14話 女将監
1950年 3月5日
大
「……貴官は、飽きさせないな」
西条
早朝に呼び出された西条を待っていたのは、監視の強化人間に鎮静剤を打たれて横たわっている真言の姿だった。西条が現場に到着したころには、すでに擬蟲は体内へと逃げ込んでいたらしく、彼女がこの一週間で三度目にその姿を目にすることはなかった。
現在、真言は目を覚まし、近衛軍兵舎の一室で西条に監視されながら事情の聴取を受けているところだった。
「事の次第は、監視の兵からおおよそ聞いた。気づいたら貴官の背中から擬蟲が体外に出て、倒れている貴官の頭部に巻き付いていたとか。すぐに鎮静剤を打った彼の判断は間違っていなかったと私は考えている」
戦闘服を着る時間もなかったのか、西条は営内着のまま短刀を腰に差している。昨日の負傷はすでに完治しているらしく、左手の指はすべてそろっているし、頬の傷も跡形なく消え去っている。
同じく早朝に叩き起こされたらしく乱れた髪のままの小早川が、不満そうに口をはさんだ。
「明確な敵意があるわけでもないのに鎮静剤に頼るのやめたほうがいいと思います……せめて小官の到着まで待ってほしかったんですけどねぇ」
「昨日の今日だぞ。暴走の危険性が排除できない以上、それが最善だ」
「まあそこはしょうがないですか。ところで大杉さん」
小早川は早口でそう言うと、新しい眼鏡──どうやら替えを用意してあったらしい──越しに目を輝かせながら近づいてきた。姿勢よく立っているにもかかわらず、椅子に座っている真言と目線の高さがかなり近い。非戦闘員とはいえ軍人らしからぬ小柄さである。
「擬蟲から直接交信のようなものがあったというのは前代未聞です! これはなんとしてでも明確な記録に残さなければいけません。さっそくですが──」
「小早川。待て」
「犬みたいに扱わないでもらえます!?」
抗議する小早川を無視して、西条は続ける。
「昨日の暴走に続いて今回の未知現象だ。はっきりいって、貴官の状況はきわめて不安定であると見なさざるを得ない。このまま昨日のような大胆な検証を行うことは、不適切だと私は考えている」
「失敗は成功の母なんですからそこで立ち止まっちゃダメなんですよ──あ、すいません黙ります」
西条からの厳しい視線を受けた小早川がさすがに口を閉じた。
「……だが、遠離院卿はそう考えておられない。昨晩、貴官の暴走について報告したのだが……可能な限り検証を継続するよう命じられた。おそらく、この件を報告しても同じようにおっしゃるだろう」
「遠離院卿が?」
「ああ。どうやら叛乱軍の動向について新しい情報が入ったらしい。そして……坂之上卿についてもな」
真言の反応を伺うかのような表情だった。だが、真言は普段通りの無表情を貫いている。
「近衛軍の強化人間部隊には昨日の時点ですでに通達があった。『坂之上卿は敵性勢力であるという前提の下動くべし』とな」
「……そうか」
「驚かないのだな。私は正直、坂之上卿のことをよく知らん。知っているべきことはすべて知っているつもりだが、逆に言えばそれ以上は全く知らんということだ」
「あまり公に出る人ではないからな。それも致し方あるまい」
西条は頷いた。
「私も直接見たことは一度しかない。それも紀元二千六百年記念式典に参列していたのを遠目に眺めていただけだ」
「……いたのか?」
「私がか? ああ、父が当時は陸軍長官でな、その縁で参列させてもらったんだ」
「なるほど、考えてみれば当然だな」
「……あれ、西条将監ってご実家のこと、大杉さんに話してましたっけ?」
小早川が不思議そうに言った。
「言われなくても気づく。西条軍務大臣の令嬢が割腹未遂を起こして勘当され、遠離院卿の伝手で近衛軍に入ったというのは有名な話だ」
真言の言葉を聞いて、西条はわずかに顔を赤らめて苦笑した。彼女には珍しい表情だった。
「昔……というほど前でもないが、個人的にはかなり恥ずかしい話なんだ。あまり掘り返さないでくれるとありがたい」
「でも西条将監、着鎧するときは下腹部を刺すじゃないですか。あれは──」
「掘り返すなと言ったろ」
「しかし、いったい何があったら切腹など試みるんだ」
思わぬ方向からの追撃に、西条は非難がましい目で真言を見た。そしてしばらく逡巡した後、思い切ったような顔をして口を開いた。
「戦時中の……48年の冬だった。インド戦線ではペルシア軍との連携もあって戦局は順調に推移していたが、満州戦線はそうではなかった。物量で勝る
帝国が先の大戦で勝利をおさめることができたのは、ほとんど奇跡のようなものだ。45年の開戦当時、新ローマ帝国と大元帝国は他に並び立つ国のない超大国であり、その版図は世界の半分とも言われるほどだった。
