3話 強化人間

1950年 2月26日

陽本ようほん帝国 帝都 陸軍生体化学技術研究所 地下五階





「なんだ!?」


 コンクリートの壁が崩れた轟音は研究所内に響き渡った。

 西条を含めた強化人間は全員即座に臨戦態勢に入り、生身の兵士たちはその背後に控えて対強化人間戦闘の準備を整える。


 今の音が爆発によるものではないことは、すでに全員が承知していた。

 強化人間がその巨大な膂力りょりょくを建造物の破壊に用いる際に生じる音に酷似していたからだ。ここにいる者はみな、訓練と実戦でその音に慣れ親しんでいる。


「──隊長」


「全員、を許可する」


 西条がそう答えると、副官である平野を筆頭とする四人の強化人間が一斉に腰の拳銃を抜いた。それはきわめて大口径の自動式拳銃であり、敵を狙って撃つことははじめから想定されていない構造をしている。


「「着鎧ちゃくがい」」


 それは何らかの意味を持つ合図というよりも、儀式にも似た発声だった。

 四つの銃口はまっすぐ各々の心臓に向けられ、間もなく四発の銃声が廊下に鳴り響いた。


 西条は背後から響いた発砲音とほぼ同時に、腰に差していた短刀を抜いた。そして慣れた様子で切っ先を自らの腹部──へその直下あたり──へ当てると、勢いよく押し込み、呟いた。

 

「着鎧」


 傷口から血が滴る。

 即死するわけではないとはいえ、常人であれば直ちに治療を要する傷である。


 四人の部下も同様──いや、それ以上の重傷だ。弾丸は心臓を貫通し、その機能を致命的に損壊した。放置しておけば、あと数分の命であることは疑いがない。


 強化人間に求められる素質は、手術に対する適応力だけではない。自らの意志でためらいなく自身の身体に致命傷を負わせることのできる胆力と覚悟は、決して欠くことのできないものだ。


 『宿主』が生命の危機に瀕しているのだと、に誤認させること。これはそのための自傷行為であり、強化人間が本領を発揮するための儀式なのだ。




 傷口から流れる血が止まる。

 人ならざるものと融合し、組成の変化した骨格から、人間のものではない体液が循環器系に供給され始める。それはきわめて迅速なプロセスであり、わずか数秒で全身の血液に分配された。


 傷口を起点として、赤黒い血の色にも似た粘性の液体が全身を覆いつくし始める。それは次第に硬化し、人類の創造しうるあらゆる素材よりも強固で靭性に優れた『生体鎧殻』を形成していく。


 平野たち四人は、零式戦闘強化人間よりも一世代進んだ五式重戦闘強化人間にあたる。より安定性を増し、機動性と引き換えに出力と防御性能を大幅に高めた、防衛型の強化人間である。


 鎧殻は兜のように頭部全体を包み、視覚を代替する二本の触角が目の横側から角のように後方へ伸びている。その姿は大鎧をまとった平安武者を彷彿とさせる。


 対して西条は、つい昨年に完成し、近衛軍をはじめとする精鋭部隊への配備が決定した十式機動戦闘強化人間──その試作型である、試製九式機動戦闘強化手術を受けていた。


 無骨な鎧武者の印象を与える部下たちとは異なり、西条の鎧殻はなめらかな流線型をとって、より甲虫的な外見をしている。機動戦闘とその名にある通り、俊敏な機動と高い展開能力をそなえた次世代型の強化人間なのだ。


「平野、私と前へ出ろ」


「了解です」


 轟音の発生源である資料室へ、西条と平野がゆっくりと近づいていく。半開きになった扉まであと数メートルというところになって、西条が叫んだ。


「──伏せろ!」

 

 資料室と廊下とを隔てるコンクリート製の壁が砕け散り、鈍く光る赤黒い物体が、ついさきほどまで平野の頭が位置していた場所を高速で貫いていた。


 攻撃の予兆は、直前に鎧殻同士がこすれる小さな音が鳴ったのみだった。よほど熟達した強化人間でなければ、ここまでの隠密性は確保できないはずだ。

 西条は警戒度を最高まで上げ切った。


「これは……っ!」


 姿をあらわした『敵』と相対して、その場にいる全員が息をのんだ。


 全身に鎧殻が展開されているという点においては西条たち強化人間と同一だったが、ほかのあらゆる部分が異なっていた。


 それは、すでに人間の形をとどめていない。

 鎧殻に覆われた人間の頭部は力なくていて、左肩と右の首元から、巨大な百足ムカデのごとき姿をした何かが這い出ている。眼こそなかったが、それは『人間大の百足』というほかに形容のしようもない。


擬蟲まがいむしと思しき生体の体表外露出を確認! 強化人間ではありません!」


「これまでの死体は……こいつの仕業か!?」


「とにかく──」


 平野が言い終える前に、『敵』の攻撃が始まった。

 およそ人間の動作とはかけはなれた、まるで操り人形のごとき挙動で『敵』は距離を詰めてきた。常人を大幅に超える反応速度をそなえる西条でさえ、かろうじて防御することしかできなかった。


