第5章 幸せを願うということ

「あなた、魔女なんじゃないの?」


 カミラは、目の前に現れたライバルを冷ややかに見据えた。


 まさかラーリが水晶の試練を成功させるとは思いもしなかった。


 どうせ十分の一を当てる、くじ運の強い女なのだろう。


「いいわ。めてあげましょう」


 カミラはなが椅子いすからゆうに身を起こした。


 息を荒らげ、鍵をつかんでいるラーリと向き合う。


めるも何も、あなたがいま手に持っているじゃくいしはわたしのものです。返してください!」


「こんな言い伝えがあるわ。人が石を選ぶんじゃない。石が人を選ぶんだって」


 ラーリの追及に、カミラはワインを一口飲んで言ってのけた。


じゃくいしがあたしを選んだのよ。誰も運命にはあらがえないの。あきらめることね」


「あなたはただ、わたしをおとしめてエジプト一の染料師になりたいだけでしょう」


「このあたしにたてくつもり? いいわ。最後の試練を受けてもらいましょう」


 カミラは鼻で笑って、じょに向かって小さく頷いた。


 床に置かれたのは、二つの皿と、それぞれに盛られた青い粉。


「ラーリ。あなたに命をける覚悟があるなら、じゃくいしの粉を見分けて、このワインと一緒に飲み干してごらんなさい。


 ごと本物を当てれば、あなたの勇敢さに免じて宝石をお返ししましょう」


(ラーリちゃん、どういうこと? 命を懸けるって……)


 ハピは震え始めた。


 まさか最後の試練で、生きるか死ぬかを選ばされるなんて。





 彼女の隣で、ラーリはいたって静かだった。


 カミラの自宅を訪れる前に覚悟はできていた。


 彼女は自分に、命かじゃくいしかの二択を迫ってくる。


 予想はできた。


 なぜなら——


「本物のじゃくいしは、猛毒なんですよ」


「——!」


 それは稲妻のような返答であった。


 エジプトに伝わる神秘の青。


 それは、猛毒と隣り合わせの、危険な美へのこだわりでもあった。


 じゃくいしとは、その上品な色合いと裏腹に、一口ひとくち含めば即座に当人の命をとる激烈な死の象徴でもある。


 後世の学者らが明らかにしたところによれば、古代エジプトのじゃくいしは精錬の過程で高濃度のヒ素を含んだ。



「そ、そんな! そんなわけないじゃない!」


 ハピはたけた。


 その瞳には熱い涙があふれ、ほおを伝い落ちる。


(猛毒なんて嘘だ。もしそれが本当なら、女王陛下は国事のたびに自分の命を危険にさらしていることになる)


「本当のことです」


 ラーリは断じた。


「これが、大国エジプトをべる、陛下の覚悟なのですよ。確かにアイシャドーなど、赤でも黄でもかまわない。今のカミラのように」


 ラーリは眼前の、いけ好かないメイク女を指差した。


「でも、それではいけないのです。青でなければのです。理由は——」





 青がエジプトで最も神聖な色。


 エジプト繁栄の色。


 国民一人ひとりの幸せの色だから。





 ラーリの言葉がえつで途切れる。


 彼女の小さな肩が上下する。


「女王陛下のメイクは、自らの命を削っても、国民の幸せを願う陛下の想いそのものです。


 カミラ!」


 ラーリの怒声が空気を切り裂いた。


 彼女は皿に盛られた粉をつかむと、敵に向かって投げる。


 鮮烈な青が、まるで滑らかなきぬのように宙を染め、カミラの衣服、長椅子、銀の香料器におおいかぶさった。


 ラーリは彼女の杯を奪うと、皿の粉を一摘ひとつまみ溶かして、


「——ラーリちゃん、やめて!」


 目を閉じて一気に飲み干すのであった。

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