります。その歌詞の一部は,「たとえトイレがなくなっても,カフェで自由な時間を楽しみたい」でした。リズミカルなこの曲に合わせて,フランス人みんながモップ掛けしている様子を思い浮かべることができますか?』
──エステル・ビザリア。歴史学者。ストラスブール大学。
『どうして清掃に参加したかですって? 害虫にはもううんざりだからよ。楽しい歌もできたしね。「ランランラン・タッタター」ってやつよ。だからフィットネス・クラブの人たちと寄り集まったわ。そしたら近所の人たちがじろじろ見てきて「何事?」と訊いてくるから,「一緒に歌いましょ」と誘ったの。
『みんな嬉しそうにデッキブラシを持ってきたわ。並ぶと横10メートルくらいになったかしらね。うちの主人までブラシを持ってくれて,感動して何度も抱き合ったわ。「いっくわよー」の一言から歌いだして,みんなで道路を綺麗にしたの。最後に水を撒いたらびちょびちょになっちゃって,みんなで大笑いしたわ。笑うっていいことね』
──清掃に参加したという3児の母親。
『フランス人は気づき始めていたのです。トイレのモンスターとは詰まる所,人間が作り出した害悪そのものだったのではないか。不衛生にしたのも人間。清掃するのも人間だからです。ではどうすればモンスターを打ち倒せますか? 答えは簡単です。私たちが変わればいいのです。そうすれば,洗浄剤の泡が弾き飛ぶようにして「モンスターは消え去る」のです』
──テオフォール・ケクラン。歴史学者。ドゥニ・ディドロ大学。
* * *
4 革命前夜
2038年1月28日。
パリ,エリゼ宮。
* * *
『「長い道のりだった」。大統領は定例閣議でそう述べました。「ピクトグラム法」がようやく元老院を通過したのです。本当に長い道のりでした。ミスリス危機やパンデミックやその後の清掃活動のために,この法案は遅れに遅れていました。しかしついに,ピクトグラムの在り方に関するブラールの考え方が,成文法になろうとしているのです。トイレは大きく様変わりしようとしています。
『大統領は法案の概略を説明し,配布資料を熟読するようにと述べていました。「ありがとう。皆に感謝する。ここまで来れたのは,君たちのおかげだ」。大統領の瞳は潤んでいるようにも見えました。後は国民へのスピーチを済ませれば,いよいよ「ピクトグラム法」は施行されるのです。「演説は3日後だ! 絶対に成功させよう!」。彼の力強い言葉に「ウイ!」と私たちは応じました』
──ジャンヌ・ド・ラランド。元外務大臣。
『治って本当に良かったです。リリアンが病院に行くよう促してくれなかったらどうなっていたでしょう。結局1週間と2日ふせりました。その後会社に復帰して,ブラジルから帰国していたフランツ(私のこと)にひどい下痢だったことなどを説明しました。気遣いのメールに励まされたとも伝えました。彼は,「何はともあれ,また元気な顔を見られて嬉しい」と言ってくれました。付け加えて「携帯トイレはちゃんと洗えよ」と。共に笑いました。
『一通り笑ってから彼は言いました。「早速だが明日,一緒に取材だ」。なんだか久しぶりのフランツとの仕事に感じます。やっぱりフランツとは気が合います。「任せろ」と言っておきました。「ちなみにどこに行くんだい?」と訊くと,彼は人差し指を私に向けて言いました。「パリの中央水道局,GWWSだ」』
──ミシェル・ポアソン。新聞記者。ラ・ニュヴェレ新聞社。
『「リリアン! リリアンいる?」。ミシェルは家に帰るなりわたしを呼びました。そしてキッチンから出てくると 抱きしめられました。「お,おかえりミシェル。どうしたの?」。彼をねぎらうと「水が出ないって本当?」と訊いてくるんです。わたしは蛇口を捻ってみせ,「少しなら」。彼はわたしが無事であったことにほっとした様子でした。おかしいとは思っていました。料理をしようと思っても,半分くらいの水勢しかなかったからです。家の配管に異常でもあるのかしらと思っていました。
『ミシェルはGWWSがおかしいこと,供給される水の量が徐々に減っており,明日にでもストップするかもしれないことを説明してくれました。「リリアン急ごう。完全に止水される前に水を溜めなくちゃ!」。彼の一声で,給水タンクやペットボトルに水を溜め始めました。わたしは作業しながら彼に聞きました。「GWWSに何があったの?」』
