8話 実戦検証
1950年 3月4日
大
世界大戦の終戦後わずか半年で発生した未曽有の叛乱──二・二六の乱から、すでに六日が経とうとしていた。
二十八日早朝の時点で、叛乱軍の組織的な活動は鎮圧されたと将軍府から発表がなされたにも関わらず、戒厳はなお継続している。近衛軍は勅命によって帝都警備の任務にあたっており、近隣の
東京湾には依然として海軍の艦艇が滞在しており、先だって横須賀に帰港した戦艦『信濃』をはじめとするインド方面艦隊の主力艦が、叛乱勢力に対する威嚇を目的として戦闘態勢で待機している。
各種報道機関には叛乱軍に関する報道自粛命令が発せられたが、すでに複数の新聞社が生化研に関する記事や、坂之上卿の離反に関する政府関係者の暴露を号外するなどして、国家情報部による発禁処分を受けていた。
あまりに物々しい雰囲気に包まれた帝都の異変には市民も勘付き、虚実入り混じったさまざまな憶測と噂話が急速に広まっていった。
この事態は外国でも報道され、戦後間もない世界がいかに不安定であるかを示す何個目かの実例であると示された。
「十一月のビザンティオン条約締結以降、世界は大荒れだ。ローマはブリタニアでの反乱に加えてフェニキアによってイベリア半島へ圧力をかけられ続け、あげくに敗戦の責任を取らされたセプティミウス八世が廃位されたときている。インド失陥のあおりを受けて
近衛軍練兵場の広大な敷地を移動する車内で、豊臣
秀信は真言より三歳年上の二十七歳だが、ふたりを並べた際に年齢差を正しく見抜ける人間はそう多くないだろう。精悍だが無表情な上にやや老け顔の真言に対して、秀信はいかにも若い女性に好まれそうな柔和さをそなえる美男だ。
お世辞にも乗り心地がよいとは言えない強化人間用の輸送車両には、秀信とその護衛一名、そして真言とその監視要員として西条および小早川が同席している。これから行われる真言の『実戦検証』に臨席するためだ。
遠離院卿は前例主義とはおよそ縁のない人物だが、この件に関してはいつも以上の横紙破りを押し通したようだった。将軍警護隊に所属している真言の身柄を近衛軍預かりとし、さらには予定されている天姫奪還作戦に戦力として投入するというのだ。
むろんこのことには、将軍府のみならず近衛府からも反対意見が噴出したが、遠離院卿の政治力の前に封殺された。それに一役買った人物の中に、間違いなく秀信も名を連ねているだろう。
「
「ペルシア軍が講和条約に従って撤退準備中だった元軍を攻撃したという報道さえありましたが……それも事実なのでしょうか?」
「ん……ああ、確認がとれている」
真言の問いに、秀信はやや間を開けて答えた。
秀信は普段からこれほど饒舌であるわけではない。むしろ本来は寡黙な人物だ。よほど将軍職代理の職責に苦労しているのだろうと、真言は慮った。
「戦時中からわかってたことだが、新しいペルシアの
秀信はまだ何かを言おうとしていたが、真言の視線に含まれている憂慮と、小早川の表情に出ている嫌気を察知したのか、苦笑いを浮かべた。
「悪いな、病み上がり……と言っていいのかわからんが、死にかけてすぐというのに、こんな話をして。気づいてるだろうが、少し疲れてるんだ」
「いえ、このような状況下で将軍代理の大任を負っておいでなのです。致し方ないことかと存じます」
「ああ、ありがとう。そこの……小早川君だったか。すまんね、技術畑の人に政治の話をだらだらと聞かせてしまって」
誰が見ても悪印象を抱くことはないだろう明朗な笑みを浮かべながら、秀信は言った。しかし当の小早川はなにか幽霊の類でも見たかのような顔をすると、両手に抱えている分厚い資料の裏に隠れてしまった。
きょとんとする秀信と、責めるような視線を小早川へ向ける西条だったが、間もなく車が目的地にたどり着いて停車した。
目覚めてからというもの、真言は自分があの日以前の自分とはかけ離れた存在となったことを自覚し続ける日々を送っていた。
文字通り、世界が違うのだ。