「隊長!」


 百足──擬蟲の、鋼鉄の強度をゆうに超える物質で構成された身体が強烈に、鞭となって振るわれる。


 その巨大な運動量をもろに受け、西条の比較的軽量な──それでも三百キロは下らない──身体が十メートル近く吹っ飛ばされた。並の強化人間では不可能な芸当だ。


「がっ────対強徹甲弾用意! 胴は狙うなよ!」


 すさまじい勢いで壁に激突し、床に倒れ伏した西条だったが、すぐさま起き上がりながら指示を飛ばす。


 「胴は狙うな」というのは、何も捕獲を前提としているわけではない。生身の歩兵が携行できる火器ではほとんどの場合、最も鎧殻が厚くなる胴体部に有効打を与えられないからだ。

 

 体勢を整え立ち上がると、西条の穴を埋めるべく平野の援護に向かった部下の一人が片腕を噛み切られていた。鎧殻を砕き、強化骨格を切断するとは──信じがたい咬合こうごう力だ。


 すかさず追撃を打ち込もうとする『敵』を、平野の拳が制止した。鋼と鋼がぶつかり合ったような、甲高い音響が耳をつんざく。


「撃て!」


 怒号。

 九九式対強化人間徹甲弾三発が鈍い発砲音とともに発射され、うち二発が目標に命中した。


 左腕と右大腿に当たった徹甲弾は鎧殻を貫通して巨大な衝撃を与え、『敵』は大きく体勢を崩した。


「平野、飛ばせ!」


 その隙を突いて、それまで守勢に徹していた平野が全力で体当たりを決めた。

 もろに衝撃を受けた頭部の鎧殻に亀裂が生じたのを、西条は見逃さなかった。


 吹っ飛んでいく『敵』に強烈な加速で追いすがる西条を、二発の徹甲弾が超音速で追い抜いて行った。弾丸は正確に頭部の亀裂部分に命中し、鎧殻をわずかにだが砕いた。


「はっ!」


 『敵』の身体が接地する直前、先端速度時速百キロに達する西条の蹴りが顔面に炸裂した。頭部の鎧殻が損壊し、中にある人間の頭部が露出する。


「ぐ、ぅ──!」


 擬蟲の顎が西条の片足に噛みつき、その身体を後方へ──生身の部下たちがいる方向へ──放り投げた。だが西条は空中で身をひねって天井に触れることで、かろうじて味方に突っ込むことを避けた。


「隊長!」


「構うな! 無事だ!」


 『敵』は、人体の構造を完全に無視した体勢で立ち上がると、わずかに後退した。恐怖を感じているのか、それとも誘い込んでいるのか、どちらとも判断しがたい様子だ。


「……?」


 すると『敵』はおもむろに、これまでの怪物じみた前傾姿勢をやめ、人間的な立ち姿をとりはじめた。


「ふざけやがる……」


 平野が普段の穏やかさを捨てた口調で言った。

 

 『敵』がとっていたのは、いわゆる『自然体』。陽本のさまざまな武道に共通する構えだった。その時、西条をふくめて誰もが一瞬、あっけにとられていた。


 このとき、西条と『敵』との距離はおよそ九から十メートル。

 『目にもとまらぬ速さで』というのは過剰表現だが、その間合いは一歩で縮められた。西条の後方に控えていた近衛兵が瞬きをし、ふたたび瞼を上げたとき、『敵』は西条の眼前で正拳突きの予備動作に入っていた。


 鎧殻が砕ける音が響き渡る。


 『敵』は、なぜ自分の拳を覆っていた鎧殻の方が砕けているのか理解できない様子で、明確な隙を見せた。その隙を逃すような人材は、西条の部下には一人として存在しない。


 徹甲弾の発砲音に続いて、五百キロ級の強化人間四人による四方からの体当たりが直撃した。


 全身に強烈な衝撃力を加えられ、力なく倒れ込みかけた『敵』の後頭部に向けて、西条のかかと落としが命中する。そのまま勢いよく床面に叩きつけられた『敵』は、一度だけと震えたあと、動かなくなった。


「拳の鎧殻に亀裂が入っていることに気づいていなかったのか……どうやら相当、満身創痍だったようだな」


「隊長……撃ちますか!?」


「待て」


 鎧殻を失った人間の頭部に照準を合わせている部下を静止し、西条は気絶した『敵』の様子を伺った。


 人体の方は完全に意識を失っているが、体外に露出した擬蟲はそうではなかった。弱々しくカチカチと金属がこすり合うような威嚇音を鳴らし、西条たちを近づけまいとしている。


「……鎮静剤を。この状態で効き目があるかはわからんが、人間の方が意識を失っているうちに投与するぞ」

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