──リリアン・ポアソン。元BBF通信記者。
『ニュースをやっていました。ジャンヌ大臣がなかなか戻ってこないので,テレビを見ていたんです。すると,GWWSのAIが動作異常を起こしていること,その原因は,清掃作業に伴う水の過剰供給によって引き起こされたバグであろうことが説明されていました。「明日には回復するでしょう」。
『そんなこともあるんだと思って,チャンネルを変えました。「美少女戦士のんたん」の時間です。最終回だから絶対に見ないといけないのです。4匹のモンスターを倒したのんたんの前に,巨大なボスが現れました。「よくぞここまで来た。褒めてやろう」。
『ボスが武器を振り下ろすと,大地が揺れました。飛び退いて着地したのんたんは,自分の体に違和感を覚え始めます。ペンダントのパワーゲージが変色し始めました。「どういうこと? 力が,力がなくなっていく!」。「ガハハハ! 思い知ったか。これが我々魔族の力だ! お前の非力な攻撃など痛くも痒くもないわ!」。どういうわけか,パワーの源を奪われたようでした。これは絶体絶命のピンチです。応援しながら見ていると,空が光りました。雷でした。「あーあ,一雨きそう」』
──ルイ・シェーヌ。外務大臣第二秘書。
『「じゃあ,水道は使えなくなるってこと?」とリリアンは叫びました。僕は頷き,彼女をしっかり抱きしめました。「モンスターの好きなようにはさせない。たとえ相手が親玉だとしても,僕が君を守る」。当時は分からないことが多すぎました。同僚の中には,「これはトイレの“呪い”ではないか」と言う人までいました。まさか命の源 水がストップするなど想像していなかったからです。まるでピクトグラムがフランス人全員を人質にとり,「抹消するなら殺してやる」とでも脅しているようでした。
『リリアンは何度か頷いて,「でも明日は仕事なんでしょ?」と言うので,「いつでも連絡して。ヒーローみたいに飛んでくるから」とスマホを見せました。壁紙は2人で撮った日本の旅行写真です。うどん屋をバックにポーズを取る僕とリリアンです。
『彼女は微笑んでくれました。「ねえ,明日パリでイベントがあるんだけど,一人で行っていい?」。広告を見せられました。「美少女戦士のんたん」の着ぐるみショーでした。そういえば明日が公演の日でした。一緒に見に行きたいねと話していたのです。しばらく考えて,彼女に伝えました。「明日はじっとしていた方がいいよ」』
──ミシェル・ポアソン。新聞記者。ラ・ニュヴェレ新聞社。
『出るころには雨が降っていました。遅くなってしまったのでルイに連絡しようと携帯を握ると,着信がありました。彼でしょうか。「もしもしルイ?」。「ルイに会いたいかね。では今から外務省庁舎に戻ってもらおう」。例の特務員たちでした。
『「ルイに何をしたの!」と叫ぶと,「来るか,来ないか。2つに1つだ」と言ってきます。「何が目的なのよ!」。「世界を
『「ルイは無事なんでしょうね」。「ジャンヌ,私が誰だか判らないのかね」。そして「誤解なきよう言っておくが,私は彼を人質に取ろうとしているのではない。一緒にどうだと言っているのだよ。一人では君もやりづらいだろう」。繋がってきました。一つ一つのピースが私の思いの中で合わさっていくのを感じました。組み上がった
『「あなたも変わらないわね。私をおびき出したいなら,もっと穏便な方法があるでしょうに」。できるだけ平静を装いました。すると彼は,「こうでもしなければ君は私に会ってくれないだろう」。確かにそうかもしれません。私は頷いて,「どっちにしても今日はまだ帰れないの」。「じゃあ明日の昼はどうかね」。「明日の1時なら」。すると彼は「うむ。では1時に」と。
『相手は無言になりました。変な間です。しばらくして,「ところで今日は凄い雨だな」。また変な間が。私はため息し,彼の名前を口に出し言ってやりました。「カール,あなたはいつも回りくどいのよ。『会談したい』なら『会談したい』とはっきり言いなさいよ」』
──ジャンヌ・ド・ラランド。元外務大臣。
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