第2話 無言魔術師、たぶん悪い人じゃない(たぶん)
朝。まだほんのりと冷えた空気が、石造りの屋敷に静かに満ちていた。
ミカは重たい木製の扉を押し開け、部屋へ足を踏み入れる。途端に鼻をついたのは、昨日も見た気がする乾いた保存パンの匂いだった。
「……また、これ?」
丸いテーブルには、ポツンとパンの皿と水が入ったコップ。対面にはすでにラセルが座っていたが、相変わらず魔術書から目を離すことはない。
「おはようございます、って言ったら返ってくるのかな……」
小さく呟いてみたものの、やっぱり反応はない。
(昨日の夜、ちょっとだけ優しさっぽいの見せたと思ったけど……やっぱこの人、コミュニケーション下手の極みだな……)
椅子に腰を下ろし、パンを手に取ってかじる。硬い。味もほとんどない。
(うーん、これはテンション下がる……)
そんな沈黙の食卓に、突然、ラセルの声が落ちてくる。
「火は起こしてある。使いたければ勝手に使え」
「……っ、はあ!?」
思わず声が裏返った。
そのまま畳み掛けるように、また彼の無感情な一言。
「水は地下。くみ上げ魔法は朝に使った。足りなければ自分でやれ」
「いやいやいや! ちょっと待って! それ言い方!!」
「契約上、屋敷に住むことは定められている。必要な情報を提供しているまでだ」
「だからそうじゃなくて! “お水はあっちです”でいいでしょ!? あなたGPSかロボットかってくらい無機質!!」
苛立ちをぶつけても、ラセルは顔ひとつ動かさない。ただ静かに本のページをめくるばかり。
(この人、何考えてるかほんとにわからない……!)
ミカはふてくされたようにスプーンを投げ出すと、部屋を出た。
でも、出て行ってもお腹は空くし、やることもない。
(……ああもう、私がやるしかないんじゃん……)
「……はあ。まったく、もう……!」
ミカは袖をまくり、厨房の戸棚を次々と開けていった。
調理器具はあるにはあったが、どれも古く、埃が被っている。
「せめて誰か洗っといてよ……って、いないか」
魔術設備は整っていても、生活感が壊滅しているこの屋敷。料理はおろか、まともな食材の気配すらない。
「えーっと、じゃがいもと……塩? これだけ? コンビニの方がマシじゃない?」
ミカは苦笑しつつ、皮むきナイフを取り出し、しゃがんで作業を始めた。
普段、料理は最低限しかしないタイプだが、こうして何かに集中していると、不思議と落ち着く。
鍋に水を入れて火にかける。
ラセルが起こしたらしい火で、なんとか鍋は温まっているらしい。
「よし……意外とやれるかも、私」
ごつごつしたじゃがいも(のようなもの)を大きめに切って、塩と少しの水で煮込む。よく分からない調味料ばかりだったが、見た目を頼りに醤油っぽいもの、みりんっぽいもの、お酒っぽいもの(これはほぼ確定)、最後に砂糖と思われる粉を目分量で入れていく。
どことなく給食みたいな見た目の煮物だったけど、湯気の立ち上がる鍋を見て、ミカはちょっとだけ得意げになった。
(さて……このへんに置いておけば、さすがに気づくでしょ)
皿を二人分、テーブルに置く。
ラセルはまだ読書中。まったく動かない。
(いや、もうこの人、置物かなにか?)
しばらくして、ミカが掃除に戻ろうとした瞬間。
かすかに椅子が動く音がした。
ラセルは視線を上げず、音もなく席に着くと、しばらく鍋を見つめた。
湯気の向こうに何かを思うような沈黙のあと、静かにスプーンを手に取った。
ミカは気づかれないように、柱の陰からそっと様子を伺う。
(……あ、食べた)
一口、二口。
表情の変化はない。でも、皿の中はゆっくり減っていく。
(……もしかして、美味しいと思ってる?)
思わず、口元がほころぶ。
ラセルは食べ終わったあと、音を立てずに皿を流しへ運んだ。
そして、何事もなかったかのように、また書の世界に戻っていく。
「……なーんにも言わないんだ、この人。ほんとにもう……!」
ぶつくさ言いながらも、ミカの足取りは少し軽かった。
(ちょっとくらい、認めてくれてるのかな……?)
