昴の軌道
@AotakiSubaru
第1話パラボラに収束しない波長
蒼滝昴は、ひとり静かな喫茶店の窓際に座っていた。ノートパソコンの画面は白紙のまま、カップの中のコーヒーはいつの間にか冷めている。窓の外では、初夏の光が歩道を照らし、街路樹の葉が風に揺れていた。
「……今日も、何も書けないな」
ぽつりとつぶやいた瞬間、彼の目の前の席に、誰かが音もなく座った。
「こんにちは。」
どこか聞き覚えのある、澄んだ声だった。
昴は顔を上げて驚いた。そこに座っていたのは、若い女の子。それだけでも十分に驚きなのだが、自分の初恋の相手によく似ていた。艶やかな黒髪は肩までかかり、肌は日光の日差しを知らないように白く、少し大きな口が特徴だった。だがその瞳は、夜空をそのまま切り取ったかのような深い群青色をしているように見える。
「あなたとお話ししたくて。」
「まぁ、別にいいですけど。」
どうせ、作業は進んでいないのだ。なんだか不思議な相手だが、気分転換にいいか。
「オレの名前は蒼滝昴。あの、あなたの名前は?」
「ミラだよ。」
「なぜその名前を知っている?」
若い女性相手に少し浮かれていた所から、一気に警戒心が増す。
それは、たしかに昔好きだった同級生の名前だ。口に出された瞬間、胸の奥に仕舞ったはずの記憶がざわめいた。だが、本当に“彼女“なら、自分と同じようにアラフォーを迎えてシワのひとつやふたつは刻まれているはずなのに、目の前の女の子はどう見ても20才前後だった。むしろ記憶より少し美人な気がすることも、今では違う意味合いを持つ。
「この地球からおよそ三百光年先、君たちが“Kepler-1649c”と呼ぶ惑星から来た観測者だよ。君から見れば、いわゆる“宇宙人”だ。さっきは君の興味を引くため“ミラ”と名乗ったが、分かりやすく“ケプラー”と呼んでくれ。よろしくアース。」
「何だって?」
情報が多すぎる。
「“アース”ってなんだよ?オレの名前は“蒼滝昴”だけど。」
「君たち人類が名付けた名前にちなんで、地球で活動する間は自身を“ケプラー”と命名した。だから地球人代表の君は“アース”。フェアでしょ?」
アースと呼ばれた昴は混乱した。
「その見た目はどういうことだ?」
「記憶に鮮明に残っている人物をトレースさせてもらった。興味を持ってもらいやすいかと思い。」
それについては、完全に“彼女”の作戦勝ちだった。
さらに目の前の存在は、今ハマっている素麺のこと、自分が子どもの頃にしたケガの話、学生時代に引きこもっていたことまで、何の躊躇もなく口にする。
「そんなの……ネットにも書いたことないのに。なんで知ってるんだよ……」
「観測とは、ただ見ることじゃない。あなたという個体の『思考層』を読み取っているんだ。」
「勝手に頭の中に入ってくるなよ。」
「あなたの意思に干渉はしていない。ただ、少し、深い夢をのぞき見しただけだよ」
そう言うと、ケプラーはにっこりと笑った。昴の初恋相手そっくりの微笑みだった。
昴は笑えなかった。けれど、逃げ出すこともしなかった。
「……なんで、地球に来たんだ?」
「ケプラー星では、もう“個”というものの境界が消えかけている。感情も、思考も、意志も。すべての可能性を計算し尽くした先に、静かな停滞が待っていた。だから今、ひとりの人間の価値観を、すべて体験するプロジェクトが進んでいる。あなたはその対象になった」
「オレが選ばれた理由は?」
「価値観の違う人類の理解へのヒントとして、無から有を生み出す小説家は有用である可能性が高いと判断した。」
「山ほどいる小説家の中で、なんで無名のオレにしたんだ?」
「売れて無いのに、愚直に現状に抗って書き続けるアースは、希望と諦めを往復しながら毎日を過ごしている。2つの相反する感情で揺れ動くという人間の最も不可思議な思考回路を観察する上で最適だ。」と、真顔で言い切った。
「おい……勝手に……俺の人生、覗き見するなよ。」
アースの絞り出すような声は、震えていた。
「その怒り、いいね。強いエネルギーを感じた。怒り、羞恥、願い、後悔。あなたが一見“負”だと思っているもの、それは私たちにはないものだよ。アース、あなたはとても豊かだ。」
「だからさぁ!」
初恋の女性の姿をしたまま、ケプラーの発した言葉が、昴のぐちゃぐちゃになった思考を停止させた。
「君の心の動きを観測するには、そこに至る行動も全て観察するのが理想なんだ。君と、同棲させてほしい」
昴の軌道 @AotakiSubaru
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