File.11 トランスパレントな命の叫び

 シリンダーを破壊し尽くし、クロロノイドを1人残らず食うと、ルーシーは満足気に寝そべった。体を痙攣させ、骨の形をした茎が体を突き破る。骨を緑色の肉塊が覆い、ルーシーの体は次第に巨大化していく。白い髪が伸び、その形はますますヒトに近づいた。子供にしても、植物にしても、とんでもない成長速度だな。両目の変わりに生えている蕾が開花し、白い薔薇を咲かせた。


「いい子だねルーシー。君こそ新しい人類にふさわしい!」


「ウー……アァー……」


嬉しそうに駆け寄るローレンスを、ルーシーは2本の足で立ち上がり、見下ろす。嫌いな物を頑張って食べた子供のように、ルーシーはローレンスに訴えかけた。ロゼッタはかつての自分を見出しているのか、溢れる吐き気を抑えている。


「ブルー。この雨の中、みんな一緒に生まれ変わるんだ。新しい人類としてね。君は特別な存在なんだ。ルーシーと一緒に、新しい時代に立とう!」


ローレンスは目を血走らせて、ロゼッタに手を差し出す。この男の目は青薔薇のクロロノイドを映しているが、ロゼッタを映してはいなかった。ルーシーも白い薔薇に覆われた両目を向ける。目の前にいるのは自分の同族か食糧か。それはルーシーにしか分からない。


「い……嫌だ……。私は……私はデビットと一緒にいたいの! 特別な存在になんかなりたくない。ただ、デビットと一緒に生きていたいの!」


ロゼッタは人間として返答する。差し伸べたローレンスの手を、ロゼッタは自分の手で拒絶した。予想外の答えにローレンスは驚くも、すぐに狂気の笑みに変わる。


「驚いたね。生態も、感情も、極めて人間に近くなっている。これも君と過ごしていた影響かな?」


ローレンスは恨めし気に俺を見る。研究者の好奇心と、なんてことをしでかしたのかという非難が入り混じった視線だ。


「残念だよ……。君は新しい人類のプロセスに至る資格があったのに。夢の続きは、ルーシーの中で見るといいよ」


ローレンスは失望の眼差しを向け、ルーシーを撫でる。ルーシーも、ロゼッタの反抗の意思を感じ取ったのか、低く唸った。


「ルーシー、あの2人も食べていいよ。彼らは進歩を諦めたんだ」


ルーシーは言葉の意味を理解しているのかは分からなかったが、ローレンスが指差す方向を見るなり、4足歩行で走り出す。立てるとはいえ、まだハイハイは卒業できねぇか。ルーシーは長い腕でロゼッタを掴む。生えたての牙で、ルーシーはロゼッタの腕に噛みついた。


「ロゼッタ!」


俺は銃を数発撃つ。表皮だけの身体は簡単に貫通するが、ルーシーは顔色1つ変えない。飢餓に駆られたままのルーシーは、ロゼッタの腕をへし折ろうとする。骨の代わりに木の幹が軋む音がした。ロゼッタは空いている腕で、ルーシーの顔を殴りつける。ルーシーの牙が口から抜け落ちた。だが、トラバサミのように食い込む牙は、殴った反動でロゼッタの腕を引きちぎった。


「あああぁっ! うぅ……」


痛みにロゼッタは悶える。涙を浮かべ、床を転がるロゼッタ。俺は銃を構えながら、ロゼッタを庇う。痛みに身体を震わせ、ロゼッタは呻き声しか上げられなかった。牙を失ったルーシーは、そのまま千切れたロゼッタの腕を丸呑みにする。


「こいつっ!」


俺は冷静さを失い、何発も発砲する。よくもロゼッタをおもちゃにしやがったな。照準もよく定めず、俺は何度も引き金を引く。だが、顔が半分抉れても、ルーシーはロゼッタの腕を吐き出すことはなかった。それどころか欠損を上回る速度で、ルーシーは再生する。生え変わった牙は更に鋭く、身体の至る部位から茨が突き破り、触手のように蠢く。触手から白い薔薇が次々と生え、鎧のように纏わり付いた。趣味の悪いウェディングドレスだ。白衣の花婿が笑ってるぜ。


「素晴らしいよルーシー! やっぱり君は特別な子だ!」


ルーシーはロゼッタの残りを食い尽くそうと、再び四つん這いになって突進する。ロゼッタは痛みの余り動けない。俺が何とかしないと。ルーシーは獲物を掴もうと、次第に2足歩行になる。その隙を突き、俺はルーシーの懐に飛び込み、腹にナイフを突き刺した。脆いルーシーの身体を、ナイフが貫く。ロゼッタを抱えたまま、俺はルーシーの腹を掻っ捌いた。臓器が未発達の腹から、栄養だけ吸い取られて干からびた身体の一部が出てくる。消化不良だな、これじゃあ。ナイフをしまい、俺はルーシーから距離を取る。ルーシーは茫然とした様子で裂けた自分の腹を見た。流石にこれを再生するのは、骨が折れるだろうな。


「しっかりしろ。ロゼッタ」


「う……うぅ……」


ロゼッタの千切れた肩の根元から、触手が毛細血管のように生えてきた。触手は次々と生えて、腕の形を取りつつある。枝のような骨、茎のような質感の表皮。再生の痛みと傷の痛みで、ロゼッタは悲鳴をあげる。


