第五話:影の足跡

シエナ・翠玉の導きのもと、アルバス・蒼月は過酷な修行の日々を送っていた。森の奥深く、古の魔力が息づくその場所で、彼の心は復讐という一点に集中し、その怒りが魔法の力を増幅させた。シエナは、アルバスに古の文献を読ませ、精霊の聖杯の真の力を教えた。


「聖杯は、ただ魔力を増幅させるだけの道具ではない。持つ者の精神状態によって、その力を善にも悪にも変える」


シエナの声は、静かに、しかし重く響いた。アルバスは、自身の復讐が、聖杯の力を悪しき方向に導く可能性を悟り、一瞬たじろいだ。彼の心に、わずかな迷いが生じた。もし、自分が聖杯の力に飲まれ、リリスやゼルファスと同じような存在になってしまったら。その恐怖が、彼の胸をよぎる。しかし、次の瞬間、脳裏に浮かんだのは、リリスの裏切りと、ゼルファスの傲慢な笑みだった。あの屈辱と絶望を思い出すたびに、彼の復讐心は再び燃え上がる。その炎は、あらゆる迷いを焼き尽くし、アルバスをさらなる修行へと駆り立てた。


一方、王都では、ゼルファスが聖杯の力を手に入れたことで、その権力をますます強固なものにしていた。彼は聖杯の力を利用し、私腹を肥やし、邪魔者を排除していく。彼の表情は、以前にも増して傲慢さを帯び、その瞳には、かつてアルバスに向けたような軽蔑の光が常に宿っていた。王都の貴族たちは、ゼルファスの強大な力に恐れをなし、誰も彼に逆らうことができなかった。


リリス・星砂は、ゼルファスの隣で華やかな生活を送っていた。豪華なドレスを纏い、最高級の宝石を身につけ、夜な夜な開かれる舞踏会で、王都の貴族たちと交流した。彼女が夢見た輝かしい世界は、確かにそこにあった。しかし、その輝きは、どこか薄っぺらく、満たされない虚しさを伴っていた。ゼルファスが聖杯の力で人々を支配していく姿を見るうちに、リリスは次第に恐怖を覚えるようになる。彼の瞳に宿る狂気にも似た光は、彼女を深い不安に陥れた。彼が約束した「輝かしい未来」は、人々の犠牲の上に成り立っていた。それは、彼女が本当に望んでいたものだったのだろうか。


「こんなはずではなかったのに…」


リリスは、自室の窓から王都の夜景を見下ろしながら、そっと呟いた。その声には、後悔と、そして微かな絶望が混じっていた。王都の生活が、自分が夢見ていたものとは違うことに、彼女は気づき始めていたのだ。この場所には、月影の村にあったような温かさも、純粋な愛も存在しない。あるのは、力と欲望だけだった。


ある日、リリスは偶然、王都の市場で月影の村から来た商人を見かけた。懐かしさと、そして一抹の後ろめたさを感じながら、リリスは商人に近づいた。


「月影の村は、どうしていますか?」


商人は、リリスの姿に一瞬驚いたが、すぐに答えた。


「リリス様…お変わりなく。村は、なんとか。しかし、アルバス様が…」


商人は、口ごもりながらも、アルバスが村を去ったことを告げた。彼の言葉は、リリスの胸に、深く突き刺さった。


「アルバスが…村を…?」


リリスの脳裏に、かつての優しいアルバスの面影が鮮明に蘇る。あの純粋な瞳、穏やかな微笑み、そして、自分に向けられた無償の愛。それら全てを、彼女は自らの手で捨て去ったのだ。彼が、自分を裏切られたと知った時、どれほど傷ついただろうか。その時、リリスの心に、かつての優しいアルバスの面影がよぎる。その瞬間、彼女は、自分がどれほど大きな過ちを犯したのかを痛感した。


ゼルファスが聖杯の力を手に入れたことで、王都の闇は深まり、人々の心には絶望が蔓延していた。そして、その闇の奥で、静かに、しかし確実に力を蓄える影があった。それは、復讐という名の炎を心に宿した、かつての心優しき青年、アルバス・蒼月だった。彼の足跡は、着実にゼルファスの破滅へと近づいている。リリスは、まだその影の真の姿を知らなかったが、漠然とした不安が、彼女の心を覆い始めていた。

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