歩いていれば五百キロに達した体重が巨大な足音を立てる。
落下する物を注視すれば、まるで時間が引き延ばされたかのようにその変化を見ることができる。
少しの努力で、一トンはあろうかという車両を持ち上げることができる。
身体の一部を切り落とされても、その日のうちに再生する。
自分がおよそ人間ではない存在に変わったことに対して、戸惑わずにはいられなかった。多少の変化には適応する自信があるが、これはどう表現しても多少の範囲では済まない。
だが、そうして覚えた違和感や抱いた疑問は、真言の観察と管理を一手に任されている小早川に聞けばほとんど解消できた。そしてその過程で、彼女の擬蟲に対する情熱が常軌を逸していることも理解することができた。
『──視界が……滑って見える、ですか? それは強化人間あるあるですねぇ。視神経が急に新しいものに交換されたせいで、脳の方が処理しきれてないんですね。自然に生活していてもいずれ慣れますが、訓練すれば早く適応できますよ』
『──あ、拘束外しますけど、絶対に許可なく全力で身体を動かしたりしないでくださいね。小官が挽き肉になってしまうので。全力っていうか半力? もダメです。わたあめ触るくらいの感覚で生身の人間は扱ってください。強化手術してすぐはこの辺徹底しないといけないんですけど、戦時中はそんな暇もなかったのでよく人が死んだんですよ。挽き肉になって』
『──雄性自然宿主のデータは坂之上卿から取った、ほんのわずかなものしかないんです。要するにまったく足りてないということですね。坂之上卿が良くて行方不明、悪くて敵対してしまった今、大杉さんからは可能な限り多くの情報を抽出しなくてはいけません。なので大分無茶をします。でも帝国のためなので、まあ一緒に頑張りましょう』
小早川は、人間と強化人間と擬蟲とを真っ平な机上に置いて考えているようだった。およそあらゆる偏見とは無縁で、おそらく一般の倫理観とも縁のない女だ。
そんな女は、さきほどから自分より頭二つ分以上背の高い真言の周りで、何やら機器を弄くり回したり採血をしたりと忙しなく動き回っていた。
「はい、事前の検査項目は終わりました。西条
「わかった。努力する」
「はーい、あ、でも死なない程度の怪我は歓迎なので……」
広大な練兵場の一区画──尋常小学校の運動場程度の広さ──には、近衛軍の戦闘車両がすでに展開しており、西条の部下である強化人間たちが待機している。仮に真言が正気を失うようなことがあっても、直ちに制圧するためだ。
彼らの背後には秀信が控えており、興味深げにこちらをうかがっているのがよく見える。視界はきわめて広く、明瞭で、空を仰げばどこまでも見えてしまいそうな恐ろしささえ感じるほどだ。
試験場の中心で言われた通り突っ立っていると、真言と同様、戦闘装備に着替えた西条があらわれた。引き締まった身体がよくわかる格好で、腰には短刀を差している。軍服よりも戦闘服の方が似合う、というのは褒め言葉になるのかわからなかったので、口にしない。
「『鎧殻』の自主的な展開は問題ないな?」
「ああ。できるという確信がある」
確信。そう表現するほかなかった。
できるだろうか、という疑問を内心に浮かべると、できるという自信がどこからともなく湧いてくるのだ。そして、おそらくそれが自分の思考とは別のどこかからやってきた感情だということもわかる。
小早川にこのことを伝えたとき、返ってきた言葉が思い返される。
『──
何かが自分の中にいるという思いは、ずっとついて回っている。だが、今その実態を確かめる術はない。
師匠と話せれば、という考えがよぎった。今の自分は──信じがたいことに──あの坂之上沙羅双樹と同じ身の上なのだ。あの恐ろしく、かつ美しい、修羅のごとき武力の化身と。
「私が『
思索は西条の言によって霧散した。
「……ああ、尋常に参る」
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