「ブルー。君は人間に近くなりすぎたんだよ。可哀想に。痛みなんか必要ないのに、その男が教えてしまったんだね」


「哀れなのはお前の方だぜ。何も感じねぇ人生なんて、さぞかしつまらないだろうな」


ルーシーは口から緑色の血を吐き出したまま、俺に掴みかかった。白薔薇の花弁が俺を見つめる。ルーシーは手負いにもかかわらず、とんでもない馬鹿力で俺を投げ飛ばした。シリンダーに激突し、砕けたガラス片が背中に刺さる。


「君も雨に選ばれなかったなんてね。君は元々新しい人類になる資格はなかったんだよ」


「生憎だが、俺は晴れ男でね。年中雨な未来に生きるなんてごめんだぜ」


ルーシーは執念深くロゼッタを狙う。ロゼッタの腕はまだ再生しきっていない。俺は背中のガラスを引き抜いて、ルーシーの穴が空いた腹に突き刺した。ルーシーは鬱陶しそうに、俺の足を掴む。羽虫を叩き潰すように、ルーシーは爪を振り翳した。


「だめぇっ!」


ロゼッタは叫び、ルーシー目掛けて突進する。ロゼッタの腕が脈打ち、急激な速度で再生した。新たに生えたロゼッタの腕が、肉を断ち切る音がする。


「えっ……」


ロゼッタが貫いたのは、ルーシーを庇ったローレンスだった。温かい赤い血が、ロゼッタの手に張り付く。ルーシーも茫然として、思わず俺を床に落とした。ロゼッタの瞳は恐怖に見開かれ、腕の力が抜ける。唇を震わせ、ロゼッタはすぐさま手を引き抜く。胸に大穴が空いたローレンスは、口から血を吐き出して倒れた。


「嘘……う……そ……」


俺は抜け殻のようになったロゼッタの手を引く。ルーシーは呼吸が浅くなっていくローレンスを抱き上げる。光が失われつつある目で、ローレンスはルーシーを見た。


「ルーシー……。僕の可愛い子。君と一緒に新しい世界を見たかったけど……どうやら……僕も選ばれなかったみたいだ……」


「ロー……レンス……」


ルーシーの両手がローレンスの血に濡れる。息も絶え絶えのローレンスは、我が子をあやすようにルーシーの頰を撫でた。その手の感触が生みの親であるのかどうか、ルーシーは分かっているのか? 意味をなさない喃語しか話さなかったルーシーの口から、生みの親の名前が漏れる。


「ルーシー……僕を食べて……くれ。君の中で……君と一緒にさせて……く……れ……」


ローレンスは血に染まった手を、ルーシーの口に押し付ける。あれほどクロロノイドを食い荒らしたルーシーだったが、ローレンスの血の匂いを嗅いでも口を開こうとしなかった。ルーシーは生みの親の行動に戸惑い、首を振り続ける。


「言う事を聞くんだよ……。ルーシー……。君は……と……く……べ……つ……な……ん……だ……」


ローレンスは震える指を目に当てる。何を思ったのか、ローレンスは自分の片目に指を突っ込み、眼球を引きちぎった。気が狂った研究者の異常な行動に、誰もが息を飲む。痛みに顔を歪める事もなく、ローレンスはルーシーの口に眼球を捩じ込んだ。まるで嫌いな食べ物を食べさせる親のように。ルーシーは吐き出そうとするが、ローレンスはさらに奥へと腕を突っ込む。不意に、ルーシーは反射的に口を閉じた。その反動でローレンスの腕が千切れる。しばらくルーシーは涎を垂らしながら嗚咽を漏らした。


 だが、その嗚咽は次第に咀嚼音に変わる。拒絶じゃない、食欲に駆られて涎は垂れ、ルーシーはローレンスを貪り食らった。ローレンスはルーシーの腕の中で、ただの肉塊に変わっていく。肉も骨も全て食らいつくし、ルーシーはけたたましい咆哮をあげた。初めて覚えた悲しみと怒りに打ち震えているようだ。ルーシーの叫びと共に胸元が膨れ上がり、身体を突き破るように白薔薇が開花した。裂けた腹も完全に塞がり、花びらがウェディングドレスのように覆い尽くす。赤黒い口紅を塗り、ぬらぬらと光るネイルがあしらわれたルーシーは、どこか儚げな雰囲気だ。だが、すぐさま化け物の本性を露わにしたルーシーの背中から、一対の触手が生えた。複雑に茨が絡んだ触手は、巨大な腕のようにも見える。ルーシーは叫び声をあげ、顔を激しく掻きむしった。鋭い爪が目元の薔薇を散らす。抜け落ちた羽毛のように、花びらが床を埋め尽くした。薔薇が散った目元には、新しい目がある。黄緑色の瞳を、ルーシーは仕切りに動かした。初めて見る光景を、ルーシーは目に刻みつける。目の前にいる2人を、ルーシーはまじまじと見つめた。ルーシーには、俺達はどう映っているのか? 生みの親の仇か? それともただの餌か? 触手の爪を床に食い込ませ、ルーシーは憎しみに満ちた雄叫びをあげた。

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