12話 国家情報局(2)

1950年 3月4日

陽本ようほん帝国 帝都 宮内省国家情報局 庁舎





「は。続いて、『興人會こうじんかい首魁しゅかい秋吉亮二、ならびに豊臣天姫の消息についてです」


 室内の空気がわずかに引き締まった。

 帝都を震撼させた未曾有の叛乱の首謀者であり、国家を揺るがしうる豊臣天姫の身柄を今なお確保していると思われる秋吉亮二──この元陸軍大佐は、国家情報局のみならず警察、帝国軍、近衛軍が総出で捜索を行っている最重要目標だった。


 最高級の機密保持体制が敷かれている生体科学技術研究所に深く関与する人物であったにも関わらず、国家情報局を含めたいかなる情報機関も事前にその動きを察知することができなかった。それは情報局の威信に傷をつけ、ひいては帝国の安全保障に多大な影響を及ぼす結果をもたらした。


 この場にいる情報員たちはみな、少なからずそのことへの責任を負っているのだ。


 楠木の反対側に座っている壮年の情報局員が立ち上がった。遠離院卿は机上に置かれていた分厚い資料を手に取りながら耳を傾ける。


「秋吉の経歴を一通り洗ってみましたが、やはり目立って不審な点はありません。1910年、帝都の士族家庭生まれ。1929年に東京帝国大学に入学し、32年には当時の生体技術研究所に配属。33年から一年半ほどアナトリアに滞在し、35年の生体化学技術研究所新編と同時に帰国。そして翌年の豊臣天姫誕生後は、十年にわたってその研究に携わっています」


「うむ。強化技術のことを知っておる者で、秋吉めを知らぬものはおるまい。麻呂も何度か顔を合わせたことがおじゃった」


 最後に顔を見たのは確か昨年の九月。戦勝間もなく、慌ただしい空気の軍務省でのことだった。


 ──陰気な顔つきで、叛乱軍の頭目などはとても似合わぬ男であったな。

 遠離院卿はそう内心で呟く。


「その通りです。帝国軍の強化人間技術に多大な貢献をした男でもあります。機密の関係上、受勲こそありませんが、46年にはその功績に対し今上きんじょうから宸翰しんかんを拝したことも……」


「むしろ受勲の方が良かったのかも知れぬな。主上直筆とあっては、勲章と違って褫奪ちだつしようとしてもできぬからの」


「まったくです……すでに秋吉の軍籍は剥奪されておりますが、秋吉は帝国軍内に相当な深さで根を下ろしていたようで……」


 すると楠木が広げられていた資料を何枚かめくった。

 それは名簿であり、ずらりと並んだ個人名の横には階級と所属が無機質に連なっている。


「興人會の構成員、もしくは関係性の高い人物の名簿です。佐官以上も相当数含まれており、中には将官も複数名おります」


「陸軍教導総監、参謀本部次長……なんとまあ」


「そして、こちらが佐官以上の一覧になります」


「陸軍、空軍、海軍の順に多いの。やはり反豊臣閥を丸ごと乗っ取ったのでおじゃるか」


「はい。興人會という名の組織自体は、五年前の開戦以前から存在しています。ですがそれは軍部の反豊臣派および反強化人間派のあいまいな集合でしかなく、派閥とも呼べないものでした。ですがこの二、三年で興人會は急速に勢力を伸ばし、今回の叛乱にまで至りました。その原因のひとつが……」


 遠離院卿は食い気味に言った。


「西条じゃの。まったく……娘の垢でも煎じて飲ませてみたいでおじゃ」


 軍務大臣、西条高尚。

 遠離院卿にとって、その名は日ごろから頭痛の種だった。


「……軍務大臣は今回の叛乱に関して、非常に疑わしい動きを見せております。逮捕された叛乱軍将校への擁護を公的に口にし、あまつさえ国家情報部への身柄の引き渡しを拒む始末。帝国軍の初動が著しく遅れたのも、一概に再編の影響であったと片付けられない部分があります」


 壮年の情報局員からの視線を受けた楠木が代わって続ける。


「くわえて秋吉と西条大臣の側近が、一時期頻繁に接触していたという情報も入りました。終戦前後に陸軍の装備品が一部行方不明となった件に関与していた可能性があります」


「……叛乱軍への装備の横流しか」


「時期から見て間違いないかと」


「つくづく度し難い男よ」


 遠離院卿は語気に怒りをあらわにした。

 共に国家のためを思い、しかし理想を異にして対立するのは良しとしても、派閥主義と利己のために皇軍相射つ事態をもたらすなどとは。禁闕きんけつ守護の大任を任される近衛大将として、父祖より連綿と続く公家の一員として許しがたいことだった。


