第4章 試練

 二人が通されたのは、庭の見えるきょうおうの間だった。


 幾何学模様のタイル床。象の彫刻が施された椅子。石造りの長テーブル。


 壁に沿って置かれたアカシア材のたなには、品名が書かれた壺が、これ見よがしに並んでいる。


 開放的な庭園には色とりどりの花が咲き誇り、イチジクとザクロの木が実を付けていた。


(豪華な部屋!)


 ハピの小声。


(家具はナイルの白アラバスタ製ですね。金と同等のうち石です。


 それに、あの壺たち。香油、ワイン、オイル、蜂蜜はちみつ。どれも高価な調度品ばかりですよ)


 ラーリの目には、カミラが庭園をながめながらワインを飲んだり、香油を塗ってもらう様子が浮かんだ。


「試練はいたってシンプルです」


 ぼんを持った使用人が戻ってきた。


「ここに、護符アミュレットとおあります」


 護符アミュレット


 コガネムシの形をしたお守りだ。


 健康や繁栄を願うために身に付ける。


 使用人はメモを読み上げた。


「〝ラーリ。試練を受けるとは、身のほど知らずですね。おのれの無力さに打ちのめされるといいでしょう。


 十の護符アミュレットのうち、一つは水晶。残りの九つはガラス製です。


 けずったり砕いたりしてはなりません。チャンスは一度だけ。水晶の護符アミュレットを見事当てられれば、階段へ通じる鍵をお渡ししましょう〟」


 女はポケットから木製の棒鍵をちらつかせた。


 見た目の全く変わらない護符アミュレットたち。


 どうやら、目的のアイテムを見抜くのが試練らしい。


「ラーリちゃんなら簡単だわ! レモンを使って……」


「——なお」


 使用人がハピの声をさえぎった。


「お嬢様はおっしゃっています。〝レモンを使っても無駄です。


 あなたのやり口は知っていますよ。水晶もガラスも酸には強いですからね。もっとも、あなたがレモンをたずさえていればの話ですが〟」


 ちっ。


 ハピはラーリの隣で舌打ちした。



 ♢ ♢ ♢



 ここは屋上バルコニー。


 瞑想めいそうは〝彼女〟にとって欠かせない日課だった。


 騒がしい下衆げすどもから遠のき、高所で身を清らかに保てるのである。


 ひじけ椅子に座り、銀のこうりょう器に身をゆだねる。


 アラビアのこうぼくが燃え、周囲は甘い匂いで満たされていた。


 カミラは今日も瞑想めいそうという名の日向ひなたぼっこをしていた。


 彼女の手のひらの皿には、今朝けさがた砕き切ったじゃくいしが盛られている。


 ナイルの青は、孔雀石に水晶の粉を混ぜて焼き上げて作る。


 ブルーに関連した試練を複数用意した自分をめてやりたい。


 カミラは自分の手をでた。


 彼女はさかずきからワインを一口飲むと、


「ふふふ」


 あやしい笑み。


「ラーリに見分けられるはずありませんわ。あたしにも無理なのですから。方法はただ一つ。護符アミュレットの後ろに刻まれた傷が水晶の証ですのよ」


 小さく言った。



 ♢ ♢ ♢



「砕いたり削ったりしなければいいのですね?」


 ラーリは使用人に確認した。


「ええ……。あとはレモンを使わなければ」


 予想外だと使用人は感じていた。


 お嬢様の見立てでは、ラーリは尻尾しっぽを巻いて出て行く。


 手触りともくだけで本物を当てるなど、どんなうできの染料師でも不可能に近い。


 だが今、目の前にいる小柄の職人は、落ち着いた表情で護符アミュレットをキレイに並べ始めたではないか。


 盆の中で等間隔に並んだ護符たちを見て、女はまゆをひそめた。



 ラーリは棚を指さし、ハピに告げる。


「そこにある、蜂蜜はちみつの壺を持ってきてください」


「ちょ……あなたたち……。壺を勝手に……」


「いいんですよね? 砕いたり削ったりしなければ、何をしても」


 ラーリの威圧したせいに、今度は使用人が押し黙る番だ。


 棚から持ってこられた、イチジク二つ分ほどの高さがあるつぼ


 ラーリはひもをとき、壺口にかぶせられた布を取っ払った。


 蜂蜜の甘い香りが部屋に広がる。


「半分くらいでいいでしょう」


 そう言うと、彼女は護符アミュレットの入った盆の中に、どくどくとはくの粘液を注ぎ始めた。


「ラーリちゃん、なあに? 蜂蜜はちみつレモンにすれば、レモンを回避できるとか、そういう発想なの?」


「まあ、見ててくださいよ」



 ♢ ♢ ♢



「さーて。注ぎ終わりました。どうですか? どんな変化がありますか?」


 再びティーチャー・ラーリのご登壇とうだんである。


 注ぐ前と注いだ後で、違いはあるか。


 蜂蜜はちみつ水浴すいよくする護符アミュレットを見て、ハピは驚きのあまり叫んだ。


「か、数が減ってるわ!」


 彼女の言葉は、状況をそのまま言い表していた。


 とおあった護符アミュレットのうち、九つの輪郭りんかく曖昧あいまいとなり、一つだけがくっきり浮かび上がって見える。


蜂蜜はちみつで溶けた!」


「そんなわけないでしょう」


 ラーリは冷静にツッコミを入れた。


「光の屈折ですよ」


 彼女は人差し指を振りながら説明を続ける。


「いいですか? 宝石を見分ける二つ目の方法は、光の屈折具合です。


 ガラスと水晶は同じような見た目ですが、水晶のほうが、ほんのわずかに光をたくさん曲げます。


 ガラスは蜂蜜はちみつの曲がり方とほとんど同じですからね、浸すと水晶だけが浮かび上がるって寸法です」


 ラーリは浮き出た護符アミュレットを手に取り、使用人に向かって突き出した。


「これが本物の水晶です。さあ、鍵を渡してください」

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