無名作家の私は結局どうしたいのか
鈿寺 皐平
私は結局、何がしたいのか
最初は小さなキッカケだった。
物語が好きで、アニメ、漫画、ライトノベル、映画等々に触れていた私は、魔が差したように小説を書き始めた。
それは自分が想う「面白い」を形にしたいという純粋な創作意欲だったと思う。
しかし同時に、ほんの僅かだが、自分の「面白い」を他人とも共有したいという布教の精神も芽生えていた。
当時の思いの強さとしては、創作意欲>布教の精神だったと思う。
だが、今はどうだろう。目の前のモニターには「ネット小説 読まれない」という単語が検索エンジンに映し出されている。
その時思った。私の心の中は、さっきの大小関係が完全に逆になっていると。
今一度、この現状を冷静に分析してみる。
おそらく、創作意欲は小説を書いている時点で
なぜなら私がしたいことは『自分が想う「面白い」を小説で形にすること』であって、『小説を完結させること』ではないからだ。
この持論が正しいのであれば、既に執筆活動が自身の創作意欲を充たしているが、布教の精神は何も充たされていない。
となれば、必然的に先ほどの大小関係が逆になってしまうわけだ。
今、私はこの自作小説を誰かと共有したい。共有して、反応をもらって、読者の感想に共感したい。
それが充たされていないから、私は飽きもせずネット小説投稿サイトの攻略法を
布教の精神が、まさか承認欲求という形に化けて出るとは……当時は思いもしなかった。つい失笑してしまう。
では、この現状を打開するにはどうすればいいか?
自分が「面白い」と思う自作の執筆を諦めて、読者のニーズに答えていく?
自我を捨て、ネット小説投稿サイトという郷に従う?
ログラインのように長いタイトルを付け、一話一話にサブタイトルを記載し、毎日投稿を頑張る?
もう答えは出てる。今挙げた全ての手段を取ればよい。
創作をする立場になって分かった。読まれるための努力をするのは、クリエイターとして必須の心得であると。
じゃあそれで承認欲求、もとい布教の精神は
結論から言えば、充たせないわけではない。
自分が想う「面白い」を小説で形にすること。その根源を完全に捨てるわけではなく、読者のニーズを多分に含み、僅かながら自身の欲求を充たす小説を執筆する手段もある。
堅実で現実的な選択だ。あとは継続していけば、いずれ花開くかもしれない。
そう分かっているはずなのに……私の中の私が問う。
──結局お前は、何がしたい?
自分に嘘を吐くのかと、そう言われている気がした。お前がしたい事は自分が想う「面白い」を形にすることではないのか、と。
あぁ……そうだ。もしさっきの現実的な選択をすれば、私は書き始めた当初の大小関係とは全く逆の行動を取ることになる。
原点に立ち返るなら、私がするのはただ無我夢中で創作すること。
全く……自分が強欲で困る。初期の行動を取ってしまったら、もう誰からも共感を得ることはできないかもしれない。
しかし、私は選択する。自分に嘘は吐かないと。
もう布教の精神は根絶やしにする。他の読者ではなく、私自身という読者のニーズに答え続ける選択。
我ながらアホだ。絶対に苦しいし、しんどいし、辛い。気を緩めれば、どうせまた見られるにはどうすればいいか考え出す。
だけど、不思議と確信している。後悔はしないって。
まあ、ネットに投稿することは続けるので、ネットという海を航海はするんですけどね。
了
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