「そして、秋吉ですが……どうやら帝都の近辺に潜伏しているようです。こちらを」


 楠木は遠離院卿の怒気がおさまるのを待って、そう切り出した。


 見せたのは帝都を中心として関東地方の一部までを表す地図だった。奥多摩などの人口過疎地を主として、いくつもの印が付けられている。


「維新戦争中に攘夷派が使っていた山城やまじろや、今は使われていない軍施設跡地などに戦力を分散して隠匿しているようです。行方がわかっていない強化人間も、おそらくそれらの各地に潜んでいるのかと」


「天姫と秋吉の居場所に目処はついておじゃるか?」


「残念ながら、まだ。ですが叛乱軍による奇襲を封じられるだけの監視体制を敷いております。二度はありません」


「そのこと、確かでおじゃろうな?」


「……ひとつ、問題が。仮に坂之上卿が叛乱軍の側に立ち、第一警護隊を壊滅させた上に秀清公を負傷せしめたということが事実なのであれば、そこに万全はありえません」


 その名を聞いたとき、遠離院卿の内心にくすぶる感情がわずかに強まった。

 そのくすぶりは、すぐに信じがたいほど強靭な理性によって封じ込められ、火となることはなかった。


「その件についても、報告があるのでおじゃろう」


 楠木は頷いた。


「ご明察です。では最後の報告──叛乱軍との繋がりが疑われている、坂之上沙羅双樹卿の行方についてです」


 遠離院卿はその言葉の響きに嫌悪を覚えた。彼の知っている坂之上沙羅双樹は、『叛乱』などという言葉には、およそ縁のない人物だからだ。


 確固たる忠義心がどうとか、戦略眼がどうとかいう話ではない。

 単純に向いていないのだ。仮に叛乱軍の指揮を坂之上卿がとっているのだとしたら、必ず討伐できるという自信が遠離院卿にはあった。それは驕りでもなんでもない、ただの事実だった。


「先月二十六日の将軍府における目撃後、しばらくは行方をくらましていた坂之上卿ですが、二十八日には美濃で、今月一日には大阪で目撃されています」


「相も変わらず自由奔放な人物であるのう。それで?」


一昨日いっさくじつ、京の豊国大明神にこのようなものが」


 再び写真が手渡される。

 そこには太閤豊臣秀吉を祀る豊国大明神の本殿と、その手前の拝殿に山と積まれた箱が映されていた。鎧櫃よろいびつと思われる大きな箱の上に、いくらか小さな刀箱などが乗せられている。


「中身は?」


「現在、宮内省とも連携して調査中でありますが、いずれもすさまじい歴史的価値を持つ品物です。豊臣家から拝領したさまざまな武具、財宝、刀剣類に加え、中には太閤直筆と思しき感状かんじょうまで……」


 三百六十年。

 それが坂之上沙羅双樹という人間怪物が豊臣家に仕えてきた年数だ。長寿な人間の人生を五倍してどうにか届く、遠大な時間。


 この財宝の山は、その年月すべてを象徴するものだろう。それをなぜ今になって持ち出し、さらには返還したのか。


「二日の夜、宮司の前に突然坂之上卿があらわれてこれを置いていったそうです。宮司は説明を求めたそうですが『太閤殿下にお返し奉る』の一点張りだったと」


 容易に想像がつく光景だった。

 ──は他人にものを理解させることが下手なのだ。説明することの意味を、あの人自身がわかっていない。だから何時まで経っても解脱げだつできずに、現世にしがみついている。


 遠離院卿は、自分が必要以上に感傷的になっていることに気づくと、すみやかに自省した。歳をとるとこうなっていかん。


「その後の行方は?」


「不明です。宮司が最後に見たのは、東の方向に物凄い速さで駆けていく坂之上卿の姿だったと証言していますが、それだけです」


 美濃は関ヶ原。大阪は大阪城。そして京の豊国。

 いずれも豊臣家と坂之上卿の両方に深く縁のある場所だ。

 それが意味することは。


「謝罪行脚あんぎゃでおじゃるかの」


「……は? 謝罪行脚、ですか」


 楠木ははじめて不可解そうな顔をした。


「全軍に通達せねばならん。坂之上沙羅双樹はもはや敵である、と」


「お言葉ですが、時期尚早では? まだ完全に確定したわけではありませんし……」


「決まったようなものよ。あの人が豊臣から拝した品を、今の将軍府でも将軍でもなく、ほかならぬ太閤に返上したのであれば、それすなわち豊臣の家臣であることをやめたということでおじゃる。あれはあれで自分なりの義理を通す人であるからの」


 遠離院卿の、まるで古い知人を懐かしむかのような言いぐさに、楠木以外の情報局員たちはみな訝しげな顔をした。楠木は無表情を保ちながら言った。


のひとりとしてのご意見ですか」


「左様。なんなら大杉にも聞いてみればよい。あやつは麻呂なぞよりよっぽど期待をかけられておったからのう。とな」


 あえて冗談めかして答えた遠離院卿だったが、楠木はどこか納得した様子でこう言った。


「では、お言葉の通りにしてみます」


「……ほほ、まあそれもよかろう」

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