そう思えるだけで、不思議と心があたたかくなる気がした。
夕方、あれこれ掃除と調理で動き回ったミカは、さすがに汗でべたついた身体が気になり始めていた。
「すみません、シャワーとかってあります? お風呂的なやつ、あったら助かるんですけど」
食堂で魔術書を開いていたラセルは、顔を上げずに短く答えた。
「風呂は西廊下の突き当たりにある。湯は貯蔵炉から引いている。温度調節は自動だ」
「なるほど、お風呂文化あったんですね。ありがたいです!」
案内された方向に向かいかけたミカだったが、途中で立ち止まり、急に現実に引き戻された。
「ちょっと待って。着替え、ないじゃん」
制服シャツとスカートは、もうボロボロ。料理と掃除で粉まみれだし、草汁っぽい汚れまでついている。
「さすがにこれ、もう着られないよね。ローブ的なもの、どっかにないかな」
納戸を覗くと、紫がかった布が綺麗に畳まれて棚に置かれていた。
「これ、ローブ? めっちゃかわいい。刺繍も凝ってるし、袖ふんわりだし、これは当たりじゃない?」
そのまま勝手に使うのはどうかと思い、ミカはローブを抱えてラセルのもとに戻った。
「あの、このローブ、使わせてもらっても大丈夫ですか? お風呂のあと、さすがに着るものがなくて」
ラセルはローブに一瞥をくれると、また本へと視線を戻した。
「古い。捨てるつもりだった。好きにしろ」
「そうなんですね。じゃあ、ありがたく使わせてもらいますね」
そっけないのに、ちゃんと許可してくれるんだ。この人、やっぱり不思議なタイプだなあと、ミカは小さく笑った。
ローブを抱えたまま廊下を歩きながら、ふと、さらなる問題に気づく。
「ちょっと待った。下着どうしよう。持ってきてないし。いや、そりゃそうですよ、召喚されてきたんだし」
焦って納戸を再び探すと、棚の奥に古布の束が積まれていた。
「さらし? 包帯? いや、これ……代用できるやつかも」
いろんな妄想が頭をよぎるが、選択肢は他にない。
「ノーガードよりマシ。オッケー、巻いてみよう。きっつ。動きにくっ」
文句を言いつつも、どこか楽しげな表情で浴室へ向かうミカの背中は、少し軽やかだった。
夜が更けて、屋敷の中は静まり返っていた。
食堂での夕食も終わり、ミカはラセルに軽く頭を下げて自室に戻った。
「では、おやすみなさい。あの、ごはん……一応、口に合っていたのであればよかったです」
ラセルは一瞬だけ手を止めて、小さく頷いた。
「問題ない」
それだけだったけれど、悪くない反応だと思えた。
部屋に戻り、借りたローブを羽織ったまま、ふかふかの寝台に身を沈める。
薪のはぜる音が遠くでして、ほんの少しだけ、あたたかい空気が漂っていた。
「不思議だな。昨日まで、全然違う世界にいたのに」
天井を見つめながら、小さくつぶやく。
「……ラセルさん、無愛想だけど……見てくれてる、のかな」
そう思いたいだけかもしれない。でも、そう思えるだけで、今日は少し救われた気がした。
毛布を引き寄せながら、ふっと笑った。
「あんな命令口調じゃなければ、もっと分かりやすいんだけどなー」
小さな独り言が部屋に溶けていく。
その頃、書斎ではラセルがまだ机に向かっていた。
魔術書のページをめくりながらも、ふと視線が止まる。
「使い魔、か」
契約書が、机の端に置いてある。
ラセルはそこに記された「使い魔ミカ」の文字を見つめながら、目を細めた。
「あれを、“使い魔”と呼ぶには、少し違う気がするな」
何が違うのか、明確には言えない。ただ、どこかで釈然としない。
契約上は確かにそうだ。だが、彼女を見ていると、もっと違う言葉があるような気がしてならなかった。
椅子にもたれて、そっと目を閉じた。
静かな夜は、まだ続いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます