薬詠みのトゥイ

レッサーパンダ

プロローグ

昔、風はもっと神さまだった。

雲の形ひとつに祈りを読み取り、草のささやきに耳を澄ませる者がいた。

人と神とが、まだ遠くなかった頃の話だ。


この地では、病とはただの不運ではなかった。

それは魂の乱れであり、神の怒りのしるしであり、ときに、誰かの悲しみが姿を変えたものだった。

だから、癒す者には薬草の知識だけでなく、神々の意を“詠む”力が求められた。


彼らは「薬詠み(クスリヲミ)」と呼ばれた。

草の名を覚えるより先に風の音を聞き分け、火を扱うより先に水の温度を肌で感じ取る術を学ぶ。

調合の際には、かならずカムイノミと呼ばれる言葉を唱える。

それは教えでも呪文でもない。自然の気配に耳を澄ませた末に口をついて出る、小さな祈り。

薬詠みの力は、それが届くことで完成すると信じられていた。


その技と心を受け継ぐひとりの少女がいた。

名はトゥイ。まだ幼さの残る顔に、芯の強いまなざしを宿している。

森の奥で鳴く小鳥の名から授けられたその名は、風を呼ぶ者としての祈りでもあった。

彼女はある日、師である薬詠み・サラナのもとに引き取られ、火の扱い、草の声の聴き方、命の見つめ方を学び始めた。


サラナは静かで優しい人だった。

決して多くを語らないが、その眼差しは森の奥の泉のように澄んでいた。

トゥイにとって、サラナは母であり、師であり、自分を導いてくれる光のような存在だった。


この物語は、そんなふたりの薬詠みが紡いだ、小さな祈りと命の記録である。

トゥイがどのように命と向き合い、何を選び、どんなカムイノミをその手で綴っていったのか。

語り部である私も、そのすべてを知っているわけではない。


けれど、一度だけ――冬の終わり、霜が白樺の根元に舞っていた日のこと。

トゥイが大きな動物に寄り添い、そっとその額に手を当ててこう言ったのを、私は見た。


「……まだ、生きてる」


その声のぬくもりと、一筋の風だけが、今もこの胸に残っている。

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