それに抵抗できるだけの戦力を備えていたのは、大陽本帝国、ペルシア帝国、フェニキア共和国のみであり、それら三ヶ国を併せてもローマ一国の国力にさえ及ばないという状況であったのだ。
強固な三ヶ国同盟を築いたうえで、中立を謳ったアナトリアとインカから可能な限りの譲歩を引き出し、強化人間技術に膨大な資源を投入したことで、かろうじて戦争の体をなすことができたのである。
「知っての通り、帝国軍に女性兵士は存在しない。世界的にも戦闘員に女性を採用するのは
それを聞いた小早川は何か言いたげだったが、あえて口を挟みはしなかった。
「そこで考え付いたことがあった。強化人間技術があれば、男女の差など些細なことだ、と。現に近衛軍には女性の強化人間もいると聞いていたからな。だが、様々な事情から難しいだろうということもわかっていた。そこで私は試しに、帝国軍の強化人間部隊に女性の志願枠を作れないかという話を父にしたんだ」
西条は嘆息した。
「激怒されたよ。なんのつもりだ、とね。女が戦に口を挟むなとも言われた。あまりの剣幕だったから、私もかっとなって
「普段の冷静さからは想像しにくいな」
「自制しているんだよ……それで、私は当時から父の派閥主義が気に食わなかったから、そこを突いてみたら殴られた。そこで完全に頭に血が上ってしまって……父の部屋にあった脇差を持ち出して、その場で自分の腹に突き刺したんだ」
西条は自虐的に笑いながら言った。
「そのまま腹を切るつもりだったんだがね、実に恥ずかしいことに、刺した時点で身体が動かなくなってしまった。そのまま家人に取り押さえられて意識を失ってね。目を覚ました時には病院で、ついでに勘当もされていた」
それだけの話だ、とでも言いたげな顔でこちらを伺う西条に、真言はやや困惑気味だった。
想像よりもとんでもない女だ。
真言自身、腹を切らねばならなくなったら切る覚悟はある。それは真言が己を武士だとみなし、そのことに誇りを持っているからだ。それだけではない。大杉家そのものの名誉さえ、自身の双肩に寄りかかっている。
だが西条の場合はもっと単純な理由だ。自己の誇り──正当性と言い換えてもいい──のためには死を厭わない。それは古くから陽本において美徳とされてきたものだ。
師匠が聞いたらどんな反応をするだろうか。真言はそう考えた。機嫌がよければ度胸を褒めるだろうが、機嫌が悪ければとことんこき下ろしそうだ。
「そのあとはあれですよね。遠離院卿に土下座して近衛軍入隊の手はずを整えてもらったんでしたっけ」
「……まあ、そうだな。恥を忍んで父の政敵であった遠離院卿に会いに行き、なんとか話を付けていただいた」
「そして近衛軍に入隊し、強化人間手術に志願した、ということか」
「ああ。試製九式強化手術は失敗続きでな、昨年の夏に私が志願した時の成功率は二割未満だった……怖くなかったと言えば嘘になるが、覚悟はあったよ。なにより、結果がどうあれ御国のためになることだったからな」
そう言った西条の面持ちはすがすがしかった。
「私が死ねば、その結果が次の手術の糧になる。生き延びれば……現にいまそうであるように、新しい強化術式の開発に貢献できる。どちらにせよ、悪いことはなかった」
西条が言い終わると、小早川が待ってましたと言わんばかりに口を開いた。
「西条将監は試製九式への適合率がすさまじく高かったんですよ。他の被験者は一度安定してもしばらくすると擬蟲が勝手に再分離して死んでしまったんですが、西条将監の場合は骨格との融合がきわめて安定していました。それを分析して、擬蟲の前処理過程を調整することで今の十式機動戦闘強化術式が完成したんです。まあひとつ残念だったのは十特戦が代わりにお蔵入りになってしまったことですが……」
「十特戦?」
「あ、大杉さんはご存じないですよね。試製九式がうまくいってなかった時に代わりの制式採用が検討されていた十式特型戦闘強化人間のことです。これの何が画期的であるかと言えば──」
小早川の饒舌がこれ以上温まり出す前に、西条が止めに入った。
「長話しすぎたな……これから遠離院卿に報告をし、許可が下りれば午後からもう一度実戦検証を行う。それまでは小早川の検査を受けておいてくれ。ついでに話も聞いてやるといい」
最後の部分を聞いた真言が眉をひそめると、西条は少しだけ愉快そうに笑いながら言った。
「私が自分の話をしたんだ。次は貴官が小早川の話を聞いてやる番だよ」
横に振り向くと、小早川が期待を込めた目でこちらを見ていた。
逃げ場はなさそうだった。
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